「1」
203X年、霊和――かつて日本でオカルトや幽霊、怪異が“実在していた”とされる不思議な時代。
だがある日を境に、それらはまるで嘘のように消え去った。見えなくなり、語られなくなり、やがて“存在していたことさえ”曖昧になっていった。
石山県ではかつて怪異談という独自の文化が花開いていた。今では一部の愛好家だけが、それを懐かしむように語るのみである。
私はその一人。高校の怪談同好会に所属している。
その晩、私たちは“彼女”を呼ぶために、怪談会を開いていた。
「――以上で、私の怪談は終わり」
私は蝋燭の火を吹き消した。これで最後のひとつだった。
その火を全て消すと、“彼女”が現れるという。
彼女とは、白粉を身にまとった女子生徒。かつてこの学校で怪談を披露した直後、死亡したという。
以後、石山県で「呪われた怪談」を語ると、彼女が現れるという噂が広まった。
だが、何も起きなかった。
「やっぱり、怪異談じゃないとだめなのかしら」
海部部長がぽつりと呟いた。
私は思う。違いはない気がする。でも、時代が変わったのかもしれない。怪談が“通じない”時代になってしまったのかもしれない。
「お開きにしましょう」
私はそう言い、道具の片付けを始めた。
カーテンを開けると、窓の外には何もなかった。
――いや、あってはいけないのだ。
だがその時、ふと、脳裏に浮かんだ。
「でも、本当に何もいないって、誰が証明できる?」
⸻
「2」
「ただいま」
家に帰った私は、渇いた喉を潤そうと冷蔵庫を開け、スポーツドリンクを一気に飲み干した。
1階の居間では母が掃除機をかけていた。音を嫌う三毛猫のチコは、洋間で丸くなっているはずだ。
私は2階の自室に向かう階段の途中、**シャー……シャー……**という音を聞いた。
カーテンを引く音だった。
母が入ったのかと思ったが、階段を上る足音はなかった。
ドアを開けると、部屋にはいつもの光景。アニメグッズやぬいぐるみ、声優ポスターに囲まれた、自分だけの空間。
ただひとつ、南側の窓のカーテンが開いていた。
「……あれ?」
私は閉じた。
その瞬間――シャー……、また音がして、今度は東の窓のカーテンが開いた。
私は凍りついた。誰もいないはずだった。
あわてて近づき、ガラス窓を開けて外を見た。
誰もいない。猫も、鳥すらいない。風も吹いていない。
だが背後で――シャッと音がした。
振り返ると、今閉めたばかりの南窓が、また開いていた。
……この部屋に、ナニカがいる。
「誰? だれなの……?」
私は叫んだ。どこかで人であってほしいと祈りながら。
その時、部屋の灯りがふっと消えた。停電。辺りが暗くなる。
窓ガラスの向こうから、**ドンドン……ドン……**とノックの音。
母? でも、なぜ外から?
私はおそるおそるガラスに近づき、カーテンをそっと開いた。
――そこには、誰もいなかった。
⸻
「3」
「どうしたの、理佐? 具合でも悪いの?」
「……なんでもないから」
停電から復旧したが、私は怖くて2階へ戻れなかった。
洋間にこもり、チコを抱いた。
チコは、掃除機が動いていないのに唸っている。
「理佐~、ご飯よ」
母の声。だが、直後にスマホに通知が届く。母からだ。
《今晩、仕事遅くなるから、夕飯は済ませておいてね》
私の心臓が止まりかけた。
「理佐、ご飯よ。早くしなさい」
洋間の外で、母の声が繰り返された。
「……お母さんは仕事中でしょ?」
「仕事ならもう終わったからね」
噛み合わない。
チコは鳴きながら、洋間を飛び出していった。
私は慌ててドアを閉め、鍵をかける。
「開けなさい、理佐!? 悪ふざけにほどがあるわよ!」
激しくノックされる。ドアが軋む。
――あれは母じゃない。
しばらくして、静かになった。
次の瞬間、また停電。
そして、洋間のカーテンの向こうに、人影が見えた。
私は震えながらカーテンを開けた。
そこにいたのは――チコの生首を持ち、にやりと笑う母の顔だった。
私は声にならない悲鳴をあげた。
その叫びは、家の外には届かなかった。
⸻
「4」
「……という怪談でした」
会場は静まり返っていた。
「ひゃあ~、鳥肌たったマンモス~」
真田部長のいつもの茶化しも、今日はどこか力がない。
私は部員の顔を見る。誰も笑っていない。みんな、あの話が本物だと感じていたのだ。
「ねえ、麻紀。大丈夫?」
「あ……うん。でも、本当に……彼女、現れるのかな」
「《楓》さん、ですよね」
私は、ふと視線を感じて窓の方を見た。
閉めたはずのカーテンが、少しだけ開いていた。
窓ガラスには、うっすらと白い手の跡がついていた。
⸻
窓カーテン 完