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第7話『罪人』

「もしかして私も……」


 思わず呟くと、楼主は微笑んで首を振る。


「まさか! 禁足地に足を踏み入れ鈴の音を聞きここへ来た人たちは、きちんとここでの役目を全うすれば現世に戻る事が出来る。ただそうじゃない人もいるんだけどね」

「そうじゃない人?」

「うん。途中で身請けされちゃう人がね、たまに居るんだよ」

「身請け?」

「そう。ここで勤めているうちに妖怪に見初められちゃうんだ。そしてその妖怪に嫁いじゃう」

「それは現世に戻れないって事ですか?」

「そう言う事。妖怪に嫁いだ後も現世に行く事は可能だけど、申請をしないといけない。とにかく面倒なんだ。だからここでは心を許してはいけないよ、誰にも」


 それを聞いて私は思わずポカンとしてしまった。


「さて、もうこんな時間だ。まずは君の部屋へ案内しようか」


 そう言って楼主はまだ力が入らない私を抱き上げると、部屋を出て廊下を歩き出す。


 外から見た時も大きな建物だと思ったが、中の造りは私が想像していた物よりも遥かに凄かった。


 建物の真ん中は吹き抜けになっていて、そのまま大きな中庭になっている。そこには澄んだ池と小川が流れていて所々に朱色の橋がかかり、至る所二人がけのベンチが置いてあった。


「綺麗……」


 極彩色の花で彩られた中庭は、吹き抜けた天井から差し込んでくる光りを受けて輝いている。


「そうでしょう? 天国を模したらしいよ」

「天国……やっぱり本当にあるんですね」

「うん。ただ地獄は無いけどね」

「そうなんですか?」

「現世こそが地獄。というよりも死というのはただの人生においてのイベントに過ぎない。天国に行くまでにいくつもの世界があり、この常世は最も天国に近い場所だ。妖怪達は皆、もともとは君たちと同じ世界の人間だったんだよ」

「そ、そうなんですか!? それじゃあ、私も死んだら妖怪……に?」


 なるんですか? という言葉を言う前に楼主はおかしそうに笑う。


「ならないよ。まだまだ現世から常世へ来るにはいくつもの世界があるからね。ただ、さっきも言ったみたいに身請けをされた場合は別だ。沢山の世界を飛ばしてここへやってくる事になる」

「身請けって凄いんですね……」

「そうかもしれないね。まぁそんな事は滅多に無い事だけどね。あの川の辺にあるベンチに座ると特殊な部屋に転送されるんだ。二人で座らないと転送はされないんだけど、外で開放的な気分でしたいって奴は結構居るからその時は出来るだけ断らないでね」


 外で……するのか……。愕然とした私を見下ろして楼主は笑った。


「結構居るんだよ。まぁ大抵は物理的に部屋でするのが難しい奴らなんだけど」

「ど、どういう事ですか?」

「興奮すると羽根が出たりとか、そういうタイプの奴らだよ。あとは野性味の強い奴とか?」


 楼主の言葉に私はハッとした。確かにあの橋ですれ違った人達の中には明らかに異形の形をしている者達が居た事を。


「どんなのを思い出してるのか分からないけど、そういうのと寝る覚悟もしておいて欲しい」

「覚悟……」


 その一言で一気に暗いものが心にのしかかる。


 そんな私に気付いているのかいないのか、楼主は私を抱いたまま中庭の周りをぐるりと周り、反対側の廊下の通路を歩き出す。


「ここは階層によって位が分かれているんだ。一番下の階は端女郎の階で二階は格子の部屋。そして最上階には太夫の部屋があるんだよ。端女郎はあの階段を決して登ってはいけない。どんな理由があろうとも」

「気をつけます。……凄く静か……」


 さっきから建物の中は静まり返っていて誰ともすれ違わないし何の音もしない。これだけ大きな建物なのに何だか不思議に思って問いかけると、楼主は静かに言う。


「そりゃまだ開店時間じゃないから。皆今は寝ている時間だ。月が昇り鬼火が点いたら客がやってくる。ここは常にずっと移動してるんだ。鬼火の道しるべが無ければ君が逃げようとしていたあの橋にはたどり着けない。だから決して敷地の外に出てはいけないよ。見つけるのがとても難しいから」

「そうなんですか?」

「うん。その代わり夜になるとそれはもう賑やかだよ。ただ客と共にでなければ君たち端女郎はこの廊下に出る事を許されてはいない。この廊下を堂々と歩けるようになるのは格子からだ。他には禿達だね。端女郎は仕事の時間になると部屋の裏口から出て客を取り、表玄関から客と共に部屋へ戻る。それがここでの習わしだ」


 廊下に出る事は許されないと聞いて思わず顔を上げると、楼主はこちらを見下ろして薄く笑う。


「当然でしょう? 忘れているかもしれないけど、君は罪人なんだよ。おまけに一番下っ端だ」

「……罪人……」


 そうだった。それを思い出した私が小さく息を吐くと、楼主は少しだけ焦ったような口調で言う。


「いや、ごめん。君の場合は少し違う。他の人間と違って自ら禁足地に足を踏み入れた訳じゃないから、他の皆よりも任期は短いよ」

「……そうですか」


 任期が長かろうが短かろうが、自分の意思とは関係なくここで客を取らなければならないのはもう決まった事だ。


 逃げたい気持ちもあるけれど、あの大学生達の身に起こった事を考えるとそれは得策ではない。人ならざる者の力に、私なんかが何かをしたって敵う訳もないのだ。それならば早々に心を閉ざしてしまった方が良い。両親達が私から離れて行ってしまった時のように——。

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