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子どもの怪我<2>


「子どもが滑り台から落ちたぁ?」


 ケトの説明にカルネが素っ頓狂な声を上げた。


「はい、すみません。私が一瞬目を離したすきに落ちてしまって、本当に、すみません」


 涙目の職員、ケトは足早にカルネを子どものいる医療室へと案内しながら必死に謝罪した。

 その様子に、それ以上責めてはまた一人職員が減ってしまうと察したカルネは「まぁ起こったものはしょうがない」と自信の憤りを抑えた。


「で、ケガの具合は?」

「おそらく両足骨折かと」


 両足骨折。


「……わざと飛び降りたのか」


 カルネの眉間に皺が刻まれた。


「はい。本当に、本当にすみません」


 責められたと思ったのか、ケトの目から涙がこぼれ落ちた。

 男であるが、気がとても弱く職員になって数か月しかたっていないため、まだまだ要領の悪いケトは失敗続きでもうメンタルが折れかけていた。


「いや、アンタは悪くないよ。責任は私が負うから気に病まなくていい」


 カルネはケトの肩を慰めるように軽く叩いた。


「力試しか、自信過剰の行動か。どちらにせよ、降りたくて飛び降りたタイプだろうからね。で、その阿保は誰だ」

「テトリです」


 その名前にカルネの足が止まる。


「……マジ?」

「……はい」

「うわぁ」


 ――――だから私が呼ばれたのか。


 カルネは頭を抱え盛大なため息を吐いた。

 テトリは。

 カルネの担当している部屋の子どもであり。

 有名武闘家夫婦の子どもだった。





「折れてねぇもん!」


 カルネがケトに案内され医療室に着くと、甲高い声が医療室から発せられた。

 それがテトリの声だと、カルネはすぐに気づいた。


「ちょっと挫いただけだって!」

「挫いただけで中の骨が砕けるわけないでしょう」

「骨が柔らけぇんだよ!」

「ほーう、ならこの足は伸びるのかしら?」


 テトリと冷静な女性の声との会話を聞きながら、カルネは医療室に入った。

 瞬間、


「あんぎゃああああ!」


 響き渡る絶叫。


「アヌレイ。また苦情が来るわよ」


 医療室の中の光景に、カルネはため息交じりに言った。

 怪我をした部分の足を容赦なく引っ張る医療室の先生アヌレイに。

 足を引っ張られ、涙を流しながら絶叫する怪我人である子ども。


 ――――どう見ても、虐待である。


医療室しろの主の命令を聞かないガキが悪い」


 フン、と鼻を鳴らしながらアヌレイは手を離す。

 重力を失ったテトリの足はベッドに力なく落ちた。

 柔らかい布団の上でも、骨折をしているテトリにとってその小さな衝撃もかなりの激痛だったのだろう。

「いっ……!」と小さな悲鳴を上げ、テトリは言葉を失い痛みに震えた。


 ――――相当な激痛だろうに、みっともなく泣き叫ばないでいるのはやはり流石武闘家の息子といったところだろう。


 痛みに強い精神力に、カルネは感服した。

 アヌレイは「ほいよ」とテトリの怪我の具合を記した資料をカルネに投げてよこした。


「応急処置はした。魔法で完全治癒にしてやってもよかったが、自然治癒も可能だ。ただし一か月は歩けないがな。治すならいつでもやってやるから、方向が決まったら教えてくれ」


 アヌレイは面倒そうにそう告げると、一つ大きな欠伸をした。


「……アヌレイ。子どもの言動にイラつくのは非常ひじょ~によくわかるけど、苦情が殺到すると余計面倒なことになるから虐待にしか見えないことは控えなさい」


 職務中の職場で無遠慮に欠伸をかます目の前の医療室の長に、怒りの炎を瞳に燃やしながらカルネは静かに言った。


「これでも控えてるんだけどなぁ」


 のほほんと答えるアヌレイに、どこが、と全員が一斉に頭の中で突っ込みをいれた。

 アヌレイは、言動、行動、職務態度など問題行動が一番多い職員だ。

 それゆえに、彼女は普通の職場ではやっていけない。

 だが、その医療の腕は一流の僧侶をも凌ぐほどの回復魔法の使い手。

 命に関わる大けがもアヌレイの手にかかれば一日で完治する。

 病院の者に頼めばお金がいくらあっても足りない病気も、<アンファン>に預けられている間であればアヌレイが通常の保育料しか払っていないのにも関わらずあっさり治してくれる。

 その腕の良さと料金にこだわらない性質から、態度や言動に問題はあれど、結果を残しているため園長はアヌレイを医療室の長として重宝している。

 さらに、アヌレイが<アンファン>に居られるのはそれだけが理由ではない。

 アヌレイは、レズだ。

 しかも、どれだけ見た目が醜悪であっても、女性であれば誰でもいけるタイプのレズ。

 それに加え、イケメンにしか見えない男らしい風貌。

 短髪でさらさらの黒髪で175㎝の長身。

 その冷たくも美しい微笑みは女性たちの心を簡単に奪う。

 子どもを預かる施設で、大体親として苦情を言いに来るのは母親側。

 女性というものは、美しいものに目がない。

 目の保養ともなるアヌレイの容姿は、母親たちの中でとっても評判がいい。

 そのお陰で、アヌレイの態度がいくら酷くても、アヌレイの容姿に騙されてくれる。

 何をしても、イケメンなので許される。


 ただしイケメンに限る


 どこかで聞いたことのあるその言葉は、まさにアヌレイのための言葉ともいえるだろう。


「で、親への連絡は?」

「あ、僕がしました」


 カルネの問いに、ケトが手を上げて答える。


「何て言った?」


 嫌な予感がしながらカルネは聞いた。


「え? テトリ君が滑り台から落ちて骨折したとありのままを――」

「カルネ先生はどこだー!!」


 ケトの言葉を。

 力強い怒号が遮った。


『カルネ先生。テトリ君のご両親が来ましたよ。医療室に案内しときますから、よろしくお願いしますね』


 どこからともなく園長の声が聞こえ、その場に居る全員にその言葉を届けた。

 園長先生お得意の、伝達魔法だ。

 用事のある人物の居る場所を瞬時に特定して言葉を届ける魔法。

 名前さえわかれば、居る場所を簡単に暴ける恐ろしい園長の魔法だ。


「カ、カルネ先生……ぼ、僕、もしかして、やらかしてしまったんでしょうか……?」


 怒号の後の園長の言葉にすっかり怯えたケトが、また涙目を潤ませながら声を震わせた。


「やらかしてるよーケト先生」


 カルネの代わりに、テトリが答えた。


「滑り台、って遊具の名前言っちまったんだろ。俺だったら受け身を取ってケガしない筈なのに、て思ってるだろうから、多分滑り台の高さ見たら――――」

「カルネ先生!」


 またもや力強い声が言葉を遮った。

 勢いよく医療室に入ってきたテトリの父親は大股でカルネに近づくと


「ウチのテトリが不意打ちをくらい滑り台から突き落とされて骨折したって本当ですか! 犯人はわかってるんでしょうね!?」


 鼻息荒くそう言い、詰め寄った。


「――――架空の犯人がいると信じて疑わないと思う」


 3歳という幼い年齢にも関わらず、5歳の子どもに匹敵するほどの口達者のテトリ。

 最後の言葉はケトに向かってボソボソと言い、それ以降はアヌレイの恐ろしい目の光に怯えて医療室のベッドに大人しく横になった。


「あんな低い場所から飛び降りたぐらいで骨折する我が子じゃない! 受け身をしっかり教えてあるんだ。受け身をとれば骨折なんかしない!」

「そうよ! きっと誰かに痛めつけられたんだわ。不審者でも入ってきてそれをこの子が施設を守ろうとして……!」


 父親の後に入ってきたテトリの母親は、父親と一緒に鼻息荒く詰め寄った。

 有名武闘家なだけあり、二人とも筋肉隆々でその場に居るだけで部屋の温度が2度あがりそうな見た目のため、詰め寄られると中々の迫力があった。

 すっかり怯えたケトは医療室から退散し、テトリは下手なことを言わないよう口を閉ざしてベッドに横になり(というより、大人しくしろ、と暗黙の圧力という名のアヌレイが怖いのが殆ど)、アヌレイは素知らぬ顔で回復薬作りに没頭していた。

 カルネの味方など、どこにもいなかった。


 ――薄情な者どもめ……!


 主に背後でのほほんとしているアヌレイに恨みがましく思いながらカルネはにこやか笑顔を張り付けた。


「お父さんお母さん、ひとまず落ち着かれませんか? テトリ君の怪我に響くかもしれませんし」


 カルネの言葉に「これが落ち着いていられますか!」とテトリの母親が声を荒げた。


「むしろ先生がなんで落ち着いていられるんですか! 不審者が入ってきたかもしれないんですよ!?」

「そうですよ! 早くウチの子が身を挺して戦った犯人を見つけないと!」

「きっと犯人が滑り台の上から息子を力いっぱい落としたんだわ」

「そうだ、先生方は犯人の存在に気づいていないだけで真実はそうに違いない! 未だ見つからないのも恐らく隠密のスキルに優れた者なんだ!」


 どんどん可笑しな方向に飛躍していくテトリの両親の話に、どうしたもんか、とカルネが頭を悩まし始めると。

 父親が大きな声で言った。


「そもそも! あんな低い場所から落ちて子どもが怪我するわけない!」


 カルネの眉が、ぴくりと跳ね上がった。

 張り付けていた笑顔がすっと剥がれていく。

 お、これは面白いことになりそうだ

 雰囲気の変わったカルネに、アヌレイは彼女から目を離さないよう回復薬を机に置いて体の向きを変えた。

 カルネは一度目を閉じると、ゆっくり開いた。

 黒い瞳が、紫になる。


「滑り台が低いとおっしゃいましたね?」


 凛としたカルネの声が医療室に響く。

 反響していくその声に、テトリの両親の口が閉ざされる。

 それ以上の発言を許さない、有無を言わさぬ響きを持った声だった。


 ――いさめ魔法使ったな


 その場の空気と状況を変えるカルネお得意の瞳魔法の一種。

 人を操作する魔法なので禁止魔法の一種であるが、その禁止事項ギリギリを通過した特殊魔法である。

 この魔法を使える人物が園長とカルネぐらいしかいないので、対処魔法が存在しないためこれに対抗できる人は有能な冒険者であれどそうそう居ない。

 園長がカルネを重宝する理由の一つが、この魔法を使えることでもある。


「じゃあ、テトリが実際どんな高さで飛んだか教えて差し上げましょう」


 紫の瞳のカルネがにっこりと微笑んだ。

 さっきまでヒートアップしていたテトリの両親は、お互いの顔を見合わせ首を傾げた。


「滑り台ならさっき見ましたけど?」


 訝しげな表情でテトリの母親が言った。


「ええ、ですから」


 カルネが目を閉じ、開いた。

 瞳が元の黒の色に戻った。


「子どもにとっての高さを教えて差し上げます」

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