「今日は5人か。よくこれを楽だと言えるなぁ……タイタン先生」
不意にアッシュが言った。
「俺には分身があるからな」
タイタンはそう言って、得意げにきりりっと表情を引き締めた。
改めて見ると、赤ちゃんが寝ているベッドにつき一人一人に分身タイタンが傍にいた。
「あ、それで……!」
タイタンの身長が低い理由を把握したケトは、思わず声を上げてしまった。しかし寝ている乳児の前で大きな音を立てるのはご法度。すぐにしまったと気づいてケトは両手で口を塞いだが、遅かった。
今のケトの声に反応するように、一人の赤ちゃんが泣き始めた。
すぐに一人一人についていたタイタンが寝ている赤ちゃんの耳をそっと塞ぎ、泣いている赤ちゃんの傍に居たタイタンがさっと抱き上げあやし始めた。
「あ、あ……」
ケトは素早いタイタンの行動のお陰で全員が起きてしまうことがなかったとはいえ、自分のせいで子どもを起こしてしまったという事態に青ざめた。
――やっぱり、僕はダメな人間なんだ
もしかしたら、この仕事は向いていないんじゃないか?
冒険者にもなれない、まともな職にもつけない。
「気に病むな。お前は何も悪くない」
マイナスな方向へと思考が大きく傾いていたケトに、赤ちゃんをあやしているタイタンが言った。
「元々この子はそろそろ起きる時間帯だった。それがたまたまケトが声を上げた瞬間とかぶっただけだ。タイミングが重なっただけ。だから気に病むな。お前は、何も、悪くない」
噛んで含めるようなタイタンの話し方は、不安と罪悪感と情けなさに覆いつくされたケトの心をゆっくり、ゆっくりと丁寧にほどいてくれた。
「そもそも、お前さんは色々と考えすぎてると思うぜ? 真面目な奴ってのはよ、色々考えこんで、抱え込んで。それで病んじまうんだ。まぁ、いきなり堂々としていろ! て言われても簡単にできるもんじゃねぇがよ。俺とか、タイタン先生とか、さ。話聞いたり、相談に乗ったりは出来るから。まぁ、頼れ」
アッシュはそう言いながら小さな子どもをあやすように、ケトの頭を優しく、優しく撫でた。
「は……あ、……はい」
ありがとうございます、と言いたいのに、涙が溢れそうで言えない。
ケトは、せめて男としてのプライドだけでも守りたくて涙を堪え、返事をして俯いた。少しでも顔を上げてしまうと、溜まった涙がこぼれ落ちそうだったからだ。
「にしても、タイタン先生。24時間ずっと赤ちゃんにつきっきりなんて……きつくないですか?」
何とか涙を堪え切ったケトは、空気の流れを変えるためにもずっと気になっていたことを聞いた。
「いや? むしろ楽園だぞ」
「え?」
「なんてったって……」
タイタンはそう言ってようやく泣き止み寝息を立てはじめた赤ちゃんに顔を近付け、鼻で大きく息を吸い込み、ゆっくり顔を離すと感嘆の息を吐いた。
「この最高の匂いを嗅ぎ放題だしな」
目を爛々と光らせながら恍惚の表情で述べるタイタンに、アッシュが「ようするに変態だから続けるのは苦でもないし余裕ってことだよ」とケトに耳打ちしたので、ケトは「あはは……」と笑うしかなかった。
アンファンに就職するべく面接に行く前。
アンファンには超人が多い分、変人も多いという根拠も何もない噂が立っていた。
(あの噂は……あながち本当だったのかも?)
そういえば、カルネ先生も子どもたちの前ではふにゃふにゃした顔をしてたっけ。
そんなことを思い出したケトは、元手がわからない噂も侮れないと思うのだった。
「ああそうだ。そういえば0歳部屋の仕事について説明してなかったな。とりあえず、そこの書類を見てくれ」
赤ちゃんをベッドに戻したタイタンは、隅にあるデスクを顎で示した。
「あ、これですね」
ケトはタイタンのデスクの上に置いてある書類を一枚手に取った。
そこには、赤ちゃんの1時間置きの体温、ミルク時間と飲んだ量、排せつ物の量と状態(尿も含む)、睡眠時間などが細かく表になって書かれていた。
その中に、魔法という項目があった。
「魔法?」
思わず声に出して読み、赤ちゃんなのに?、とケトは驚いた。
「そこが冒険者の子どもの厄介な所だ」
タイタンはそう言うと、スヤスヤと寝ている赤ん坊たちへと視線をやった。
「冒険者の子どもは、親の能力をそのまま引き継ぐ。魔法だったり、スキルだったり、それは多種多様。そして受け継ぎ生まれた赤ん坊は、その力のコントロールを出来ない。まぁ何にも知らない状態で生まれるから当たり前な話だ。で、ここから厄介なのが、赤ん坊には下手に魔法を施せないって部分だ」
「回復薬と同じように、耐性がないからですか?」
ケトが問いかけると、タイタンは「そうだ」と頷いた。
「出来る出来ないで言うと、まぁ、出来る。だがとんでもない精密な技術がいるのと、絶対に失敗は許されない。少しでも失敗すると、能力を封印しきれず赤ん坊の身体が内側から破壊されてしまう」
破壊。
内側から爆発してしまう状態を想像してしまい、ケトは恐怖でゾッと震え青ざめた。
「だから魔法は施さないんだ。だが、そうすると能力を持った子は、泣いたり、笑ったり、興奮するだけで魔法を出してしまったりスキルを発動してしまったりする」
タイタンはそこまで言うとケトの持った書類に指を指した。
「だから、それにどんな状態の時に発動したか書くんだ。防いだ方法と、使った構築魔法もだ。まぁ、今の所園長先生が編み出した相殺魔法で何とかなっているがな」
「相殺魔法なら影響がないんですか?」
「上手く使いこなせれば、ない。俺は散々練習して相殺魔法に関してはプロ級だ」
タイタンがそう答えた瞬間。
奥のベッドを見ていた分身タイタンが片手を上げた。
すると、寝ている赤ん坊からチリチリと火花が散った。
「
手を上げたタイタンが静かにそう呟くと、火花は消え去った。
「……まぁ、今のが例みたいな感じだな」
タイタンはそう言うと手を上げ、デスクにあるペンを魔法で動かし並べられている書類の内の一つに何やら書きとめた。情けない表情で口を開けて見ていたケトは、ハッと慌てて表情を引き締めた。
「あ、あれ? じゃあ、親も同じようなことを?」
「能力が高そうな赤ちゃんを持つ親には
タイタンはそう言うと手を降ろした。
ペンがデスクの上で倒れた。
どうやら書き終えたらしい。
「赤ちゃんて、世話をするのに1日中大変なんですね……」
「まぁな。だから寝不足の母親が続出する。夫婦で交代すればまだ楽なんだが、どれだけ注意忠告しても理解しない男親が未だに多い。実際に様子を見ない限り、ケトもわからなかっただろ?」
タイタンに指摘されたケトが気まずそうにこくりと頷くのを見て、「まぁ、見ても母親なら出来ると信じて疑わない
『アンタ、わかってる? 保育ってのは命懸けでやらなきゃいけないのよ!?』
常日頃ミナミレに言われていた言葉をケトは思い出した。
ケトは、彼女の言葉に対してそんな大げさな、と思ってしまっていた。
けれど、タイタンの保育の様子、実際に目の前で起こる寝る暇も息を吐く暇も与えてくれない子どもの様子に。
保育とは、ミナミレの言葉通りのことだと理解した。
――僕は、もしかして
(保育の重みを何もわかっていないのではないだろうか?)