1歳の部屋は、乳児の中で唯一職員の人数が足りている。
ちなみに、0歳はタイタンのおかげで人数を補充することなく、お手伝いとして補助の人がいることで何とか成り立っている。
本来ならば、0歳の部屋に職員は5人必要だが、こればかりはタイタンの無限体力のおかげといえるだろう。
一方で2歳は、アンファンの中で主任のツボネの次に古株のミナミレがいるから何とかなっている。ケトしか補助がいないが、新人で頼りないながらもそこそこ優秀な力を持っている彼なので、実は能力的にはミナミレと相性がいいのだ。
けれど、本来ならば、4人の職員がいる。
ミナミレの優れた空間把握力と時魔法(実は数秒だけ時を止める魔法を使えるのだ)を持っていなければ、事故やトラブルを起こすことなく子どもたちを見ることは到底無理な事だ。
そんな中、唯一人数の足りている1歳の部屋。
それには、理由がある。
まずは、セレーネが若く、まだ経験を積み切れていないこと。
でもそれはささやかな理由でしかない。
何せセレーネは若さの割に真面目で芯がしっかりしている。
補助が一人減っても問題は――まぁ、あるが、万が一そうなっても何とかできるほどの技量はある。
一番の問題は。
1歳が一番”不安定”だからだ。
忘れてはいけない。
アンファンは、ただの24時間営業の保育施設ではない。
冒険者の子どもを預かる施設だ。
セレーネの得意魔法は糸。
危険行動をする子どもがいたら糸で止め、落ちそうな子どもがいたら糸魔法でクッションを作り、視界では把握できないものを音で感知できるよう部屋に見えない糸を張り巡らせて危険があればすぐに気づけるようにしている。
ただ、音では限界がある。
それを補うのが、鷹の目のスキルを持つアロだ。
アロは園長とはとある縁で友人らしく、アンファン創立からいる人物である。ただ、保育士としての資格を持っていないため、補助に徹している。
本人曰く、「もう年だから、家族で普通に食べていけるだけ稼げたらそれでいいのよ」だそうだ。
要領もよく、常に冷静な彼女が保育士として戦力になればとても心強いのだが、こればかりは本人の意向なので”彼女を頼り過ぎてはいけない”を鉄則とされている。
もう一人の補助はアンファン最年少であり、仕事というもの事態がそもそも慣れていないイデだ。彼女は保育士という資格を所持している者だが、どうもケト以上に頼りなさと幼さが抜けないため、補助となっている。
20歳になってから入った彼女はアンファンに来て1年は経つのだが、園長のお眼鏡にかなった能力をどうもうまく使いこなせていない。
その能力というのが
そこにいるだけで、人の怒りを抑え、心を穏やかにさせるとても便利な能力だ。彼女の見た目がふわふわとした可愛らしい容姿であることからその能力はより強く発揮されるのだが……
彼女は、落ち着きがない。
そして、空気が読めない。
よく見れば同じ色の玩具を取りあっているとわかる子どもに対して
「ナタ君はこっち! メイちゃんはこっち! はい、これで半分こできたね! え、違う? じゃあこれを……え、え、何で泣くの? もー、イデ先生わかんないー!」
と、違う玩具を与えてしまい、泣きはじめた子どもと一緒に泣く始末。
これを諫め、何が間違いでどういう風に見れば子どもの様子が見えてくるかをいつもアロがアドバイスしてあげているのだが、アロの指導がイデにとっては厳しくかつ冷たく感じるようで、どうもまともに受け止めてくれないらしい。
セレーネが言うと受け止めてくれるのだが、セレーネは担当職員なのでイデへの指導も、なるとどうしても手が回らない。
だからこそアロに任せているというのに、イデはそれすらも察してくれないのだ。何故かイデは、ケト以上に年上女性を怖がり、ケト以上に話を聞かず物理的にわかりやすく耳を塞いでしまう。
イデにとって平気な女性は年が近い0歳補助のワンダと、セレーネと、カルネのみ。
カルネは年齢は離れている方ではあるのだが、雰囲気が優しいから平気なのだそうだ。かといって言葉選びの上手なカルネに任せることはそれこそ無理な相談であり、0歳補助のワンダはいつか担当も出来るようになろうとタイタンの元で必死に勉強しているので、イデに構っている時間などない。
なので、結果的に同じ補助であり人生経験が豊富なアロが指導者として一番適任なのだ。
1年経ってようやくアロから逃れられないことだけは察したらしいが、やっぱり中々言葉を受け入れようとはしてくれない。ミナミレならブチ切れものだが、年を重ね人生の様々な経験を積んでいるアロは決して怒りを面に出さない。
冷静さを欠くことなく辛抱強く指導しようとしてくれている。
イデはよく、「タイタン先生と一緒がよかったなぁ」とぼやくので、恐らくその持ち前の可愛さと和スキルで今までやってきたのだろう。
癖があり力を持った者ばかりが揃うアンファンでは、持ち前程度のスキルは通用しないので彼女としてはかなり苦労しているらしい。
その気持ちは職員全員わかってあげられる。
1歳担当として動いているセレーネもアンファンに来てすぐは似たような経験をしたから非常に気持ちを汲み取れている。
だが。
イデはもう、仕事をする成人した女性なのだ。
(どうにか弁えてくれないものだろうか)
アロからのアドバイスを相変わらず嫌々という様子を隠すこともなくふくれっ面で聞いているイデを見て、セレーネは毎度ため息を漏らしていた。ただでさえ厄介な1歳を相手にしているのに、イデの厄介さは中々の障害である。まさか大人を保育する羽目になると思っていなかったこともあり、セレーネは余裕がある時に何とか気を配ることでこなしていた。それも、1歳児は不安定だからと職員を多めに割いてくれた園長のお陰ともいえる。
1歳は、言葉で上手く伝えられない不満があると、全て行動で示す。
叩いたり、突進したり、ひっぱたり、押したり。
怪我につながるようなことをしがちだ。
玩具の取りあいとなると、それはそれは激しい争いが始まる。
その中でも厄介な行動が、噛みつきと魔法の誤発射。
そう、これが最も”厄介”なのだ。
だからこそ、セレーネが1歳担当として適任者とされたのだ。
魔法探知をできる糸を張れるセレーネが、必要不可欠な保育士なのだ。
そして、今日。
早速1歳の子が1人、誤発射を起こした。
しかもそれは、遊んでいて興奮したことによる誤発射だった。
鷹の目スキルのアロだけでは気づけなかった。
セレーネの糸が反応したから気づけたことだった。
1歳の女の子、メイから発せられた魔法は超音波。
音もなく人を気絶させる超音波魔法だった。
セレーネが咄嗟にメイを魔力防壁を纏った糸で囲ったことで被害は0で済んだ。
1歳から施設に来たメイ。
親の能力はヒアリングで聞いていたものの、父親は音魔法で、母親は空間把握魔法だけという、シンプルな魔法能力しかないはずだった。
「合わさるとそんなことになるんですね……」
一部始終を見、一瞬で何が起こったか把握したアロはただならぬ雰囲気にオロオロするイデに説明することも忘れ呟いた。
「流石にこれは特例事項だから……ちょっと書類が面倒だなぁ」
こういうことが四六時中ある1歳。
何故これがカルネではなく私なのかと、これから訪れる忙しさにため息を吐くセレーネだった。