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第6話 決断

「いつの頃か俺はレンが気になるようになっていた。そうだな、中等部の夏の合宿の頃からだと思う」

ああ、3年の時ね。 中等部の時の合宿は3年しかないもの。

お互いの苦手科目が違ったから、お互いに教え合ったわ。勉強の合間にお喋りして、 サジタリーの事を色々知れた。

そう言われれば、その時から私も気になっていたのかもしれない。

「その気になる気持ちが何だか分からないままに高等部を卒業し、父の勧めで他国を回った。学生という間は自国という狭い空間しか知らない。そうして学生の間はまだ感情が幼く、己の欲望のまま生きる時間だ、と。だが、その時間を経て世界を、他国を見た時、幼き欲望と新たな欲望が混ざり、己の世界観が変わる、と諭された」

素敵な言葉だ。

己の世界観がかわる。子供から大人へと変わる貴重な時間を陛下は下さったのね。

そう思うと、よりサジタリーが大きく素敵に見えた。

「とても楽しかった。自国と全く違う料理、考え方、姿、全てにおいて新鮮で、刺激的だった」

目を輝かせ言う姿に、私の心があたたかくなった。

教養だけでは、人の心は理解できない。

それは、ただ文字の中で、己と己の狭い人間だけで空想を膨らませているにすぎないからだ。

相手があって、初めて生まれる心、そして言葉、感情がある。

ましてや他国となれば、様々な文化が存在し、価値観も違う。

良かったわね、サジタリー。

あなたはとても素晴らしい時間を、素晴らしい人たちと過ごしたのよ。

「だが、何か足りない、と常に寂しく思っていた。あの声が聞こえない、あの姿が足りない。そう思うと、会いたいと、側にいて欲しい、と願うようになった。そうしてやっと気づいたんだ、俺はレンを1人の女性として求めているのだ、と」

「・・・っ」

内容に驚き顔を見ると、熱い眼差しが、胸を射抜く。

黒曜石の瞳がまるで、私を支配するかのように煌めき、目が離せなかった。

「この留学が終わったら、伝えよう、と思っていたら、君は婚約していた。俺の知らない奴と。・・・いや、分かっている。貴族の婚約などありふれている。だが、ずっと後悔の念に苛まれた。何故、たった一言、待っていて欲しい、と言えなかったのか。何故もっと手紙を出さなかったか、と。・・・自惚れていたんだ。そんな言葉をかけなくても分かってくれている、と。その結果、酷く後悔する事になった」

私も同じ気持ちを持っていた。

あなたが留学する時、わざわざ出立の日に呼んでくれたのに、

あなたが好きだ、

と言いたかったのに、言えなかった。

私は怖かった。

あなたに、

俺はそんな気持ちなど持っていない。すまない、

そう言われるのが、怖かった。

どうせ玉砕するのだから、気持ちを切り替えるために、いい思い出にする為に告白しよう、と幾度も考えたのに、いざサジタリーの前に立つと、強固だった気持ちが萎み声にならなかった。

この関係に終止符を押されるのが、怖かった。

「俺はただ、レンが幸せならそれで良かった。 ・・・なのに、あいつは何一つ叶えてはくれなかった。婚儀が終わった後の旅行もない上に、すぐに愛人を呼び入れる愚行に走る男だった」

「・・・」

返す言葉がない。

「あの2人は大分前から、思いを寄せあっていたし、身体の関係も前々からあったから直ぐに子供ができるのはないか、と思っていた、と屋敷の召使いが教えてくれた」

「よく教えてくれたわね」

「金を握らせれば簡単に教えてくれた」

怒っている。

肩を竦め軽い口調ながらも、語尾がいつもと違う。

「だから、あんなに急いでいたのね」

婚約して、婚儀まで、それも今回は家督相続と言うのも一緒にやり、とても盛大なパーティーをたったで1年で行った。悠に2年以上はかかるのをとてもスムーズにやり終えた。

まるで始めから決めていたかのように。

いや決めていたから、スムーズだったのだ。

私がその1年で、どれだけ血の滲むような努力をしたのか、あの人は知らないでしょうね。

ザカリ侯爵の家礼儀作法も、関係ある人間の名前、顔、全てにおいて、殆ど寝ずに覚えた。

あの人達にとって、私、という存在は人形と同じで、生きた、人、として扱うつもりが初めからなかったのだ。

「金、が欲しかったのは知っていたが、そこまで非道な人間だとは思わなかった!」

お父様の悲痛で、そして、後悔を滲ませた言葉にお母様の頬をまた、涙がつたった。

「だから、俺は諦めることを辞めた。それなら俺が貰う、と」

「サジ、タリー?」

貰う?

どういう意味?

「ここに全て書類も揃えてある。後はレンのサインだけだ」

今更ながら机の上に置いてある茶封筒に気がついた。

「何の書類なの?」

「離縁のな」

「っ!!」

「白い結婚で1年以上経てば離縁が出来る。その為の、屋敷の証言も貰った。屋敷の3分の2の証言と、またその者のサインを貰えば、提出できる」

「・・・あつ、めたの?屋敷にいる召使いの証言も、サインも?」

まさか、と正直な所疑った。

あの屋敷で私の味方だ、と思える人間などいなかった。

「言っただろ?金さえ握らせれば大体はどうにかなる」

得意げに一国の王子が堂々と言う内容ではないような気がするが、現実そんなものだろう。

「その後は、俺と婚約しよう」

「ほ、んきなの?」

「お前の事をサジタリー様は想ってくれて、こうして全部に対して動いてくれた。・・・こんな事になっているとは思いも知らなかった。おまえは何も明かさず、幸せだ、としか言わなかったからな」

言えなかった。

そんなふうに心配な顔をさせたくなった。

「・・・お父様」

「そうよ、とてもあなたの事をサジタリー様は変わらず想って下さっている。それに、あなたも、サジタリー様の事を想っていたから本当にいい事だわ」

「お、お母様!?なにを、い、言い出すの!?」

「そうだ。いつもサジタリー様サジタリー様と、家で話していたからな」

「ちょっと、お兄様まで、何言ってるのよ!!」

恥ずかしい事を言わないでよ。

「大丈夫だ、レン。その話はよく聞かせて貰ったから」

ニヤニヤと隣で笑うサジタリーに頬が赤くなった。

「それとも、離縁しないのか?」

握る手が強くなり、確認するようにサジタリーが聞く。

離縁しないか?

それは、つまり、またあの家に帰り、また、お飾り侯爵夫人に戻る。

また、作り笑いをして、

また、ひとりで寝室で寝て、

また、ホーン様とカテリナの仲睦まじい姿を見て、

また、嬉しそうにお腹をさするカテリナを見て、

また、

虚しく、

あの、辛い日々を送る。

あそこに戻る?

ぞっとした。

「い、やよ。もう、帰りたくない!」

あんな、私の場所がない所など、

「二度と帰りたくない!」

「では、君は俺のものだ」

得意気な顔で、そんな恥ずかしい事をよく家族の前で言えるな、とこっちが恥ずかしくなった。

お陰で、さっきまで不安な気持ちがどこかに行ってしまって、ただただ、頬が熱くなり下を向いていた。

こんな風に昔は言わなかったくせに、何だか狡い男の人になったな。

言い返しにくいじゃない。

当然私は書面にサインした。



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