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第7話

冬の冷たい雨が石畳を濡らすなか、海軍省の報道室に一人の伝令が駆け込んだ。

横浜電信局経由で届いた電報は、まるで戦場の火薬の熱気をそのまま抱えているかのようだった。


――「雲揚、江華島沖にて砲台一時制圧、勝利」


短い報文を読み終えた瞬間、川村純義海軍卿の口元にわずかな笑みが浮かんだ。

脇に控える参謀たちも安堵の息を漏らす。室内の空気は、緊張の糸が切れたようにわずかに緩み、誰もがこの報せが持つ意味を悟っていた。


「よくやった……」

川村の声は低いが、確かな誇りが宿っていた。

砲台の制圧は永続的な占領ではない。それでも、異国の海岸に堂々と艦砲を据え、敵の砲声を沈黙させたという事実は、海軍にとって大きな勲章だった。


作戦会議は即座に開かれる。机上に広げられた江華島周辺の海図には、雲揚の航跡と砲台の位置が赤く記され、参謀たちが次々と意見を述べ合う。


「被害は最小限、日本側の死者一名、負傷者十数名。朝鮮側は死傷数十名、砲台二基を鹵獲」

「木造主体の砲台だったが、敵の反撃は激しかった。次はより堅固な備えが来るだろう」


それでも、会議の場には悲観ではなく、確かな手応えが漂っていた。

川村はその空気を受け止め、静かに言った。

「この成果は海軍の未来を拓く鍵だ。ここから外洋で戦える力を固めていく」


数日後、戦果と予算増額案を記した上申書が太政官へ送られる。

大久保利通はその書面に目を通し、口角を上げた。

「……これで、ロシアも軽々しく動けまい」


誰も声には出さなかったが、北方の沿海州やウラジオストクの名は、全員の脳裏にあった。


江華島で轟いた砲声は、単なる局地戦ではない。

それは、海軍が外洋へと漕ぎ出すための、確かな第一歩だった。


そして、この海軍の戦いが、翌年の「日朝修好条規」の成果へとつながる。


明治九年(二月二十六日) 漢城近郊・江華島


「日朝修好条規」調印の場となったのは、冬の曇天の下にひっそりと佇む木造の公館だった。

室内は薄暗く、煤けた梁と古びた畳の匂いが漂う。長机を挟み、日本側には井上馨特命全権大使と海軍将校たちが並び、その背後には剣帯と軍服の威圧が控えていた。

対面には朝鮮の高官たち。衣袖からのぞく指先は冷え切り、視線は机上の条約文に釘付けになっている。


朱印が押されたばかりの条約文からは、まだ墨の香りが立ちのぼっていた。

通訳が条文の要点を読み上げる。


「第一条――朝鮮は自主の邦にして、清国の属国にあらず」


その言葉に、朝鮮側の官僚の眉がわずかに震えた。

文字の上では独立を謳うが、清国の影響が即座に消えるわけではない。

だが、日本が清の干渉なしに直接交渉できるこの文言は、東京にとって軍事行動の最大の成果だった。

背後には、雲揚号の艦砲が示した近代海軍の力がある。


「第二条――釜山のほか、仁川および元山の二港を開く。日本国臣民は居留地を設け、自由に居住・交易するを得る」


地図上で仁川と元山が指し示される。

朝鮮側の席から小さな息が漏れた。蒸気軍艦を前にした沿岸防備の脆弱さ、港に異国旗が翻る未来の光景が脳裏をかすめたのだ。


「第五条――朝鮮国中にて、日本臣民が犯したる罪は、日本国の法律に依りて裁判す」


治外法権――不平等条約の象徴。

年配の官僚は机の下で拳を固く握った。自国で裁けぬ屈辱は、声に出せば怒号となるとわかっていた。


続いて通商条項が告げられる。

「……朝鮮は輸出入に際し、関税を自ら定むる権を有せず」


その一文は、日本商人に圧倒的な利益を保証し、朝鮮の国庫を縛る鎖となる。

保守派の官僚たちの胸に、怒りと焦燥がないまぜに渦巻いた。


調印が終わると、井上馨は静かに起立し、巻物に収められた条約文を抱えて退出した。

廊下の外には、凍てつく空気と鈍く光る漢江の流れが広がっていた。


随行の若い士官が小声で問う。

「……これで、朝鮮は我が国の意のままに動くでしょうか」


井上は歩みを止めず、低く答える。

「意のままにするには、この力を示し続けねばならぬ」


その夜、日本側の宿舎では、新たな開港地が地図に墨で記され、士官たちが航路と軍港化の構想を語り合っていた。

一方、漢城の片隅では、燭台の灯りの下で「屈辱の日」と記す筆が、静かに紙面を走っていた。


この一枚の条約が、のちの甲申政変(明治十七年)、そして日清戦争(明治二十七年)へと続く火種となることを、その場にいた誰もがまだ明確には予感していなかった。

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