「…――――あー、もう、ミケさま――、…入るの?はいらないの?」
コタツの上かけをあげてすきまをつくる。
何とか横になってやすむことに集中しているニンゲンの、最近はこれが日課だ。
いや、毎時?何分かごと、…?
ともあれ、まだ寒い日もあるような、もう温かいような境目の季節。
ミケさま――うちで一番えらいのは三毛猫のミケさまです、…――が、コタツに入るのかどうなのか、すぐそばまで来てコタツのすその前にきちん座ってから顔をよせてこちらをみるから。
「はい、はい、…―――あけますってば、ていうか、あけたでしょ?入らないの?」
ミケさまはきまぐれだ。ねこなんだから当然なんだけど。
そんなことを思いながら、コタツの上かけをめくる。
これを何度かくりかえしていて、――どうやら、今回は中にお入りになるらしい。
―――いや、いいんだけど。
と、これも毎度のことだよなあ、とニンゲンは考える。
出るときはすきまを開けたまま外に出て、実は入る時も自分で入れるのは知ってる。それでも、下僕としてはミケさまが中に入りたそうにしていれば上かけをあげ、コタツの中にお入りいただくのが役目なのだ。
――けど、ここにいると、まるで「あけなさい」とかいっているみたいに整ったお顔でいわれるんだよなあ、…。いわれてる気がするっていうか。
ミケさまは美猫だ。
細身で容姿が整っていて、本当に美猫だとおもう。
近所で、まだ外にいたときから、ミケさまは随分ともてていた。
そう、まるで、女王様みたいだよね、ミケさまは、…。
内心、ニンゲンはミケさまを女王だと思っているのだが。何にしても、この家で一番えらいのがミケさまであることは間違いが無い。
上かけをあげて、下ろしてから、少し姿勢が、…。
――――うっ、…いたい、…いや、考えるな、じぶん、…。
考えたら負けだ。痛いのなんて、考えないことにすれば、…―――――。
―――う、…。まだ、でも、これは、なんとかなるっ、…。
根性で痛みを忘却の彼方に押しやり、忘れようとつとめる。そもそも、一応は動かずにじっと、それこそ安静にしていれば、痛みは―――ゼロにはならないけれど、動いているときよりはましになる。
――痛み止め、つかえないもんなあ、…。
コタツに左肩を下に横になり、クッションを姿勢を保つためにいれて、息を吐く。
交通事故で安静を言い渡された後、入院しておけばよかったと後悔することは山のように起きたけど、まあなんとかやっていた。
―――トイレ掃除はしたし、…砂はかえた、…。お水も取り替えて、ごはんもあたらしくしたから、…すこし、やすもう、…―――。
安静をいいつかっているが、ねこ様のお世話だけは忘れない。
何か間違っていないか?と訊きたくなるかもしれないが。
すでにいろいろ間違っているのだから、どうしようもないというものなのかもしれない。
うん。
ニンゲンのこの状況を、神様達とねこ様達がどうみているかというと、―――。
神様は、困惑していた。
そーっと、異世界転生にこのニンゲンを推薦してきた若い神を見返る。
「そのさ?おまえさんが、…このニンゲンを推薦したのって、…もしかして、だがの?」
若い神がきかれてちょっと視線を落とす。
その先には、ちょっと気になった神様が、うっかりニンゲンの来し方などを確認してしまった―――ニンゲンのこれまでの人生航路が軌跡を描いていたのだが。
「…もしかして、転生先では、これまでの不幸とくらべてしあわせなというか、…ゆったりスローライフとかでも、させてあげるつもりだったり、…したのかのう?」
「―――――、」
無言で、若い神が視線をさげる。小さくうなずいているのは、肯定の為だろう。
無言で神様もしばし若い神をみる。
「…うん、そうだよね、…」
確かにね、そうだよね、と神様がしみじみという。
いま、下界でねこ様のコタツ出入りの為の上かけあげさげ係となっているニンゲンだが。
その半生は―――いや、もう終わる処だったのだから、一生でもいいのか―――ともあれ。
神様が、推薦してきた若い神は、この不幸にすぎるニンゲンの終わりに、ちょっとしあわせになれる処に転生させてあげるつもりだったんだね、――――と。
ごめんね、…と。
ちょっとおもってしまうくらいには、不幸だったのだ。
そもそも、ニンゲン。
生まれたときから、死にかけていた。――――
「とにかく、――いまはまず身体をなおそう、…」
う、と動く度につまりながら、考える。というか、他に出来ない。
痛み止めがきかず、微熱が続いている。だるいのはもうどうにもならない感じだ。
そして、悪いことに、湿布が使えなくなった。
―――まあ、想定内、だよね、…。
痛み止めが使えない。飲み薬としては無理。かわりにと処方された湿布をすなおに貼っていたのだが。
見事に、かゆくなってきて、赤くなった。そして、痛い。
あきらめて、湿布をはがして横になった。それを後日病院で伝えると、成分が一緒なので、心配ですから使わないようにしましょう、といわれた。
それはともかく。
「うーーん、だるい、…」
ものがきちんと考えられない。身体がだるくて、一日ぼーっとして寝ている感じだ。
本当は新しい仕事とか考えたいのだが、…無理すぎた。
「しごと、…――――」
ねこ様達のご飯や砂を買うお金はある程度よけてある。買い置きもあるから、しばらくは外に出なくても大丈夫だ。
ニンゲン用のご飯も、非常食系があるから、しばらくはもつ。
冬場、外に出られなくなることもあるのに備えて、他の季節よりストックを多くしていた――それも、もう終わる時期ではあったのだが――のが幸いしたといえる。
―――…う、とにかく、…ねよう、…。
寝る子は育つ。いや、ともかく、安静にして身体の回復を待つ。
動くときは、基本的にねこ様のお世話の時間。
急性期の二週間、とにかく、安静に。
病院に来るよう指示のある日は、タクシーで移動。
右手の握力は、まだ戻らない。
「水を汲むのが大変だよなー」
ねこ様達替える際の器を、普段は右手で持っていたのを、左手で持つ。
一度、器をおいて、蛇口を左手でひねる。
水が出たら、器に入れる。
器をおいて、まだ出ている水をとめる。
「結構、大変だ、―――普段は何も考えずに両手でやってるんだなあ、…」
つぶやきながら、台所に置いたテーブルを振り向く。
「わかったって、おやつだよね?」
ニンゲンが台所にきた途端に、ぴょん!と一息でテーブルに飛び乗ったのはしま王子。行儀が悪いとはおもうが、ニンゲンはねこ様に甘く、テーブルに乗るのを許してしまっている。尤も、普段このテーブルは食事には使わず、作業台としている為でもあるのだが。料理を造ったりするときは、ねこ様達には他の処であそんでいただいて、その隙にテーブルを消毒して拭き、仕度をしているのだ。
何だか、あまりにもねこ様中心のニンゲンである。
ちなみに、ねこ様が危険なので包丁の類いは普段しまわれていて、調理器具を稼働する際にはねこ様達の気を逸らす為に別室でくつろいでいただけるように準備をしてから行っている。本当に、ねこ様中心すぎるニンゲンである。
それはともかく。
いまは、しまくんがテーブルの上に乗ってしまっている。
朝だ。
朝ごはんの時間だ。
ねこ様的には、もっと早い時間が朝ごはんの気分なのだが、ニンゲンが起きるのが遅い為に、ねこ様達はある程度の妥協をしている。といっても、ねこ様達の朝ごはんの気分時間は朝五時位であり、ニンゲンが起きるのは六時半から七時の間であるため、ニンゲンの朝が人間としてそう遅いというわけではない。多分だが。
そして、ここにも、ニンゲンがペットホテルにねこ様達を預けるのを躊躇した理由があった。
ごはん!おやつー!
と、瞳が輝いているしまくんが催促しているのは、朝になると最近ずっともらえるようになったおいしいおやつだ。チューブ状のあれに入った、ねこ様達の大好きなあれである。
「はいはい、すこしまって、しまくん」
行儀良く、両足を揃えて座っているしまくんだが、ニンゲンがちゅー○のチューブを手に取った途端、ハナを寄せてくる。
「はいはい、だからちょっとまって、」
いいながら、背を向けて小さな器に向き合って。
こっそり、白い錠剤を器に出し、ちゅー○を同じ器に出してその中にお薬を隠す。
そう、しまくんはアレルギー治療中のねこ様だった。
冬場で、油断してダニ予防のお薬をつけていなかったら。
鋭い爪で顔を掻いてしまい、―――。
――しまった、…。
というわけで、ニンゲンはあわててしまくんを病院に連れて行き、アレルギーのお薬と、傷が治るまでの抗生剤をしまくんに飲ませていたのである。
飲ませるというか、お薬をおやつに混ぜて、ごまかして食べてもらうというか。
そんな風に工夫しているニンゲンの背に、しまくんはまちきれずにテーブルの端によって、ニンゲンの背をつついている。
つんつん、とハナでつつくのは、ニンゲンの背だ。
一応、薬を入れるのを隠してみているニンゲンにかまわず、しまくんは前にもってこられた小皿に、目を輝かせてとびついて食べる。
――ニンゲン、さいきん、ぼくに朝かならずおやつをくれるもんね!
毎朝、一日一回のお薬の時間を朝にニンゲンは固定しているのだが。そのお薬の時間は、しま王子にとって、必ずぼくにだけもらえるおやつの時間である。
うん、平和だ、―――。
そんなことを、しまくんをみながら、ニンゲンはおもう。
おやつに混ぜても食べない子もおおいのだが、しまくんはちがう。
病院に連れて行くのも、「スペシャルおやつをもらいにいくからね?」といいきかせてキャリーに入れるニンゲンの言葉がわかっているのか、特に激しい抵抗はしない。これがミケさまなら、期を逃せば家の何処に隠れておしまいになられたかまったくわからない状況にまでもっていかれてしまうことだろう。
それにしても、―――。
何とか、とにかく、…。
二週間後に診察、そのとき、少しは動けるようになってたらいいんだけど、…。
ちょっとぼーっとしながら、ニンゲンは考える。
相手がみつかって、――交通事故の治療にかかる費用を、相手の保険会社がもってくれることになった。
――相手が、任意保険に入ってて本当によかった、…。
尤も、それまでに治療で掛かった費用は立替えになってしまっている。相手がわかってからの治療費は必要がなくなったのだが。
ちなみに、全額自費になるのかと思ったら、違った。
交通事故対応、というのが出来る病院でみてもらうと、普通の診察と同じ三割で済むようになるらしく、これまでニンゲンが立替えている費用もその三割だ。
これに関しては、最初に乗ったタクシーの運転手さんに教えてもらったりとしたのだが。
それはともかく。
――仕事は、なくなった。
それでも、休業損害というのが出るのは運がよかったな、…。
いや、それを運が良いというのかどうかはともかくとして。
会社は、結局辞めることになった。
どうしようもない。
試用期間に交通事故に遭うような人間は必要ない――というか、まず急性期に安静にする為、二週間の休業を診断書で指示されたのをFAXしたら。
退職はもはや既定路線となった。
まあ、いいか、…――。
次の診察でもおそらくまた二週間の休業を指示する診断書が出るだろうといわれている。多分、それで、退職になる。
計四週間。
約一ヶ月。
そして、保険料を会社が払いたくないから、月末より前の日付けで退職届は書くことになるだろう。
――四週間したら、字も少しはきちんと書けるようになってるかな、…。
そんなことをぼんやりと考えつつ、だから、次の仕事を探さないと、と思うのだが。
痛みを堪えて寝ているだけで、時間がすぎていく。
それでも、休業損害としておそらく四週間に近い分が支払われる――相手の保険会社からで、会社からではない――のは、ありがたい話だと思う。
――それにしても、…失敗したなあ、…。
あせっていただろうか?この会社に就職したときに?
うん、まあ何というか。
少人数すぎて、とか色々あったのだけれど。
はやく仕事をみつけなくては、とそう思っていたのは確かだ。
そう、あのとき。
地震で、怪我をして、―――。
仕事が出来なくなって。
一年のほとんどを、壊れた家の片付けと、怪我を治すことですごした。
それから、その年も残り少なくなって、怪我も治り動けるようになったから。
何とか仕事を探して、――――。
そして、見つかったのがこの仕事だった。
そこを、しかし。
試用期間中に交通事故に遭い怪我をして辞めることになるなんて、―――。
思ってもいなかった。
しかも、怪我は正月のときよりも酷かった。
何か、なあ、…―――。
お正月の地震で怪我をして。
割と軽い怪我ではあったのだが。
家が一部損壊になり、お風呂はこわれてつかえないままだ。
仕事場の壁にはヒビが入り、内装が落ちた。
産休代理で受けた仕事でもともと短期だったが、首と頭に怪我をしたこともあって、契約は打ち切ることになった。
それから、―――。
神様が、困惑するくらいに。
そして、若い神が転生させてあげよう、とおもうくらいには。
困難と不幸がつきまとったニンゲンの半生といえるのかもしれなかった。