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20 巨大なしっぽと箱庭の夢


「世界の監視というのはまた大変なお仕事でございますね」

白髪の老紳士があえかに微笑みその手に開いてみながらいうのは、一冊の本だ。

古い羊皮紙で綴られた本の背表紙は幾度も縫い直されて受け継がれてきた年月を感じさせる。

 背景となるのは円形に延々と続くと思える程に膨大な本を書架に納める螺旋の壁。美しいマホガニーの飴色が開架の棚を作り、背表紙も美しい本達が数えることも難しいほどに並んでいる。

 図書室というにも膨大な本を背景に、漢が肩を軽く竦める。

「そうでもない。あんたも知ってるだろう」

「さあ、どうでしょうか?」

ぶっきらぼうにいう漢に、老紳士が不可思議な視線を送る。

 漢の姿を見たら、若い神が驚いて名を呼ぶだろう。

 若い神と共にいた嵐神、――――。

 嵐神と神々の世界で知られていた存在が、いま人にみえる姿となって現れていた。

 ハンサムといっていい背の高い漢は、着ているのがスーツであるのが似合わないくらいに鍛えられた体躯とみえる。両手をポケットに突っ込み、行儀悪く視線を流して問い掛けるのは何の為か。

 その姿に老紳士がしみじみと言葉にする。

「似合いませんねえ、…。剣か何かをお持ちになっておられた方がしっくりくるでしょうに」

「わかってる。それでもいいが、一応はこちらの系統の世界の時間軸に馴染む為にはこうしたトレンドの方が正しいとアドバイスをもらってな。他におかしな処はないか?」

「そうですねえ」

厳しく岩を削りあげたような気配を纏う体躯と短い金髪に鮮やかな緑の瞳。

ハンサムといっていい容貌に、しかし、常人ではありえないような厳しく重い何かを呑む気配がある。どうにも、やはりスーツが違和感のある美丈夫を前に、老紳士が嘆息を軽くしてみせる。

「そうでございますねえ、…。どう取り繕っても極普通の方には見えませんかと」

「…そうか。アドバイス痛み入る」

 諦めを飼って、しずかに視線を図書室の窓に移す。

 緑豊かな庭を移していたと思えた窓は、別のものをいま移していた。

 それは、…―――。

 白髪の老紳士がすこし、瞬く。

「ねこ、ですね?」

「そうだな、…まあねこだろうな」

 視線を送る先に共に見えていると思われるのは。

 窓の外にあるのは、――いや、そうだとしたら随分と巨大なのだが。

 あれは、―――。

「ねこのしっぽ、か」

 図書室の窓に映るのは、巨大なねこの背と、…――しっぽ、だ。

「三毛猫か、…―――。どうやら、座標軸を間違ってはいないらしい。中間座標軸の管理を任せている立場の方に申し訳ないが、おれはこれから、あちらの方々と直接交渉に赴く必要があってな、…――どうにかなりそうか?」

視線をねこのしっぽに置いたまま、軽く訊ねてみせる嵐神に。

老紳士――橿原がうなずく。

「大丈夫です。僕は唯の中間管理職ですからね?他の職員がきちんと調整をしてくださいますよ」

「…そうか、――せめて、超過勤務に対しては補償をしてやってくれ」

「この先で世界を壊されずに済みましたら、ですか?」

「こわさん!…その為に行くんだ。…――わざわざ降りて調整をするなんて、久し振りすぎて確かに自信はないが」

「本当に怖いことを云わないでくださいまし?」

「わるいな、…。で、あんたは案内人として着いてきてくれるのか?」

「いえ、それはいたしません」

「わかった。…あちらでは、瞬間移動とかしたら、まずいか?」

「さあて、…少なくとも、みられなければ大丈夫でしょう。あちらは、あまり科学も魔法も発達していない古世界ですから、…――観測基準点となる標準世界点の中でも、貴方達の中でも神と呼ばれる方が作られた標準世界点ですからね。実際に目にした処で、写真に撮られて拡散されても、夢や合成であったとして処理することが可能ですから。…発達をある程度で止められている世界ですからね。ご心配なさらずにどうぞ」

「つまりは、通常その世界で扱われている移動手段以外で現れても、まぼろしや何かとして誤魔化すことが可能な世界か」

「予習はされていませんの?」

「確認だ。実際に降りると諸条件が異なる世界状況というのはよくあるからな、…しかし、やはりそれは、…――世界間移動条約批准世界ではないとしても、条約違反になるんじゃないのか?」

軽く眉を寄せていう嵐神に、橿原が微笑む。

「あら、いけません。いってしまいますよ?」

「くそ、―――わかった」

橿原の言葉に窓を見直せば、ねこのしっぽが振られて、向こうに消えそうになっている。

「ちっ、…―――後を頼む!」

「頼まれました」

 けれどねえ、と。

羊皮紙の古い本を書見台に置き、その背を見送る。

窓の外に、…―――スーツを着た美丈夫の姿が飛び込んでいくのが。

巨大なねこの背にまるで乗るように、―――。

「頼まれるのは構いませんけど、何をです?」

巨大な円形の図書室に、膨大な書架に収まる無限ともみえる本達を背景にして。

 おっとりと橿原は首をかしげると、書見台に置いた本の開いている頁を見つめる。

「おやおや、…しばらくこれを、閉じずに開いておけということですかね?」

 先程まで確かになかった挿絵が頁には描かれていた。

 巨大なねこの背に乗って、何とか毛に捕まって振り落とされないようにがんばっているスーツの似合わない美丈夫の姿。

「これは、…格好はそれなりとしても、大きさが違いましたかね?」

 世界間の移動って、難しいものですねえ、と。

 あらあら、と嘆息する老紳士である。





「ミケ様か?―――…女王ミケさまだな?」

「あら、珍しいものがいますこと」

 三毛猫の女王ミケさま。

 その背にしがみついて、嵐神が何とか止まった隙に声を掛ける。

「嵐神ですか?」

「お初にお目にかかる。その通りだ。とにかく、話がしたい。落ち着いて話せる処はないか?この世界の人間にあまりみられたくはないんだが?」

 見事な毛並みに何とか滑り落ちないようにがんばりながら、嵐神がいう。

 それに、首をかしげて。

「何の用です?」

「…なにってな、…――あんた、いや、三毛女王が望まれた下僕の件で話し合いにきた。時間をとってもらえるとたすかる」

「―――…急なことですが。先触れもなく訪れるとは、それほど切迫しているのですか?」

「してる。このままだと、あんたたちの下僕は固定点になりかねん。意味わかるか?」

「その説明をしたいというのですね?」

「そうだ、頼む」

三毛猫の女王ミケさまが少し考える。

「それでは、一時的にニンゲンの住居に戻りましょうか」

「…はい?」

嵐神の問い掛けに、優雅にミケさまがしっぽを振る。

「いま、ニンゲンに試練を与える為にわたくしは家の外に出ているのですよ。一時的に戻って、家の中で話をしましょう。そうすれば、外から他のニンゲン達に見られる危険はなくなります。」

「その、あんたたちが下僕にしてるニンゲンには?」

「大丈夫です。あれは鈍いですから」

「…―――わかった、それで頼む」

「では、つかまっていなさい」

「うわ、」

嵐神の顔が引き攣る。ほとんど捕まる処のないミケさまの美毛だが。

それに何とか捕まっている嵐神にはまったく頓着せずに、ミケさまがジャンプして。

「―――――…!」

無言で歯を食い縛る嵐神に構わずに。

ミケさまはニンゲンの古家の二階屋根へとジャンプしていた。




「嵐神様は大丈夫でしょうか、…」

若い神が心配そうにいう。

「そうじゃのう、…まあ、なんとかなるであろう。下界に降りるのが初めてという訳でもないしの」

神様が白髭に手をおいて目を閉じていうのに、若い神がうなずく。

「…話し合いがなんとかなればいいのですけど」

「こればっかりは、想像がつかんのう。ねこ様達次第であるからの」

「はい、…。僕が未熟なせいで、嵐神様にご迷惑をかけてしまって」

「それはおぬしのせいばかりでもないぞ?嵐神は、おぬしの力を制御する監督としてもつけておいたのだからのう。此度のことは、嵐神の責任じゃ」

「――――…」

言葉もなく若い神がうなだれる。

 ニンゲンの運命を世界に繋ぎ直す為の制御をしている途中で、それは起こったのだ。

 世界間、―――重なる世界の固有点に生成される消滅点。その性質を閉じ込める為に行うとしていた制御。

 簡単にいえば、世界同士が重なる場所でお互いに干渉して消滅と生成を繰り返す点に生まれてしまったニンゲンの運命を変える為に、消滅点の作用が及ばないようにしようと調整していたのだが。

「すみません、…ぼくが失敗してしまって」

「微妙な調整じゃからのう。初めてでは仕方もあるまいよ」

深く肩を落とす若い神に神様が微笑む。

「しっかりすることじゃ。此度の反省を生かして次に行きなさい。此度のことは監督する立場じゃった嵐神が収拾するであろう。その為に、下界に降りる事を許可したのじゃからの」

若い神が、ちら、と背後――白い雲に横たわる嵐神の姿をみる。

「小さな駆体を分離させて、同調して下界に降りるなんて方法があるとは知りませんでした」

「嵐神はあれで一部方面世界管理を任されておるからのう、…此度のことがうまく収まれば、おそらくは一部方面から多層世界管理にまで階層があがるであろうの。これまでは、うまくそれを避けておったようだが」

「…多層世界管理まで、…―――想像もつかないです」

神様の言葉に茫然としながらいう若い神に微笑む。

「いずれ、ぬしもやらねばならんことになるやもしれんぞ?」

「と、とんでもないです!いま監視しているだけでも力不足を感じますのに」

「経験を積むことじゃの」

真面目に蒼くなっていう若い神に神様が微笑む。

「さて、ついたようじゃ。これより、嵐神の次第をみるかの?」

「は、…はい!」

緊張して若い神がその「世界」をみる。

監視する装置に映る世界は、…――――。



装置の中に、箱庭のようにして「世界」の姿が浮かび上がる。


それは、箱庭の夢にも似た。

「嵐神様!」

若い神が見つめる先に、畳らしき床とそこに立つスーツ姿の嵐神がみえていた。

そして、巨大なしっぽが。




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