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21 量子ゼノ時間 1



「つまり、ループを避ける」

嵐神、――ねこ様達に囲まれて小さな姿であるのはどうにもかわいらしいが――が真面目にねこ様達を見あげていう。

「そうなのですか」

 処は、ニンゲンの家。

二階の部屋は古い畳と開け放された押し入れも空で、ねこ様達と嵐神以外には誰もいない。地震の後、ニンゲンは家の片付けをした為に、家には荷物はほぼなく空になった状態だ。

 階下にニンゲンがいるが、今日も怪我の回復の為に寝ているニンゲンにこの会合は悟られていない。

 三毛猫の女王みけさまが嵐神を見下ろす。

 ニンゲンの手のひらほどの大きさしかいまはない嵐神は、ミニチュアサイズの人形のようだ。

「ふーん、なんでわざわざきょかとりにきたの?」

のんびり、言葉をはさむのはしま王子だ。ニンゲンが窓際に残した古い箪笥――中身はすでに空になっている――の上にすこし身体を丸めて、ちょっと伸びをしてから嵐神をみてみる。

 ――遊んだら、どうなるだろ?

「いまはやめてくれ」

好奇心にきらりと輝いたしま王子に真面目に嵐神が顔を向けていう。それに、しま王子が首をかしげて。

「いまじゃないといいの?」

遊んでくれる?と目が輝き、獲物を狙うモードに変わりそうなようすに嵐神が困った顔で見返す。

「いや、そのだな、…」

「あとにしなさいよ。で、なにかここのニンゲンに係わる大事な話なんでしょ?」

「その通りだ。すまん、ねこ様の要望は基本的に叶えたいんだが、ここでは時間の制限があってな、…。こちらのねこ様も、話を戻してくださり、感謝する」

「いいわよ、で、なに?」

「そうだな、話を進めよう。要は、指数関数を減衰させたいんだ。その為に、反共鳴状態を分岐点で崩壊へ導き、終末条件を渦動させ開放量子系の時間の矢を再帰させる。」

沈黙して嵐神をみつめている三毛猫の女王。

弛緩して足を投げ出しているしま王子。

無言で鋭い視線を投げるふく姫。

かれらを一巡見渡して、嵐神が続ける。

「そして、残存効果が減少することを利用して、量子ゼノ効果を導き出す」

沈黙が漂う。

そして。

「…観測効果が問題になる、ということですね?」

暫しして、三毛猫の女王の言葉に、嵐神は深く頷いていた。



 ニンゲンは、ぼんやり考えていた。

 ――ねこ様達のお世話がちゃんとできる仕事につかないとな、…。

 回復はしてきているけれど、まだ体力がついてこない。

 それでも、歩く時間を増やしたりしてがんばってはいるのだ。

 仕事も、いつまでも求人に申し込むのさえ怖いっていうのをわすれて、何とかやらないと。

 体力と持久力。問題なく回復しても、以前と同じ無理無茶をした仕事には就けないことはわかっている。その上で、あせって仕事を申し込んで、またあんな職場に当たるのだけは避けたかった。

 あれはこわかったよね。…

 そんなことは忘れてしまえばいいと思うけど中々だ。

 交通事故で仕事を休む必要があってそれを伝えにいったら、怒鳴られ続けるというのはもう体験したくない。しかも、何故か本当に事故に遭ったかまでも疑われた。怪我を本当にしてたのかとかまで。…

 ――あれは、もういやだな、…。

 考えてみれば、病院から家の途中に当時の仕事場があるからといって、無理していかなければよかったのだろうか?

 電話で済ませればよかったのかも?

 そもそも、動いているだけで痛かったのだし、タクシーで家に直行して、職場には電話でもよかったのかもしれない、…。

 そもそも、もうそのとき右手はまともに動かなくなっていたのがわかっていたから、コルセットをして動かずにいても仕事にはならなかったのだから。

 結構ばかかも、自分、…。

動いて歩いていたから、怪我を疑われたのだろうか?

 まあ、いいか、…。

交通事故で休むときに、身体を大事にではなくて、休んだことを人に迷惑を掛けるな!等などと延々と怒鳴られ続けるとは思っていなかったのだ。

 ああいうのに当たらずに、平和で普通でまっとうな仕事につきたいな、…。

地震の後、仕事に就くのにあせっていて。それでああいう処だとわからずに引き当ててしまったのだろうか?

 それとも?

だから、仕事につく為のアクションをすること自体がいまはこわくなっているのだけれども。

 それでも。

 仕事にはつかないといけないよね、…。

 自分だけなら、このまま倒れてしまえばいい。けれど、と。

 ねこ様達のお世話がちゃんとできるように、―――。


 ミケさまは丈夫だけど、しま王子はアレルギーがあるから病院にお薬もらいにいかないといけないから、…。ふく姫は元気だけど便秘が心配だよね?

 病院に行く為にも、お金は大事だから。

 無理に回復しようとあせって、帯状疱疹になってさらに時間がかかったり。

 だから、着実に何とか少しずつ身体を治して、仕事に就けるようにしないと。

 三食納豆生活でニンゲンの食生活は何とかなっているけれど。

 ――ねこ様達の為に、ちゃんと稼がないとだよね。

 夢に漂いながらニンゲンはぼんやりと考えていた。―――



「観測者の問題は、古からの課題ですね?」

「その通りです」

三毛猫の女王が問うのに、嵐神がうなずき。

 そして、必然かと考える。

 世界が何で成り立とうとも、それは世界が生まれた当初からの必然的な問題だった。

 観測と結果。

 状況を観測することで、導き出される結果が変わってしまう。

 或いは、こういわれるのが一番よく知られている問題であるのかもしれない。

「ねこが生きているか、死んでいるのか、―――ですね?」

「その通りです。ねこ様が箱の中で生きているのか、死んでいるのか。…この世界でも、その根源的な法則については知られているはずです。

 その定義として、シュレディンガーの猫は必ず通らなくてはいけない定義にすぎない。世界を導く条件です」

真剣に嵐神が続けるのに、ミケさまが鷹揚に頷く。

「そうですね。われらねこ族は、古より神の采配にかかわり、世界の行く末を決定してきました。嵐神、そして、われらに此度は神の采配と賽子の行く末を決定せよ、と望むのですか?」

「はい、その通りです。」

きっぱりと、三毛猫の女王が問うことにためらいもなく嵐神が応える。

「世の条理を曲げても、この世界が古世界である以上、世界観測点の基準点として動かすことができないのは確かなことです。そして、それ故に、貴方方が下僕としているニンゲンには、世の理に準ずるなら、ループをし続ける領域に至る危険がある。…いえ、いまでもそれはほぼ確実に、訪れようとしている未来となっている」

危機感を露わとする嵐神に対して、三毛女王の姿は超然とさえしてみえる。

 美しい三毛猫を前に、嵐神が。

「消滅点に生物が生成してしまったときは、本来ならすぐに転生させるのがルールです。そうしなければ、非生命的な致命的な運命に引きずり込むことになる。ですが、この、――貴方達の下僕であるニンゲンは、あまりにきつい、正直にいえばおれもこんな運命だけは歩みたくないと思う、酷い宿命を生き続けてきた。」

ふく姫が厳しい視線を嵐神に向けている。

「何故、そんなことをゆるしてたの?」

「ねこ様。…それは、この世界が世界基準点だからです。」

「世界基準点?」

「はい。幾重にも存在する世界を管理する為には、観測を続ける必要がある。しかし、観測をする以上、世界の基準となる点が必要です。これは必ず必要になる。そして、世界を観測する基準となる世界として選定された以上、…――動かすことはできないんです。必ず、同じ状態でその世界は存在しなくてはならない」

それこそが、この多重世界を管理する神々の中でも、神様といわれる存在がこの世界を含む領域を監視していた理由。

 一つの世界だけではなく、多重世界をすべて管理する為に動かしてはならない観測点。その基準点がずれれば、すべての世界に連続してずれが及ぶだろう。

 それは、単なる世界基準点の崩壊に留まらず、世界全体の――数多の数百億、幾千億、那由多の世界が連鎖した崩壊が起こる恐れがあるということだ。

 つまりは、多重世界に及ぶ影響を恐れて。

 単に小さなヒトの魂を、全体の犠牲として。

 あまりに当り前に。

 その小さな人の魂など、全体の前に犠牲にしても当然だと。

 効率や合理といったものを前提とすれば、それは単に当り前のことだろう。

 その代償を背負った人が辿ってきた運命は、ヒトにとり唯の地獄といえるものでしかなかったろうが。

 地獄の中で、本来なら精神が壊れて当然の繰り返す崩壊の中に生き続けていて。

 どうして、これまで壊れていなかったのか。

 それが不思議な程に。

 物事がうまく行き始めては崩壊する、という。

 シジフォスの岩に似た世界をニンゲンは生き延びてきていたのだが。

 世界のバランスを保つ為に、世界の消滅点として。

 造り上げてきたものが常にもう大丈夫かと思った処で崩壊しつづける。

 それは、地獄といっても構わないものだったろう。

 或いは、その死をもって掬いとするしかないような。


 そして、―――異世界転生が魂の救済として。


 交通事故の際に本来なら死亡して異世界転生する処を、ねこ様達に異世界転生キャンセルされてしまったニンゲン、―――。


 世界に取り残されてしまったニンゲンの魂を救済する為には。

「わたくしたちに、観測せよ、というのですね?」

 ミケさまが厳かに。

 嵐神が無言で頷く。

「もとより、われらは観測するが定め、―――ねこ族というのは、なべて世界を監視、観測する為に、数多の世界を常にみています」

 三毛猫の女王がそのたたずまいにみせる威厳。

 けして、威圧では無く。

 美しい三毛猫の女王が微かに微笑む。

 揃えられた前足の美しい姿勢。

「でもさあ、それってなにするの?」

 唐突に威厳もなにもない、たらーんと伸びて箪笥からはみ出たまえあしをそのままにして、しま王子が嵐神に視線だけ向けて訊く。

 ちら、とそれをみて眉をしかめてから、ふく姫も嵐神に問う。

「そうね、一体実際わたしたちに何をしろっていうの?」

 疑わしげに訊くふく姫に嵐神が真剣に向き合う。

「それは」

 説明する嵐神に、ふく姫が真剣に聴き。

「ふわあ~~~」

 しま王子があくびをして、おおきくのびをする。



「説得ができますでしょうか?」

 若い神が心配そうにきくのはそのことだ。

「ねこ様達は、気まぐれじゃからのう、…」

 神様もまた心配そうに白髭に手をおく。

 数多の世界を救済する為に、犠牲となっていた小さきいのち。

 そのいのちの救済が行われ得るのかは、ねこ様達の決断に掛かっている。

 とても単純な。

 気まぐれなねこ様達に預けられたその決断は、――――。







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