「ええと、僕が成年しているかどうか?それが疑問なの?」
相手が見るも珍しいものを見るようにして――本当に目を見開いてかれをみているから、つい嫌味がいいたくなる。
「あのですね。いいですか、あんたを引き受けなきゃならないんなら、ベストを尽くす。仕方が無い、それが命令ならな。だが、規律には従って貰うし、あんたの方が階級は上でも、戦場に赴いたらおれの命令は守って貰う。これに妥協は無い。もし、これをあんたがまもれないのなら、…―――――」
ち、と。
舌打して。
石畳にかれを珍しそうにみてぼんやり立ったままの。
「畜生、あんたは、―――――!」
青年将校の細い身体を抱え込んで石畳に伏せさせる。
司令部から宿舎までの短い道程には、開いている店も入り口も無い。
壁を抉って地に落ちた黒い塊の正体を見る暇は無かった。
狙いが正確で、かれが引き倒さなければこのぼんやりした青年将校の肩か、その脳みそを壁のかわりに抉っていただろうということだけがわかる。
あるいは、隣りを歩いていたかれ自身の肩か。
石壁から削れた石くれが落ちる音は、気分のいいものではない。
肉に食い込んで、骨を砕かれていたろう。
「ちっ、たく、―――――」
路地をみつけて、有無をいわさず転がり込む。
そのまま後ろに転がして通りに跳び出す手には剣が抜かれていた。
細身の護身用のものだ。
いまいましい正装用の装備だ。
普段なら此処に挿していたのは短銃かもっと実用的な短剣だったろう。
青年将校を叩き込んだ路地を背に、遠く狙撃を行ってきた方角をみる。
「よう、よくみえたな?」
に、と隣りに転がり込んできた赤毛の大型猫に眇めた視線を送った。
しなやかに身を翻した大型猫は建物の死角に優雅な姿勢で眸をきらめかせている。路地に引き倒されて目を白黒している青年将校とはえらい違いだ。
これからが思われて遠い視線になりそうになって。
かれは無理矢理思考を引き戻した。
「そちらこそ、…―――まかせましたよっ!」
路地の奥から、当然のように控えていた敵が襲ってくる。
暗殺者という奴だろう。
影のように襲い来る相手に剣を振るう。
素早い上に、容赦無く叩き付けてくる幅広の剣に、かれは己の装備を呪っていた。
畜生、こんな細剣で何とかなるか!
何とか、細身の剣で幅広の剣から産み出される打撃を受け止めて、地から相手を仰いでおもう。
ぎり、と剣を押す力が籠められ、かれは地に背をついて堪えていた。
くそ、と相手の馬鹿力に悪態をつく。
覆面も身体に着けた胴衣もなにもかも黒。鞣革を鍛えて硬くした防備に、内心舌打する。これでは、細身の剣を何とか擦るくらいでは相手にダメージをあたえられない。そのまえに力押しで負けて剣が折れそうだったが。
ち、くしょう、このくそ馬鹿力がっ。
組んでいるだけで押し切ろうとする剣の力に細剣が折れそうになる。
歯を食い縛り渾身の力を込めて剣を押しやり、飛び離れた。
薄闇の街に叫ぶ。
「誰か!いないか!」
夕暮れは既に闇に替わろうとしている。人通りが少ないのはいつものことだが。
「ちっ、」
鋭く飛び離れたかれに襲い来る剣を弾き、勢いをつけ切先を横に払う。
斜めに切り裂いた手応えを感じた。
目を細める。
鞣革の胴衣が裂け、横に朱が走る。
しかし、それは当然ながら致命傷にはならない。
どうにかして、この細身の剣を急所に叩き込む方法は、と。鞣革の隙間に細剣を突き込むことができる箇所はないかと。
「…――――――?!」
不意に、何かが聞こえたように動きを留めた敵が、切られた勢いのまま逃げ去るのを追わずに見送る。
――何が、起きた?
疑問はあるが、いまは命を拾う方が先だ。他に暗殺者やその類が隠れていないことを確認して、かれは後ろを振り向いていた。
相手の逃げ足のはやさに疑問が過ぎるが、追うことはできない。
そして、――――。
殺気を向けるのに躊躇いは消えていた。
「えっと、…」
のんびり、かれに放り込まれた姿勢のままで路地に座り込んでこちらを見あげている青年将校に怒りを覚える。
「…あんたは、―――」
「いっちゃったの?グレッグ、ありがと」
「あのですね、…狙われてはいないといってませんでしたか?暗殺者は冗談だと」
どちらにしても本気とはとっていなかった先の言葉を思い出して批難してみる、というか何か文句をいってやりたかったのだが。
剣を振り、血を拭って周囲に気を配りながら近づいて来るかれをみあげて。
「えっと、――――そんなにないとはいったけど。…」
口篭もる相手を睨みつける。
「そんなに?」
屈み込んで、至近距離で睨みつけるかれに、えっと、と微笑う。
「その、いまのひとだって一人しかいなかったじゃない」
「……ほう、一人なら暗殺者とはいえないと。一個中隊を率いて周囲を取り囲まれれば、充分な量の暗殺者といえますか?」
「…目が据わってるんだけど。こわいな、あの、」
「――――本気で怖がってらっしゃるなら重畳ですが」
獰猛な笑みを乗せてみる金褐色の瞳に、灰青色が空を仰ぐ。
「えっと、だから、その――――」
「本気で狙われてるんなら、どうしてもっと護衛がつかないんです!本当なら、厳重に警戒した館の中にでも閉じ込められてるべきじゃないのか?あんたは!」
怒鳴りつけるかれに、困ったなという視線でいう。
「だって、その。そういうの、面倒でしょ?」
「―――…何ですか?」
「だから、その、―――そういうことしてると、外出もできないし」
「警護をつければいいでしょう」
「そういうの、警護してるひとにわるい、かな、と…」
口篭もる相手に、ふわりと笑う。
「本当は単に面倒で、人がついてくるのがうっとうしいだけでしょう。それで、暗殺者はいないと、あんたは周囲から護衛を遠ざけさせたわけですね?」
低く冷えた声でいうかれに、青年将校ロクフォールの瞳が輝く。
「うん、そう!そうなんだけど…?」
輝く灰青色を見おろして。
すい、と。
グレッグが息を吸い込んだ。
「グレッグ?」
「―――――いい加減にしなさい!あんたのおかげで、おれは死んだかもしれないんだぞ!護衛が必要な立場ならそれらしくしてろ!せめて事前にしらせておけ!準備がいるんだ、たく!」
大声で怒鳴り、息を吐く。
細身の剣しか帯刀していなかったことの怒りに目を細めるグレッグに、エディがいう。
「あの、ごめん、…」
大きくグレッグが息を吐いた。
「たく、…あんたは自覚しなくちゃだめだ。好きに出歩きたいのは理解できるが、一緒に歩いてて盾にされる人間の身にもなってみろ」
額に手を当てて周囲を睨むように見るかれを灰青色の瞳がじっとみる。
まだ微かに名残で息の荒いかれに、すこしうなだれる。
「うん、ごめん」
「まあ、あんたがわるいわけでもないんだが、…」
いうと屈み込み、手を差伸べる。
「立てよ。宿舎まで送る。だが、最近は少しにはなってたんだな?」
「暗殺者?うん。でなきゃいくらぼくでも、そう脳天気には出歩かないけど。まさか宿舎までの道で襲われるなんておもってなかったから」
迷惑かけたね、ごめん、と。素直に謝る相手にもう一度手を伸べる。
「ほら、立て」
「うん」
かれが差し出した左手につかまって立ち上がったエドアルド・ロクフォールが、陽の沈みいく路地を見つめた。グレッグの右手は抜いたままの剣を下げている。
そこに、低い位置から良い響きの声が聞こえてくる。
何処からか戻ってきた赤毛の大型猫だ。
「まあ、そう弟を怒らないでやってくれ。これも、おれの身替わりとして狙われてるわけだからな?」
「…わかってる。…こういう危険があるというのに、こいつを身替わりに仕立ててるんだな?」
「そういうことだ」
何処へいっていたのか、すらり、とかれらの傍に戻ってきた赤毛の大型猫――こちらが本物の名参謀ロクフォールだという――に目を眇める。
何処へと訊かずとも本来はわかっている。
此の出来る赤毛猫が何をどこでしてきたのかも。
「あんた、で、あちらはどうだった?」
「わかりがはやいのはたすかるな。狙撃手は倒してきたよ。あちらが指揮官のようだったから、倒れたときに撤退の呼び子が届いたかな?」
「ああ、…それでか、急に引いたのは?」
相手の急な撤退の理由がわかって肩を竦めるかれに、名参謀ロクフォールが苦笑していう。苦笑するのが画になる赤毛の大型猫というのはどうなんだ、と目を眇めているかれの前で。
「そうなるな。処で、弟を任せてすまん。これを守るのは大変だろう?」
「いま実感した、…」
「ええと、ごめん」
どうやら、遠くをみていたのは狙撃犯を見ていたらしい大型猫が、弟である青年将校ロクフォールをみて笑む。
「おまえはわるくない。おれがおまえを囮にしてるだけだ」
「…―――言葉は選べよ、…。囮か、…確かにな」
兄である赤毛の大型猫が簡単にいう言葉に、かれの方が頭痛を憶えて額を押さえていう。それに、きょとんとしてエディが見返す。
「言葉?なにをえらぶの?」
「…これに慣れてるのも、…ある意味哀れですな、…」
「まあ、こういうものだ。軍人の家系かな?」
「いやな家系ですね」
家族に囮に使われるのが当り前で疑問ももてない家庭環境。
…案外、孤児院の方がまともな労働環境だったかもしれん。…
家庭と呼ばれる環境で育った憶えはないが。貴族のそれも軍人の家がもつ家庭環境と比べれば、労働環境と呼んだ方が的確だったろう孤児院での生活の方がましだったかもしれないと思い返して。
それもどうなんだ?
足手纏いなことがこの襲撃で確定した青年将校ロクフォールの生育環境をつい遠い目で思いながら。
いや、そんなこと考えている場合じゃないな、…。
とにかく、襲撃に警戒しながら宿舎へ、と考え始めていたかれの隣りで。
のんびりした声が響いていた。
「夕陽だねえ」
「呑気なことをいうな。沈み切るまでに宿舎に着くぞ」
額を押さえて頭痛を堪えるようなかれに、同情する名参謀ロクフォール――赤毛の大型猫の視線が刺さる。
「すまんな、頼む」
「…――――」
とにかく、歩こう、と。
背にした司令部に戻ることも考えたが、既に歩いた距離の方が長い。
そして、襲撃されたことをどう考えているのか、のんびりと周囲を見渡すという声がする。
「誰もいないよね?」
「せめて市でも開いてればいいんだがな。とにかくいくぞ」
青年将校ロクフォール――エディの神経が太いのか、それとも鈍いだけなのか。
どちらにしろ、ここで騒ぎ出すよりはましと考えるしかないのだろうかと思いながら。少なくとも、赤毛の大型猫が遠く周囲を見回し、索敵している様子にほっとする。
――ねこの方が、使えるってどういうことなんだ、…。
いや、まあ既にこのねこの方が名参謀ロクフォールで、…青年将校ロクフォールの方は、ねこを誤魔化す為の囮、人が名参謀ロクフォールだと誤魔化す為の囮でしかないわけで。
いや、そうなんだが、…。
問題は、だからといってこの青年将校ロクフォールを捨ててかかってもいいというわけではけしてないということだろう。
でなくて、あの狸爺本人がわざわざ出て来て釘を刺していったりはしない。
「くそ、…要はあいつ、―――」
「どうした?グレッグ」
「…そういや、あんたの方はどう呼べばいいんです?」
「そうだな、…ミルドレッド、…ミルでいいぞ?」
「ミル?なんで、そんな女性みたいな名前なんだ?…まさかメス猫なのか?」
兄って呼ばれてたが?と眉を思い切り寄せて見返すかれに名参謀ロクフォールが笑う。
「いや、母ねこの趣味でな?子猫の頃は見分けがつかなかったんだよ、男女のな?」
「あんた、…親はねこなのか?ならなんで、こいつと兄弟?」
「その辺りは複雑な事情があってな?」
「聴かせる気があるようだが、断る」
名前から複雑だという家族の話にいつのまにか持っていこうとしている赤毛猫に気がついて断るかれに、残念そうに視線を送る。
「そうか?残念だな、…巻き込もうとおもったんだが」
「巻き込むな、これ以上他人を!」
いいながら、かれがさり気なく弟を庇う位置に立ち歩いているのに名参謀ロクフォールが笑む。赤毛の大型猫が、に、と笑んで。
「ま、頼む」
「うるさい、…頼まれたくない」
「そうだな?」
うれしそうに笑む大型猫に頭痛を憶えながら。
四囲に目を配りながら軽く傍に引寄せていうグレッグに青年将校ロクフォールが頷く。
「そうだね」
そののんびりした声に肩が落ちるが。
それで、警戒を解けるわけでもなく。
そう、ほんのしばらくの距離を辿り着けなくて死に至ることは別に戦場では珍しいことではないのだから。
そんな風に、真面目に警戒をしながら歩くかれに、楽しそうに少し先を赤毛の大型猫が歩き。
「まったく」
頭痛を憶えながらかれが考えることを、多分、この赤毛の大型猫――名参謀ロクフォールにはお見通しなのだろうが。
平和な本国で身体を休ませるはずだった。
こどもにしかみえないような脳天気な青年将校ロクフォールの命を名参謀ロクフォールの身替わりとして囮として振りまいて、暗殺者から護るなんてことは予定に入っていない。
だというのに。
「…――――あんたには一個中隊の護衛をつけた方がよさそうだな」
エディと呼んでいたこどもの頃から、考えてみればこいつは脳天気で隙だらけだったな、と。思い返したくない記憶を思い返して。
そこに、不思議そうに疑問が。
「…え、その、―――グレッグの部隊って、小隊だったよね?」
「ええ、その通りです。ですから、あんたを連れて戦場に戻るなんていうのは却下したいです、それに」
したいが、希望が通らないのが軍隊というものなのだ。…
それが世間といってもいいが。
しみじみと諦観を飼いながらも、最低限の撤退する道筋だけは残しておきたいと願いながらくちにする。
「いまからでも、…――あんただけでも、戦場へ行くという案は捨てませんか?最悪、お兄さんのことは小隊で新しくペットを飼ったということにすればいいんです。験担ぎに、猫を飼うことにしたとか」
「それはちょっと無理がない?にいさんを僕がペットとして連れて行くのはよくあることになっているからね?旅行とか、それでこれまでも通してきたから」
「…―――確かに、上官のねこなら、おれたちが連れて行くのを拒んだりはできませんがね?」
「でしょ?良い案だと思うんだ、これって」
「…――――」
一拍置いて、グレッグは隣りを歩く青年を見返した。どうみても、今し方命を狙われた緊張感皆無ののほほんとした青年を。
命の遣り取りが本気になる現場にこれを連れて行く、…。
「うん、なに?グレッグ」
「――――その呼び方はやめてください。軍曹で」
「…うん、グレッグ。きっと小隊でも大丈夫だよ、ね?」
「あんた、ひとの話聞いてますか?」
「それにしてもグレッグ、剣さばきはやかったよね。すごかったな」
「……本当に聞いてませんね?あんた」
一瞬このまま置いて帰りたい誘惑にかられた。
いや、一瞬ではなく。
永遠にこれがかわらないのではないかという嫌な予感に、つい考える。
この辺りに埋めていっても罰は当たらないんじゃないか?
瞬間、宿舎までの残り短い道程が、永遠に近いほど遠く感じたかれだった。