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Act6 暗殺者 3




「それで、連れて帰ってきちゃったんですか?」

会計担当兼給仕担当の副官ウィリアムが、無事宿舎に着いたかれに何を指していったのかは充分理解できていた。

 疑問符の相手は食堂の椅子に腰掛けて、珍しそうに内装を見渡している。

 灰青色の髪に、白い容貌。

 青い士官服が下士官宿舎の食堂にひどく不釣合いだった。

 そして、――――。

 その隣には、赤毛の大型猫。

 戦場視察をしたい上官とペットという触れ込みで紹介することになったが。

「…――――断れなかったんだよ!将軍の命令だぞ?」

 副官に食堂の隅まで押しやられて、壁際で詰問されて何とか声を絞り出す。

「命令書が着くのはまだでしょう。なら、それまで上級将校の宿舎にお引き取り願って、お世話は命令が来てからでもいいのでは?どうして、向こうに送って来なかったんです?」

当然の疑問を突きつける部下に言葉につまる。

「…仕方無いだろう。命を狙われてるものを放り出せるか」

「人間、時には非情になれなくちゃいけませんよ。…急にお客さんが来ても、貴族の屋敷じゃないんですからね?余分な食糧なんぞ、買出しにでもいかなきゃありませんよ。そうでなくても、皆宿舎に何て残ってないんです。今日ここにいる予定の人員はあんたと私だけですからね?三人分の食事はありませんよ?いや、三人分と一匹ですか?」

「―――わるい、…。いまからでも向こうの宿舎に送り届けて――――」

「こう日が落ちてからですか?」

無事に宿舎についたはいいが、見事に部隊の連中は留守で。

しかも、既に夜の帳が降りてしまっている時刻。

「…無理、だな」

「無茶はいわないでください。…しかし、なんで連れ帰ってきちゃいますかね?」

残っていたのは、副官のウィリアムだけだったのだが。その副官にあきれたまなざしで見られて視線を逸らす。

「…まあ、なんとかなるだろ。その、―――幸いだな、寝床はいくらもあるわけだから、な?」

弱腰になっていっている部隊長に、副官がにっこりと笑顔になる。

「それも問題ですがね。いいですか?あんな普段何をくちにしてらっしゃるかもしれない、高貴な御方に何食わせるっていうんです?寝台にしたって、寝床だと理解してくれますかね?賭けてもいいですが、あれは剣を持ったこともないでしょうよ」

青年将校ロクフォールに対するあまりに正確な理解に思わず頷くかれを副官が冷たい視線でみる。

「いや、まあ―――寝室は、な」

「あんたの部屋しかないでしょうね。大体、うちの連中が戻ってきて、素面なわけがないんですし。何処かの寝床で、あのほそっこいおぼっちゃんが女に間違われて襲われててもいいなら別ですけど」

「……ちょっとまて、おれの部屋かよ?寝台ひとつしかないんだぞ?」

そして、副官のとんでもない言葉に驚いて見返す。

 話題になっている青年将校ロクフォールは、のんびり宿屋の中を眺めているが。

 隊長の抵抗を一言で副官が切り捨てる。

「いいでしょ。ひとつあるんです。一緒に寝ればいいじゃないですか。大体、何処の誰なんです?本当に軍人ですか?その手の衣装を着せて愉しむ倶楽部から逃げ出してきたんじゃないでしょうね?」

「―――いや、だから、それはないとおもう。そういう甲斐性はなさそうだが」

逃げ腰でいう上司に、副官が大きく溜め息を吐く。

「本当に、何だって相手が命を狙われてたからって、宿に連れ帰ってくるんですか。人が良すぎますよ」

 あんたは、まったく、と。

 小言をいわれながら天井を仰ぐ。

確かに、うっかりしていた。将軍にいわれたのだって、宿舎に送るということで、それは将校用の宿舎にであり、こんな安宿に連れて行けということではなかったはずだと。そして、それに。

 つい、何故か。

 出迎えた副官に、連れ帰ってきた相手の正体を云いそこねた。

 理由は、何となくわかっているが。

 つまり、かれ自身。

 これ、が。

 あれ、だと。

 認めたくないわけなのだが。―――――

「どうしたの?」

「めしはまだか?」

「おや、このねこ、人語を話すんですね?めずらしいな」

のんびりたずねる青年将校ロクフォールに、赤毛の大型猫が遠慮なくめしを要求するのをきいて副官が屈み込んで云う。

「おれか?かしこいからな。めしをくれれば少し撫でさせてやってもいいぞ?」

「そりゃあ、…へえ、かしこいなあ。なにが好物です?」

「もつ煮だな。この手の宿はうまいのが出るだろう?」

「そりゃあ、通ですねえ」

じゃ、もつ煮にしましょうか、と何故か副官と馬があっているらしい赤毛猫をかれが睨む。

「おい、あのな――――」

声を掛けるかれに対して、副官も赤毛の大型猫も返事をする気はないらしい。そして、青年将校――エディは、かしこいでしょ?とねこ自慢をしている。

 …――――おれは一体、…。

肩を落として考える。

かれの宿舎の方が近かった。かつ、すでに暮れ始めた陽にロクフォールの宿舎まで送るよりも、保護する方が先だと連れてきてしまったが。

 来るんじゃなかった。…

 当の本人達はといえば、かれが中に入って戸締りを終えた途端に副官に隅に追詰められて詰問されているのもみているくせに。

 物珍しそうに下士官用の宿舎を眺めてあたえられた椅子に座ったきりだ。

 いや、おとなしく動かず座っているのだからまだいいのかもしれなかったが。

 そして、あまつさえ、既に隊長であるかれを無視してもつ煮がどうとか、食事の相談である。

「…――――」

 いや、いいんだが、と。

 副官が機嫌をなおしてくれて、食事が出てくるなら文句のつけようがないのだが。



 しばらくして、副官が台所へ行く前にかれのもとに戻ってきていった。

「ねこさんはいいですけどね、あちらの御貴族さまには何を食べさせればいいんですかね?」

 皮肉にいう副官に困った顔で見返す。

 確かに綺麗とは云い難い下士官用宿舎の中で、青年将校の姿は副官の云う通り見事に浮いた身分を示している。のほほんとしたさまは、貴族というには鋭さに欠けるのだが。

「確かに、まあ、…貴族、か?」

「他にどうみえるっていうんです。…そんなに目がくもってます?だからどーするんですか、めしありませんよ」

「あ、いや、そのな?ねこ用にはあるだろう?」

 もつ煮でいいんじゃないのか?というかれに副官が冷たいまなざしでみて。

「本当にそれでいいんですか?」

「…ダメか?」

 副官が飯に拘っているのにも理由がある。

 安全を確認して、椅子に座らせて。

 その第一声が。

 ―――おなかすいた、ごはん、まだ?

 だったのだ。

 聞いたときには、ここまで連れてきた緊張感がすべて吹っ飛ぶ気がした。何というか、力の抜け具合に地面にめり込むかと思ったほどだ。

 そして、速攻、副官に詰められたわけだが。

 詰めたくなる気持ちはとてもよくわかる、とおもうが。

「ね、ごはんは?」

「めし!頼んだぞ!」

のほほんとした青年将校と、赤毛の大型猫のリクエスト。

「…だから、あれをどーすんです?」

「落ち着け、ウィリアム。別に何でもいいはずだ。あれに気を使う必要はない」

「本当ですか?文句いわれてもしりませんよ?」

「大丈夫、おまえの作るめしは天下一品だろ」

「いい加減なこといわないでください。確かに腕に自信はありますが、貴族にくわせるような飯はつくってないんです」

「…いや、だからな?ねこが満足すればいいはずだ!多分だが!」

いいつのるかれに、冷たい顔で副官がいった。

「あんたの分、半分に減らしていいですか?」

 情けない顔で固まったかれに。

 容赦無く、冷徹に副官は宣言していた。

「あんたの分を削りますから。じゃ、おもりしててくださいね」

「おい、――――?」

情けないことだが、台所と会計を握っている副官に逆らえる存在は部隊に無い。

「…――――畜生、…」

聞こえていたろうに、にっこり微笑んでいるだけの青年将校と名参謀に。

 というか、赤毛の大型猫を構って毛を撫でている青年将校ロクフォール。

 実に、平和な光景に。

「てめえら、…」

「うん、ごはん?楽しみだね」

 兄である名参謀ロクフォール――赤毛ねこの毛を撫でて、無邪気にいうさまに視線を逸らして考える。

 いや、そうだ。ウィルもいってた通り、くちがあわなけりゃそう食いもしないだろう。

赤毛猫はともかくとして、エディの方はもつ煮なんてそれほど食いはしないのではないか、――――。

 その予測は。

 昼を抜かして長い会議に付き合って、その上こんなことになっていて。まともな晩飯を逃したくはなかった。しかし、その思いが正確な予測を行い得なくさせていたのかもしれない。

 …畜生。

寝台を占領して既に眠っている相手を見下ろして、殺意を覚える。

 ―――くそ、…臓物の煮込みなど、うまそうにくうなよっ。

かれの食事は綺麗に半分しか残らなかった。それも、副官が先に別けてくれていなければ危なかっただろう。本当に言葉通り副官はかれの分を半分にしたのである。それでも、一応食べる分はあったのだが。

 食いものの恨みは強いんだからな、と。

 情けないことを考えながら。

 宿舎に、結局こうして自分の寝室に連れてくることになってしまった相手を見下ろして。

 寝ている端に腰を下ろして額に手を当てる。

 無邪気な顔で、名参謀(囮)の青年将校ロクフォールは眠っている。

 その横に寝ているのは、本物の名参謀ロクフォールで、つまり赤毛の大型猫だ。

 ねこと平和に寝ているとしかみえない青年将校。

 …暗殺、か。

 もし、それまで本人がいう通り護衛が必要ないくらいに減っていたのなら。

 いや、大体が本当に減っていなければ、いくら本人が云おうと不自由を感じようと護衛がそれこそ張り付いていたろうが。

 かれひとりを付けて帰らせて本部が構わないと思っていたのなら、それこそ本当に少しは減っていたのだ。

 だとしたら、…。

 その暗殺が復活したとしたら。

 かれの部隊に同行したいと言い出したことが、何か関わりがあるのか。

 考えて、薄く目を細める。

 …いずれにしても、今日は仕舞いだな。

 目を閉じて、こめかみを揉む。

 考えたくないことがいろいろと起こった一日だ。

「寝よう。…少しは遠慮しろ」

かれの寝台に遠慮無く寝転がっている相手に、威嚇するが。

 少しも耳に届いている気配はない。

「くそ、…」

 寝つきの良い相手に毒づきながら。

 あきらめて、制服を畳んで枕にして床に横になる。

 寝つきの良さでは相手に負けないかれも、また速攻で眠りに就いていたのだった。






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