寝台に腰掛けて、短剣を手に取り重さを量るかれに、後ろから間延びした声が聞こえてきた。
「なにしてるの?―――グレッグ」
「……剣を選んでるんです。ようやく起きましたか。もう九時ですよ」
こういう場所で後ろから声が聞こえてくるなら、もっと色気のある相手にして欲しいものだ、と軽く殺意を憶えながら。
答えたかれの後ろで、まだ這いずっている音がする。
いま後にいるのは人間の方のロクフォールだ。灰青色の髪が、見事に乱れて突っ伏している。金褐色の眸で真剣に手に持つ短剣を見ながら、低い声でいう。
「いい加減起きなさい。本当に軍人ですか?とっくに起床時間は過ぎてるとおもいますがね、…――――何してんです?」
嫌味をいいながら手に剣を量っていたかれは。
後ろから這ってきて剣を選ぶ姿を眺めてから。
こてん、と灰青色の頭が落ちて。
かれの足を枕にまた眠り始めた相手にぎょっとして叫んだ。
「何してるんですか!あんたは!」
人の膝を枕替りにしてすやすや眠っている相手から返事はない。
「…―――起きなさいっ、おい、おきろっ!」
「…にーさん、あとすこし、――――」
「おれはあんたの兄貴じゃない!起きろといってるんだ、このばか!」
片手に選んだ短剣を鞘に入れて革で脇に吊るしながらいうが。
「おい、だから、…―――ウィル。どうにかしてくれ」
「…何叫んで暴れてらっしゃるのかと思えば。何してるんです?」
開けておいた扉から入ってきた副官が、手にした盆を卓に置きながらいう。
盆にはミルクとパン。寝台の脇に立てかけた武器を手に取り、副官がしみじみという。
「あんた、やっぱり人が良いですねえ…。やっぱりばかでしょう?」
「―――――そんなことより、これをどうにかしてくれ」
訴える上官に、ちら、と冷たい目線を副官が眠っている青年将校に向ける。
いや、青年将校ロクフォールと上官にというべきか。
「おい?ウィル、――――」
「いいでしょう。懐いてるじゃないですか。お兄さんねこの方は、早起きしてもう出てってるんですよ?あちらは、もうごはんも済んで運動しに出ていきましたけどねえ。…ま、それに、このねぼすけさんの為に別に食事を用意してやるくらいには親切なわけですし。膝を貸してやるくらいなんです?」
「…だから、起してくれ」
確かに食事の用意をこの副官に頼んだ。それは確かだ。
「すまない、手間をかけた、…だがな?ウィル、…」
手振りで、これ、をよかしてくれ、と頼む上官を冷たい目で副官がみる。
「ご自分でやればいいでしょう?」
「さわりたくない!」
沈没して寝ている青年将校ロクフォールを副官がしばしながめて、首を振る。
「御自分でなさってください」
「冷たいだろう!ウィル!これをどかしてくれればいいんだ!」
「いやです。ちゃんと起こせばいいでしょうが?」
あきれてみる副官を、訴える視線でかれが見返す。
「やった、もう。これだけ大声で叫んで起きないのを、どうすればいいんだ?」
本気で困惑している上官をみて、あきれた溜息を吐き、副官が提案する。
「――――寝かせとけばどうです?」
「……動けないだろうっ!」
だから、どかしてくれ、と訴えるかれに。
首を振る副官ウィル。
そんなくだらない言い合いを上官と部下がしていたとき。
「…なに?」
身動いだ参謀に、びくりとかれが視線を向けた。
灰青色の塊が動いて、むくりと顔を起こした。
ちなみに、髪がもつれてひどいことになっている為、顔は半分以上が隠れてしまっている。どこか、昔みた救助犬――大型の毛むくじゃらで、眸がどこにあるのかわからない雪男のような白い大型犬だった――を思い出してかれが眉を寄せる。
一応、確かきちんと髪をあげていた際にはおそらく美形で通るだろう容貌も、この状態ではもつれたモップのような有様だ。
「うん、…――――ごはんのにおいがする、…」
「おい?」
くんくん、と。空気を嗅ぐようにすると、目を閉じたまま青年将校ロクフォールが起き上がる。灰青色の塊が動くともつれが少しほどけて空気に柔らかい髪が、ふわりと揺れて。
まるで綿毛だな、と思わず今度は春の野に飛ぶ飛翔草の綿毛がふわふわと飛ぶさまを連想してかれがさらに眉をしかめる。
何かが、―――すこし、少しだけ記憶に引っ掛かっていた。
――なんだ?こいつに会ったのは確かにこどもの頃だが、…?
その記憶とは異なるなにかが落ちてきそうでこない。難しく眉を寄せているかれの前で、青年将校ロクフォールが目を閉じたまま――顔はみえていないのでおそらくだが――顔を左右にすこし振って何かを探すようにする。
そして、自動的に。
「――――おい?」
かれの膝から離れて、目を閉じたまま盆の方に顔を近づける。
そう、副官ウィルが運んで来たバスケットに入れられたパンと、盆にのせられたミルク。市がひらくのをまって、ウィルにこれの食事を調達するようにかれは頼んでいた。その結果、こうして副官はきちんと食事を運んで来てくれたわけだが。
膝の上に手をついて、首をのばしている青年将校に頭にきて怒鳴る。
「だからっ、おれから離れろ!」
「あんたが避けばいい気がしますが」
這って匂いのする方に辿り着こうとしている参謀に慌てたかれに副官が冷静にいう。
「そ、そうか」
やっと気がついて、膝についている手を外すように動いて。ようやく寝台の壁際に何とか退いたかれのへっぴり腰を副官がみてあきれて溜息をつく。
腰が引けて寝台の壁際に何とかひっついてみているかれと、冷静にみている副官の前で。
ひざから手が落ちて、寝台に一度落ちてから。
さらに、寝台からも一度落ちて。
「…――――――?!」
床にかなり派手な音を立てて落ちた青年将校ロクフォールに、壁際に懐いてかれが驚きながらみるが。
落ちた衝撃にも構わず床を目を閉じたまま這って。
その間に冷静に副官がベッドサイドの小卓においた盆とバスケットに。
盆の前に目を閉じたままうっとりと顔を寄せると。
はぐ、と。
目を閉じたまま、灰青色のモップのように乱れた髪の間から、―――。
パンをかじる参謀の姿に額を押さえるかれに副官が訊ねる。
「どーしたんです?」
「…いや、何でもない」
こいつ、…。
はぐはぐ、とうれしそうに――背中が語っている――青年将校は籠からはみ出ていたパンをかじって食べているのだが。
どうしてここまで寝起きが、…いや、それはともかく、…。
これで、名参謀ロクフォールだとごまかせるのか?と。
声に出せるものなら大にしていいたいが。
対外的に、”これ”を、こんな奴を名参謀ロクフォールだとごまかす?つまり、これが名参謀ロクフォールだという?
頭痛を憶える。
自軍の名誉を思うと慮るものがある。
それは確かに、しゃべるねこが名参謀ロクフォールだというよりは、対外的にはいいのかもしれなかったが、…―――。
それは本当か?
これ、よりはまだねこの方が良くないか、…と。思わずそう思考してから沈黙する。
そんなかれの苦悩するようすに、副官があきれながらも訊ねてくれる。
「どうしました?」
「いや、何でもないんだ、…」
その返答にあっさり副官がうなずいてから指摘する。
「ならいいですが、あれ、あのままおいとくと、引っ繰り返してこぼすか、息を詰まらせることになるとおもいますけど」
どうします?という副官に。
目を閉じて、――――閉じたまま、割に背の高いコップに入ったミルクに顔を突っ込もうとしているばか、――――青年将校ロクフォールが目に入った。
「おい、何してるっ、――――!」
あのままなら、確実に真鍮のカップに顔を突っ込んで外れなくなって窒息するか、ひっくり返して辺りをミルクだらけにするか。
悲劇を止める為には他に方法はなかった。
「このばか、――――」
後ろから腕を回して何とか止める。
ここにきてまだ寝ぼけている青年将校に活を入れようと声を大きくするが。
「ちゃんと起きて飲め!そういうぐうたらなことをするな!」
「ん、―――ごはん、…」
「だから、ごはんじゃない!ちゃんと起きろといってるだろ!」
「―――のまないと、目がさめない…」
「あのなっ、――――くそっ!」
副官が、少し沈黙して上官をみていた。
――この方は、本当にお人好しですねえ、…。
しみじみとおもうのはそれだ。この型破りといわれる小隊長は、どうにも本人の自覚と外側にみせたい人格とは異なり、完全にお人好しといっていい行動と思考形態を持ち合わせていますよねえ、と過去と現在を検証しておもいつつ。
青年将校ロクフォールが、ミルクを零して大惨事を招くのを止めている隊長をあきれたまなざしで副官が観察する。
そう、その行動を。
「あ、あの、――――」
目が醒めたのか。ようやく灰青色の塊の隙間から見えるようになったひらいている瞳を瞬かせて、驚いた灰青色の瞳でみあげて青年将校ロクフォールがいう。
びっくりしているのは、いまようやく本当に目が醒めたのだろう。
「どうした?飲ませたぞ?目が覚めたな?文句あるか」
「――うん、ありがと」
驚きながらも、手渡されたコップを手にする。
その前、コップは隊長の手に握られていた。
そうつまり、かれはミルクの入ったコップを手に、青年将校ロクフォールの頭を支えて、口許に当てて飲ませてやったのである。
――まったくねえ、…。
お人好しもすぎますよ、と。
態々、青年将校にミルクを飲ませてやった上官を前に軽く副官が首を振る。
「どうした?」
不思議そうにその副官をみるかれに。
そう、上官の気持ちとしては親切にしたつもりも世話をしたつもりもまったくなく、単に面倒になったから強硬手段に出ただけのつもりなのだと。
これまでの経験から理解している副官はあきれながらもアドバイスする。
仕事は他にもつまっているのだから。
「…いえ。いいコンビだな、と思いまして。最後までちゃんと食事はあたえといてくださいね?せっかく、わたしが市まで出かけて揃えて来たんですから。じゃ、お邪魔しました」
「おい、――?ウィル、まてっ!」
呼び止める上官にも構わず、あっさり出て行ってしまった副官に絶句していると。
「あ、あのひとが用意してくれたんだ?いいひとだね、――――ありがとうございます。ごはんだ――――」
両手を組んで感謝の挨拶をして。
本当にうれしそうに盆に乗せられた食事に向かい始めた相手に頭が痛くなる。
「――あんたな、…」
「いいひとだよね。あ、おはよう、グレッグ。いつからいたの?」
「…――――」
一度絞めるべきというか、いまさっきしておくべきだったな、と。
つい暗く考えながら。
あきらめを海より深く飼いながら、かれは思っていた。
赤毛の大型猫――本物の名参謀ロクフォール――が、先に出ていったのは、これの世話をしたくなかったから、に違いないと。
肩を落としながらうながす。
「いいからさっさと食って仕度してください。出かけますよ」
「何処へ?」
パンを口にしながら、振り向いた相手に拳を堪えつつ。
「ええ、あんたの宿舎に、送り届けますから。準備してください」
辞令がくるまで、あんたはうちで引き受けるわけじゃありませんから、と付け加えるかれに。
すこし考える風にして、ロクフォールが首を傾げた。
「なら、家まで送ってくれる?」
「家、ですか?」
「うん。―――あ、おいしいね、このミルク」
「わかりました。さっさと食べて準備してください」
とにかく届ければいいだろう、届けてしまえば、と。そうすれば、少なくとも此処にいる間は悩まされずに済むはずだ、と。
かれはおもっていた。―――――
希望的観測、という奴ですねえ、と。
副官がみているなら、無言であきれて首を振ったに違いない。
それでも、少なくとも確かに命令書が発行されるまで。
それだけの間だけでも、何とかこれとかあれの世話をせずに済むようにしたい、と。
せめて、…本国にいる間だけでも、だ。
真剣に思っている小隊長。そして。