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Act8 下町と部下達とロクフォール


 食事を終えて、顔を洗ってなんとか見られる格好になった――髪を結んだだけのことだが、それだけで一応はモップから人間にみえるようにはなった――青年将校ロクフォールが、ご機嫌で街路を歩いて行く隣りで。

 眉を寄せて小隊長が訊ねる。

「で、どこまでいくつもりなんです?」

あきれた声でいうかれに、その少し先を楽しそうに歩いていたエディが振り返る。

 じゃあついてきてね、と。

青年将校ロクフォールが住む家に送り届ける為に、かれはついてきていたのだが。

 きょとん、とした顔で振り向く青年将校に獰猛な金褐色の眸で脅すようにみるが。

「え、どこって?」

「――――御自宅に帰るのを送るはずですが。こちらの方にあなたの家があると?」 

脅しが通じる相手でないことはわかっているが、かれの獰猛な笑顔にもまったく動じない相手に眉を寄せていう。軽く片手を振りかれがしめしてみせる周囲は下町。

 既に宿舎からは随分と歩いて、もう辺りは港も近い雑多なざわめきのある港町だ。

「うん、この光の反射がね、面白くてつい、――――」

「つい?」

目を眇めるグレッグに、青年将校ロクフォールが立止まる。

「ごめん。本当に真面目に家に帰ろうと思ってたんだけど」

「はい?」

首を傾げて青年将校が少し反省している風にみえるのは気のせいではないだろう。

「えっと、…ごめん」

「何を見てるんだろうと思ってましたが」

光?と眉をしかめるかれにうれしげに説明する。

「うん、宿舎を出た処でね。ほら建物の窓に使われてる窓硝子。あれに、景色が映ってるでしょ」

「―――そうですね」

確かに、硝子に映る光景がある。

「あれって、別の場所でしょ。先の光景が映ってるんだよね。だったら、何処まで追えるかなっておもって」

きらきらと輝く瞳で説明する青年将校に、溜め息を吐く。

「グレッグ?」

「軍曹で。本当にそうだったとは思いませんでした」

 まさか、と思っていたのだ。

 おそらく、自宅へまっすぐに向かっていないとは思っていた。

 だが、本当に――まさか、硝子に反射した景色が面白くて、そこに映っている景色を追いかけてたりしないだろうな、と…。

 ――わかりたくなかった、…。

何故わかる、と自身に突っ込みをいれながら。そこはかとなくつかれを憶えながら想うのは過去のことだ。

 ――そうだな、昔、同じように孤児院の水たまりに映った景色を追いかけようとしたことがあったな、…そういえば。

 忘れたい過去だ、と。

額に手をあてて軽く目を閉じる。

 それに、おどろいてエディ――エドアルド・ロクフォールが見返して。

「え?わかっててあとついてきてたの?怒らずに」

「怒るにはあきれすぎてます。いえ、まあそれに」

「それに?」

僕が家に向かってたんじゃないと知ってて、ついてきてたの?と不思議そうにいう末弟のロクフォールに軽く頷いて、路地の向こうに視線を振り向けた。

 そこに在るのは見知った顔だ。

 無視する訳にもいかず声を掛ける。あきれと疲れが半ばとなった隊長の声に。

「…昨夜はこっちに泊まったのか」

「よう、隊長。どうしたんだい?そんなべっぴんさんつれて。昨夜はお楽しみだったのか?」

髭面の大男が煉瓦造りの二階から大声で笑いかけてくる。

それに、軽く眉を寄せて応える。

「おまえも、ウィルもだが。これが別嬪にみえるならどうかしてるぞ?それより、明日は素面でいろよ」

「おう、じゃあな、隊長。あとでな!」

手を振ると、木製の窓が音を立ててしまる。

 髭面の大男を目を丸くして眺めていた青年将校を振り向いて。

「どうしました?おれの部下の一人ですが。ああいうのと御一緒するのがいやなら、別の隊にお邪魔することを考えてくださいませんか?」

「いまのひと、名前は?」

「ゲオルグですが」

「ゲオルグさん?そうなんだ。大きいひとだね。僕とお楽しみって、何?」

煉瓦に潮風が運ばれてくる。明るい陽射しを仰いだ。

「いい日射しですね。風薫る五月だ」

「そうだね。で、どういう意味?」

下町独特の気配と潮風が近い港の空を仰ぐかれに、また声が掛かる。

 石畳を歩く音も軽快なのは、昨夜のお楽しみがうまくいったからだろう。

「隊長!どうしたんすか?かわいいのつれて」

細くひょろながい背丈に上着を半分だけ肩から担いでいる男が近づいてきて二人を見比べる。

「…かわいいのか?これが」

嫌そうな顔になっていう隊長と、隣りの灰青色の髪と瞳をした青年将校を見比べる。

 痩せた男が、首を傾げながらいう。

「かわいくないですかい?こういうのが趣味かと思ったんですが」

「――――よしてくれ、ヴォーグ。ゲオルグといい、何処をどうみたら、これがかわいくみえるんだ?」

「かわいくないかな、僕」

 確かに、にいさんの方がかわいいけど、と。

小声で真剣な表情でいうエドアルド・ロクフォールに、ヴォーグが腕組みをして真面目にみる。

「ううん。大将の趣味はよくわかりませんがね。なかなかいい線いってるんじゃねえんですかい?そこらの娼館につれてけば、そこそこ稼げると思いますが」

「その手の娼館に通う趣味でもあるのか、おまえは」

あんまりな部下の言葉にかれが反論すると、肩を竦めていう。

「いや、ありませんけど。結構売れっ子になるんじゃありませんか?」

「そう?売れっ子になれるかな?」

それに、うれしそうにエドアルド・ロクフォールがいうのを、頭痛を堪えてかれがみている前で。部下が、青年将校に大きく頷いて太鼓判を押している。

「少なくとも、顔はそこらの美女にひけをとりませんぜ。保証します」

「うわ、ありがとう」

花の咲いたような笑顔に頭痛を憶えて、かれが天を仰いで云う。

「…――――よろこぶな能天気に。しかし、顔立ちがいいのか?これは」

「あ、傷つくな。一応、これでも貴婦人方の評判は良いんだけど」

 あ、でもそれもにいさんの方が評判はいいんだけどね、と小さく付け加えているエディに、そうでしょうとも、と内心かれが頷く。

 ――あの赤毛の大型猫は、そりゃあ、貴婦人方にもてるでしょうよ。

ひざに抱こうとしたり、その他と大騒ぎになるのが目に見えるようだ、と思いながら。

「子猫や愛玩犬がかわいがられるようなもんでしょう。――どの辺りが美形なんだ?」

ヴォーグの痩せた貌を睨んでかれがいうのに。

「うーん。大将、女の趣味は悪くないんですがね。美形にみえませんか?」

腕組みのまま難しい顔していうヴォーグに、かれが真剣に聞き返す。

「女の美形はわかるが、男に美形といわれてもよくわからん」

あくまで真面目にいっているとわかって、ヴォーグが鼻の脇を掻く。

「まあそりゃあそうかもしれませんがねえ。…一応、美形だとはおもいますけどね?」

理解できないことは投げ捨てることにして、隊長としての役割を思い出してかれが問い掛ける。

「まあ、そいつはどうでもいい。それより、ヴォーグ。おまえ、制服だろう、それは」

「いや、気がつきましたか?」

僅かに眉を寄せていうのは、どうみてもその制服が二つにきれいに裂かれているからだ。

「当り前だ。きれいに半分になっているが、宿代にとられたか?」

「いえ、ちょっと花代にね。これから宿に戻って、きちんと清算して取り戻します」

いきなり敬礼して直立不動になった部下に、軽く溜め息を吐く。

「おれは構わんがな。明日はきちんと両方揃った制服を着ていないと、かなりまずいぞ」

「はっ、必ず揃えます!」

直立不動になったままいう痩せた色男に、あきれながら頷く。

「…わかった。あとは、――――あの二人は何処だ?」

「いつもの処であります!」

「そうか。さっさと半分取り戻せよ」

「了解です!」

直立不動のままの部下をおいて、かれが歩き出す。

それに着いていきながら、楽しそうにエディがいう。

「面白いひとだね。ヴォーグさん?」

「そうだ。ヴォーグ二等兵。あれで、炸薬のエキスパートだ。…こっちだな」

「うん、どこいくの?」

目を輝かせてついてくる青年将校をちらりと見てから、溜め息を吐く。

「知りませんよ、どうなっても」

「うん?グレッグ?」

 まあ子犬のようではあるが、と。

 ついてくる姿に思いながら、表通りから外れた路地へと入って行く。

 幾つかの路地を迷わずに歩くかれに、物珍し気に辺りを見渡しながら青年将校ロクフォールがついていく。

「ね、何処行くの?」

「黙っててください」

「うん」

薄暗い通りから、急に路地を抜けると眩しい光が一面を照らしていた。

「うわ」

 眩しい光を返すのは海。

 輝く陽を返してきらめく海に踏み出しながら、かれがいっていた。

「相変わらず、戻って女でもなく海に逢いに行くとは解らないな」

「解らなくて結構ですよ。この港の、此処じゃなきゃいけないんです。隊長に釣り人の気持ちはわかりませんよ」

 眩しい光の射す右手から、声が応えた。

 逆光になっていて貌がみえない相手に肩を竦めてみせて。

 軽くそちらに手を振っていう。

「まあ、解ろうとも思わないが…デュークはどこだ?」

「そちらに」

明るい海面に目を細めながら、煉瓦の波止場に打寄せる波に滑らないよう気をつけて左手を見る。

 波止場のもやいの側に陣取って、いま一人、釣り人の姿がみえる。

 中肉中背の男が、軍服のまま釣り糸を垂れている。

「釣りしてるんですか?二人とも?」

続いて顔を出したロクフォールが、左右を見比べる。

「ご兄弟?」

「それが違う。良く似てるがな。デューク。頼んどいたものはきてるか?」

「……―――」

無言のまま、釣り竿を軽く振る。

目の前に紙片をさげた釣り針を受取り、笑顔で応える。

「ありがとう、助かった。じゃあな、マイク」

「大将もお元気で」

「御前達もな」

早足で行くグレッグに遅れないように一生懸命着いて行きながらエディが訊ねる。

「いまのひとも、部下さん達?いまの紙切れはなに?」

歩きながら、かれが微笑む。

「あんたの家の住所です」

「―――――えっ?」

明るい表通りに抜け出て、絶句している名参謀に向き直る。

「あんたがまともに家に帰るとは思えないんで、手配させて頂きました。馬車使いましょう。結構遠いようですから」

「――――あの、その、家に?」

「はい。あんたを送り届けて、それからせめて本国にいる間は無事に過ごしたいですからね。此処にいる間は、平穏に過ごしたいんです」

「えっと、平穏?」

「はい」

 沈黙が漂った。

 潮風が気持良く明るい港町に吹いている。

 じゃ、せめてと。

 いったロクフォールに、かれが首を振った。

「どうして?歩いていくのはだめ?」

馬車なんて勿体無いじゃない、という青年将校に。

 にっこり、笑顔で答えていた。

「あんたが脱走するのをいちいち捕まえるのは面倒ですから」

 にこやかに片手を挙げると、小型の辻馬車が止まる。

「頼む」

えっ、別に脱走なんてしないって、といっている青年将校を完全に無視して。

「はい、どちらまで」

ロクフォール家の屋敷がある地区を告げたかれに、御者が頷いて馬に鞭をくれる。

馬車の座席に座り、戸惑いながら青年将校ロクフォールがいう。

「えっと、別に逃げないけど?」

「ですが、脱走はともかく、脱線はするでしょう」

冷めた視線で言い切るかれに、馬車の天井をみながら青年将校ロクフォールが難しい顔になる。

「それで僕の住所受け取りに、―――それまでは僕に好きに歩かせていたわけ?」

「丁度、行く方角だったので」

「ひどいかも、グレッグ」

「軍曹です」

きっぱりというかれに。

「ひどいよ、グレッグ」

睨むエディに、思っていた。

 子犬というよりも、…。

 少なくとも、名参謀である大型猫のように、猫科ではないだろう、と考えて。

 ―――馬だな。

 そう結論を出す。

 馬小屋で世話をしていた子馬を思い出す。そういえば、今朝はつい子馬にミルクを飲ませていたのを思い出してやってしまったが。

 こどもの頃は、馬小屋で馬の世話をするのがかれの仕事だった。

 ――多分、この目の大きさとかだな、似てるのは。

 そして、こどもっぽくみえるのも、言動と同時に目が大きいからだろうと。

「まあ、そうですね」

「なに?」

「美形かどうかはわかりませんが、馬には似てますね」

唐突なかれの言葉に、エディ――エドアルド・ロクフォールが戸惑って返す。

「馬?馬に似てるの?僕」

それ、初めていわれたんだけど、と。

「…そう、なんだ?結構、視点が斬新…?グレッグって?」

おどろいているエディに構わずかれが腕組みして頷く。

 脳裏にあるのは、かれの愛馬だ。

「はい、まあ、あいつの方が絶対あんたより美人ですが。きれいな馬でね」

「それは、――――ほめられてるの?」

首をかしげてエディがいうのに、大きく首を振る。

「ほめてるわけないでしょう。大体、あんた容姿のことを褒めてほしいんですか?」

眉を寄せるかれに、青年将校ロクフォールも難しい顔をする。

 確かに、容姿を褒められたいかというと?

真面目に考えて、エドアルド・ロクフォールが結論を出す。

「それは、そうかも。別にほめられたくはないよね」

しみじみという青年将校にかれも頷く。

「でしょう。顔で生計立てられるならともかく、そうでなけりゃ価値はありません」

「…きっぱりしてるね」

驚いてみる青年将校に深く頷く。

「顔で生きてけるなら、それも立派な芸のうちですからね。ようは、飯が食えることが大事なんです」

「それは凄く共感するかも」

「あんたと共感したくありませんが」

同意したエドアルドに、かれが眉を寄せる。

「どーして?グレッグ」

「どうしてもです」

「そんな、どうしてもなんて」

青年将校ロクフォールが抗議していると、音を立てて馬車が止まった。

 窓外をみて、予定していた場所とは違う処に止まっている馬車に、かれが御者に声を掛ける。

「着いたのか?」

「旦那方、此処で降りてください。この御屋敷街の中には、このぼろじゃ入れませんや」

有無を言わさず停まったままの馬車から降ろされて、道を引き返していく馬車を見送る。

 引き返していく馬車の轍が石畳を踏む音が遠ざかって行く。

 しばし見送ってから、馬車が入るのを拒んだ立派な屋敷街を眺めて。

「さて、行きましょうか?」

「う、うん」

家に帰るんですよね?と笑んで促すかれに。

ちょっと空を向いていう末弟のロクフォール。

そういって、しばらく動かずにいたけれど。

「じゃ、行こう」

あきらめたように首を振ると、無理矢理という風に明るくいうと早足で歩き出したエドアルド・ロクフォールの後から、のんびりとかれも歩き出していた。





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