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Act9 屋敷街

 槍と紋章を優雅に描いた格子の塀が連なる通り。

 緑の庭園がみえる邸宅が並ぶ通りをまっすぐ歩いて行く。

 この周辺にある邸宅は、貴族でも由緒正しい連中が領地の他に設けている出張所みたいなものだ。

 現在かれの住む国は君主制ではなくなっている。

 貴族を中心に元老院が置かれ、王家は存在しているが象徴的存在だ。

 この貴族の中の貴族といえる者達の屋敷街は、国王を中心に政治が動いていたときの名残だった。実際いま政治を動かしているのは、大商人や貴族の一部が作り上げた元老院だが。

 貴族達の華麗な邸宅が並ぶ通りは往時の伝統を引継ぎ美しく、いまも実際に権力を握る者達が住まう地区となっている。

 そして、権力をいまだ維持している貴族であろうとなかろうと。

 貴族というものは。

 ――らしくはないな、とおもう。

 エドアルド・ロクフォール青年将校。

 一応、この屋敷街に家があるということは、つまりは貴族の中の貴族といわれる家系に生まれて過ごしてきているはずなのだが。

「あんた、本当に貴族ですか?」

かれの知る限り、貴族ならまずかれがこの相手にこれまで行った言動に対して怒るのが通常なのだが。

 これまで考えてはいなかったが、立派な屋敷街を歩いていると疑問が浮かんでくる。

 ―――貴族には、…みえないな。

 思わず考えているかれに対して、ロクフォールは首を傾げている。

「難しい質問だよね。ディックは貴族だけど。知ってるでしょ?」

「あ、はい。――――歩きましょうか。それは、そうですね」

そういえばそうだったな、と頷く。

 ディックはリチャードの愛称だ。このロクフォール三兄弟の末弟がいうのは、長兄――一番上の兄である、リチャード・ロクフォールのことだろうと見当をつけて。

「確かに、彼は貴族だと聞いていますが」

リチャード・ロクフォールが貴族だということは聞いていたが。軍人としても優秀なこともあって、どうも貴族というイメージがない。

 まあ、こいつに対してとは正反対の理由でだが。

思っているかれに、不思議そうにロクフォールがいう。

「だったら、普通、弟は貴族じゃない?」

「ま、そうなりますね」

ちら、と見るが。のほほんと笑顔で見返す青年将校ロクフォールに。

 見えないな、…貴族には。

「貴族にはみえない?」

楽しそうにきくエディに、剣呑な視線を投げる。

隣りを歩きながらそう能天気にきかないでほしいものだ、とおもいながら。

「まあ、規格から外れてるとは思いますが」

「そうなんだ、――――どうして?」

「…貴族が、臓物の煮込みなんて食いますか?それもうまそうに」

「――――だっておいしいんだもん。グレッグは好きじゃないの?」

「――人の分まで食わないでください」

「やだな。せっかくそうなら次から僕が全部食べてあげようとおもったのに」

残念そうにいう青年将校に、つい視線が険しくなる。

「あんたはな、人の食う分まで横取りしないでくれ」

「ええっ?でもおいしいし!半分しか食べないのって、きらいなんじゃないの?」

だから、ぼくが食べてあげるよ、と主張する相手に、つい本気になって睨む。

「好き嫌いの問題じゃない!食わなきゃ動けないだろうが。それに、臓物の煮込みは好物です!」

「…なんだ、―――残念…」

次から全部もらってもいいかとおもったのに、と。本気で残念がっている青年将校に、拳を握る。

「あのですね、あんた、――――それで、何処なんです?あんたの家は」

塀が、永遠に続くかと思える程に続いていて。

家という規模からは当然外れている居並んでいる屋敷の塀が、終わらないのだ。

つい雑談をしても続く塀の先がみえないくらいには、長い。

「これ、どこで途切れるんです?門は何処に?」

眉を寄せるかれに、青年将校ロクフォールが不思議そうにいう。

「あ、これ全部家だよ?」

「―――はい?」

おもわず問い返すかれに、エドアルド・ロクフォールは周囲を見回して云う。

「多分だけど、門は…――どっちだったかな、…」

「はい?」

思わず再度問い掛けてしまうかれに構わず、青年将校は首を傾げている。

「うん、このあたりなのは確かなんだけどね…」

「はい?」

重ねてさらに問い掛けてしまい、悪い予感に青年将校ロクフォールを見返す。

「それはどういう意味ですか?」

「ええと、…うん」

空に視線を逃してエドアルド・ロクフォールがいった。

「その、まあ、いいにくいんだけどさ」

言葉を継ごうとする青年将校を制して、かれがうなずく。

「わかりました」

額に手を軽くあてていうかれに、エディが目を見張る。

「わかったって?ぼくまだ何もいってないんだけど?」

驚いているロクフォールを前に、諦観と共に考える。

 ――やはり、そうだったか、と。

断定できる結論をかれはくちに出していた。

「つまり、道に迷われたんですね?」

「あっ、どうしてわかるの?すごいなあ、軍曹」

白々しく階級で呼ぶロクフォールに、機嫌悪く応える。

「いきなり階級で呼ばなくていいですから。それで機嫌とってるつもりですか?」

エドアルド・ロクフォールの視線が泳ぐ。

「その、さ。あの、―――多分この辺りにあると思うんだ」

「どうして、自分の家の門がわからなくなるんですか」

「だって庭が広すぎて、…―――何処かの角を曲がったら確か、正門があったはずなんだけど、…それに、この辺りって似た家が並んでるでしょ?本当に庭ばっかり続いてるしさ、街中のように角の柱に番号もないんだから、わかりにくくて困るよね?」

「住んでるんでしょう?」

「そうともいうけど」

「…――――」

額を押さえて俯いたグレッグに、青年将校ロクフォールが心配そうにみる。

「あの、どうしたの?」

「―――いえ。どうして、あなたを、…いえ」

「うん?」

視線をあげたグレッグに一歩、エドアルド・ロクフォールが後退る。

 確かに、目印とてない緑の邸宅が続く広大な敷地だが。

「うん、なにかな?」

にっこりと引きつった笑顔で応じるエドアルドに。

穏やかに見える金褐色でかれが見返して。

「つまり、――――本当に道に迷ってるんですね?」

「ええと?その?」

「誤魔化しても事実はかわりませんよ?自分の家に帰るのに、道に迷う?しかも、屋敷街まで来て?」

「ええと、…落ち着いて、グレッグ、…軍曹?」

低い声でいうかれに、エドアルド・ロクフォールが視線を逃す。

 カマをかけて、それが本当に道に迷っていたなど、…。

「あんた、やっぱり、絶対に一緒に来ないでください!道に迷う?それを連れて戦場へ行けと?」

「…――ほら、落ち着いて、軍曹、ね?」

「これが落ちつけますか?あんたのあのにいさんはいまどこに?これから、翻意して頂きましょう。あんたたち、少なくとも、あんたは絶対に屋敷から出るな!」

思わず大声でいうかれを情けない顔でエドアルド・ロクフォールが見返す。

「大丈夫だよ、…ね?ほら、その…地図があればわかるんだから、いいじゃない」

「地図があれば?この地区の地図を見たことがないんですか?」

「―――えっと、だって地図はその、しるしがあるけど、道には印がないじゃない」

「印、ですか、…。東がどちらかわかりますか?」

「え?」

いいわけを始める青年将校に、不機嫌だと一目でわかる表情でいう。

「東です。方角の東。わかります?」

「え、…と。太陽がそっちに出てるから、―――あっち、かな?」

「逆です」

「…――――」

沈黙が漂う。

「方向音痴を戦場に連れて行けと?」

その沈黙を破り、しずかなくらいの声でいう穏やかなかれの金褐色がもつ気配に青年将校が少しばかり引く。

「えっと?」

「エドアルド・ロクフォール」

「は、…はい?」

「あんたが迷子になっても、おれたちは探しになんていってる暇はないんですよ?」

「ええと、だから、迷子にはならないように、一緒に行動する、…とか」

最後の方が小声になる青年将校は多少の自覚があるようだな、と。

 獰猛な笑顔で金褐色が煌めき、かれがしずかな声で話す。

「正確にはあっちです。方角の感覚、ないんですか?」

太陽の昇る方角を示してみせるかれに、青年将校ロクフォールが瞬く。

「正確な方角なんてわかるんだ」

「いまの時期、太陽のある方角は少しづつずれていくんですよ、北に。それはともかくとして、感覚でわかりませんか?」

無言で首を振る末弟のロクフォールを、しみじみとみる。

 いますぐ、司令部の狸親爺に怒鳴り込んで命令書を破棄させたい、…。

難しい顔で考えているかれの纏う剣呑な気配に、エディが。

「うん、全然。すごいね、グレッグ」

そういうのわかるんだ、と脳天気にいっているロクフォール兄弟の末弟。

 かるく頭痛を憶えて額を押さえる。

 そうか、…。

 脳天気に街で光を追って歩いていただけでなく。

「――――軍曹にしといてください…。そうですか、もしかして、街でも道に迷うでしょう?」

「え、どうしてわかるの?」

「というか、街でも道に迷いながら歩いていたんですね?」

「ええっと、…ほら、うん?」

何か誤魔化そうとしているエドアルド・ロクフォールを冷たい視線で見ながら考える。

 確かに、この屋敷街は慣れたものでも印を見失えば迷うことがあってもおかしくない広さがある。延々と続く道に目印はなく、街の通りにあるように番地を掲げた看板も無い。通りの名前を書いた案内板も無ければ、迷ってもまあ仕方がないか、ともおもうが。

 見慣れた場所に行くにも、建物の目印があっても道に迷う人種が存在することだけは知っていたが。

 野戦の目印などない戦場で、当然のように正確に道を辿らなければ命が無い状況で長く生きてきたかれには、よくわからない感覚だった。

 いや、それ以前の問題として。

 ――こんなもの、連れて行きたくはない、…。

 命令書の破棄はいまから無理なのか?とかなり真剣に考えて沈黙しているかれに。

「道に迷う?」

と呟いたかれに、エディが心配そうにいう。

「あの、やっぱりまずいかな?」

 それで戦場に?

 道に迷う奴を連れて、戦場に戻らなけりゃいけないのか?

 思わず暗澹たる先行きに言葉をなくしていると。

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