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Act10 リチャード・ロクフォール


「あ、馬車だよ。道聞いてみようよ」

 よかったね、と馬車に近づいていく青年将校の背をみながら溜め息を吐く。

 番地だけでなく地図もつけるべきだったな。

 こいつを送る為に必要となった番地を部下達には依頼してその情報を得たのだが。

 ―――自分の家くらいわかっているだろうと思ったのが間違いだった、…。

 そう考えながら、馬車に近づいていくロクフォールを見送りかけて。

「待て」

 いうと。

 不意に行く手を遮ったかれにエディが驚く。

 馬車と青年将校ロクフォールの間に身体を置いたかれに。

「あの、――軍曹?」

「私が聞きます」

止まった馬車とロクフォールの間に距離を充分おけたことを確認してから、御者に問い掛ける。

 黒塗りの馬車に控え目に紋章の印された内部に誰がいるのかはみえない。

 御者に視線を向けて訊ねる。

「ロクフォールの屋敷に行くには、どうすれば?」

黒毛の見事な馬を落ち着かせながら、御者が瞳を見開いて背後のエドアルド・ロクフォールを見た。

 地味な栗毛の中年の御者が、驚いて声をあげる。

「ぼっちゃま!」

「―――ぼっちゃま?」

眉を寄せて背に置いた青年将校をかれが見返る。

「おい?おまえのことか?」

「ぼっちゃまになんて言いかたをするんですか!何者です?ぼっちゃま、こいつは!」

手綱を取りながらいう実直そうな御者にかれが青年将校ロクフォールを見つめる。

「ぼっちゃま?」

「いや、そのう、―――元気だった?ジャック」

それに、少しばかり引きながら、青年将校ロクフォールが御者に向き直る。

「私は勿論元気です。それより、ぼっちゃま、――――どうしてこんなところに。いま、司令部に行かれているんではなかったんですか」

「あ、ちゃんと仕事してるから。ね?ねえ、軍曹」

思わず沈黙するかれにエドアルドが慌てる。

「いや、だからさ。うわ、どーしてジャックが、―――」

「エドアルド?」

「うわ、リチャード…どーしてディック…」

 騒ぎに馬車の扉が開いて。

 黒い紋章の扉が開き、静かに声と共にその姿が現れた。

 細身の制服が良く似合っている。

 黒の礼装の品格が細身の姿に感じられる。

 細い身体に鍛えられた優美さがあり、静かな視線にも周囲のものを自然に従わせる不思議な品がある。

 淡い金髪に、穏かな金色の瞳が眼鏡の奥からかれらを見る。

「リチャード―――」

 思わず呟いたかれに。

 青年将校エドアルド・ロクフォールが不思議そうに視線を向け、そして。

 軽く瞳を細めて、リチャードが小隊長を見た。

「グレッグ?」

「え、その」

ディック、知り合い?といっているエドアルドに答えずに。

リチャードがいう。

「どうしたんだ?君が、――――弟が何か迷惑をかけたかな?」

「いえ、―――。御久し振りです。お元気でしたか」

きちんと礼を取るかれと兄に、エドアルド・ロクフォールが二人を見比べる。

それに構わず、穏かな微笑を湛えてリチャード・ロクフォールが懐かしい相手をみるようにしてかれを見詰めている。

「随分久し振りだ。帰国されていたのか」

「はい」

短く答えるかれに、リチャードが弟に視線を向ける。

「そういうことか、…」

「ディック、なに?」

にっこりと弟に向けてリチャードが微笑みかける。

「では、丁度屋敷に戻る処なのでね。君も乗りたまえ。――――エディ」

「うん、なに?ディック」

「おまえも乗るんだ」

及び腰の青年将校をかれが訝しげに見る。

「どうしたんです?」

「いや、その、―――馬に悪いでしょ?僕は遠慮するよ、――」

「それなら私が」

そういうかれをリチャードが遮る。

「いや、グレッグ。君も是非乗ってほしい」

「ですが―――」

馬と御者を見比べるかれに御者が慇懃に答える。

「お屋敷まで、あと僅かでございますから」

「なら、なおさら、おれは歩いた方がいいかと思うんですが」

黒塗りの立派な馬車にいうかれに、リチャードが弟を見ながら微笑んだ。

「いや、此処は協力してほしい。これを逃がさない為にもね」

逃げ腰で馬車からそろりと遠ざかろうとしているロクフォール末弟をみて、かれが頷く。

「わかりました」

「ありがとう」

「なにをわかったの?グレッグ。あの、軍曹っ?」

慌てるエドアルド・ロクフォールに、にっこりとかれがいう。

「機嫌を取りたいなら、最初からそう呼んどいてください」

「――――うん、これから軍曹って呼ぶから!」

「兄上がお待ちですよ」

貴婦人をエスコートするように、促すかれにエドアルドが悪態を吐く。

「――――…だから、あのね?裏切り者っ」

「誰が裏切ってるんです」

まずその前に、あんたに手を貸すつもりは微塵もないんですが、とあっさりいうかれを睨む。

「だから、そのね、あのね?」

「はいはい、いいですからほら乗って」

 かれに促されて。

 リチャードの微笑む馬車に乗せられたエドアルドに。きちんとエドアルドが座席に座ったことを確認して、リチャードが出してくれと御者に合図をする。

「だ、だから、――――」

 降りようよ、と小隊長を向いていう弟に。

 穏かな笑顔で、兄リチャード・ロクフォールが話し掛けていた。

「私の帰宅に当たるとは、不運だったね。それで、今回は何を企んでいるのかな、エディ?」

優しい微笑に、エドアルドの腰が引けている。神々しいくらいの美貌に肩を落とす。

「―――ディックあのね?」

それから、馬車に揺られながら興味深げにかれらの遣り取りを眺めているグレッグを見る。

「あのね?何観察してるの?」

「いえ。今後の参考にさせていただかないと、と思いまして」

「何の参考?」

「―――あなたを我が部隊に迎えなければいけない以上、出来る限りの対策は必要かと思いましてね」

真顔でいうかれに言葉に詰まる。

「それなんの対策?あの、――――軍曹?」

「それだが、いまは軍曹なのか?」

不思議そうに訊ねるリチャードに視線を向ける。

「はい」

短くいうかれにリチャードが軽く目を細める。

「そうか」

「――――ディック、…軍曹と知り合いなの?」

訊ねる弟に、柔らかくリチャードが微笑した。

「本当に知らないのか?」

「僕も一応知らないことはあるけど?」

馬車の窓に流れていく緑を見詰めてから、もう一度エドアルドを見返す。

「それは意外な話だ」

「いーから、その、知り合いだったわけ?」

問い掛ける弟にあっさり答える。

「昔、同じ部隊にいたことがある。私がまだ大佐だったころだが」

「その節はお世話になりました」

頭を下げるかれ兄をエドアルドが見比べる。

「お世話って、―――?」

何をお世話?という弟にリチャードが微笑う。

「世話になったのはこちらの方だ。いろいろと助けてもらった」

「いえ、こちらこそ。大佐の指揮は見事でした」

「いや、実行してくれる君の力があればこそだ」

「ありがとうございます。処で、いまは何とお呼びすれば」

「軍籍は離脱したからね。その割には未だに行事があればこんな格好で出ることになるんだが。昔の通り、リチャードで構わない」

笑顔でいうリチャードに、エドアルドが眉を寄せる。

「ではお言葉に甘えて。しかし、リチャード。憶えてくださっているとは思いませんでした」

おどけるようにいかれに、リチャードが微笑む。

「人を憶えるのは仕事だからね。それは冗談としても、君は得難い同僚だった。忘れるわけもないよ」

「ありがとうございます」

ええっと、と。穏かな会話を交わす二人に、エドアルドが困った顔をしていうのに二人が視線を向ける。

「どうした?エディ」

「どうしたんだ?」

二人の視線に。

「いや、あの。仲良いよね?」

「そうかな?」

「何いってるんだ?」

不思議そうにいう二人に顔をしかめて。

「それに、僕に対するのとは扱いが違う」

「―――それは、まあな」

一瞬沈黙したあと、かれが答えていた。

「あんたと大佐への扱いが違わないわけがないだろう」

「それはどーいう?」

真顔でいうかれに、反論するエドアルドをみて。すこし驚いたようにしたあと、楽しそうにリチャードが微笑った。

「あ、いやすみません、あなたの弟さんに、…」

しかしですね、これは、といっているかれに。

 あっさりと。

「いや、構わないよ。弟にはいろいろなひとが迷惑をこうむっているからね。そうでない方が珍しいから」

「ディック!」

「…ああ、やはりそうなんですか」

視線を伏せていうかれに、エドアルド・ロクフォールが抗議する。

「やっぱりはない、グレッグ!」

「軍曹で。でなければ、グラハムで」

真面目にいうかれに。

「どーして僕はだめでディックにはいいわけ?」

「人徳の差ですね」

「…そ、それは否定できないけどっ」

「自覚があるなら何よりです」

 頷くかれにさらに抗議する弟をみて、楽しそうにリチャードが微笑む。

 そんなかれら三人を乗せた馬車は、いまロクフォール家の門を潜ろうとしていた。



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