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Act3 ロクフォール三兄弟

「…なんだって?」

柔らかい灰青色の髪がふわりとして、白い肌も細い手もペンより重い物を持ったことがないだろう。そんな古典的な喩えがしっくりくる有様だ。

 足手纏い、という言葉が脳裏に鮮やかに浮かび上がる。

「文官だろうが?…――どうして、」

「ぼくがいた方が、にいさんのフォローがしやすいでしょう?」

「…―――」

沈黙するかれに、大型猫のロクフォールが。

「まあ、確かにこいつの戦闘能力はゼロだが。そこは保証できるな」

「…―――そこを保証するな!」

思わずもいってしまってから、難しい顔になる。

「ロクフォール、…何もまだいってませんが?」

「顔にかいてあるぞ?弟が足手纏いだと思ったんだろう?まあ、実際その通りだからどうにもならないな」

鮮やかに笑んで楽しげにいう名参謀ロクフォール――大型猫に。

「それは仕方ないけど、ぼくの世話も頼むことにはなるとおもいますから。その点はお手間をお掛けしますけど、よろしくお願いしますね?」

 にこにことかれを見て会釈する間抜けな笑顔に、嘘だろうといいたくなる。

 ――ねこの世話に、…――足手纏いな文官まで。…

 一気に背筋が寒くなってから、赤毛の大型猫を見直す。

 ―――これが、あのロクフォール?

何より、実際に作戦に従事したものとして、あれ、は実戦を知らない人間が樹立出来る作戦ではないと思っていた。いつも上層部の立てる作戦は、間の抜けて気が抜けた、使えないものが大半だったからだ。

 軍隊の最下層から鍛え上げたかれにとって。

 だから、戦場の指揮官は総てお飾りであり、実際の指揮はかれのような叩き上げが指揮を取るものと決まっていたのだ。それで名前は出ることはないが、生き延びることは出来る。だが、それに限界が見えるのも確かだった。

 局地での勝利が、大局に繋がることは薄い。このままでは、実際に幾つ勝利をあげても、結局誰も高い処からの目をもたずにいるのなら。

 幾つ戦果をあげても、背に迫る敗北の脅威を退けることは敵わなくなる。背を薄く這うような予感を、逃げ出したい緊張と、そう感じる己の予感を。

 どうにか、打ち消したいと思っていた。

 いつか、戦場から部下を逃がすことだけが己の仕事となるのではないか。そんな予感と、勘に従うならとっくに逃げ出していなければならない焼け落ちようとしている踊り場に身を焼く焦燥を。

 打ち破ったのが、――――。

 ロクフォールだった。

 単純な話だ。

 これで命を賭けている甲斐があると。実戦に就くものを納得させ、高い処からかれらを目標に導く目があると。

 安堵したのだ。

 この旗を捨てたくはなかったのだから。

 そして、誰にもいったことはないが。

 敗北の地に立っても、旗を捨てられ無いことをかれは承知していた。この小国の唯の旗だが。その旗の許に戦い続けてきたのだ。

 だから、高所から―――普段なら、こんな言葉は大嫌いだが――戦況を見渡し、勝利へ味方を導いてくれる存在が、上に、本部の使えない連中の中に現れたことに、感謝していたのだ。

 暗殺者が命を狙っているという噂には、本気で心配した。

 敵国もそうだが、わけのわからない嫉妬などによって、本国の連中に狙われて命を落とすようなことになりはしないようにと本気で祈ったものだ。

 それが。

「…ロクフォール?」

 息をそっと吐き出すようにしていうかれに、にっこり、と。

 水色の将校服を着た青年が微笑み。

「頼んだぞ」

 に、と笑んで赤毛の大型猫が――――。

 思わずも沈黙して額に手を当てて目を閉じる。

 それぞれ、違う意味で貴婦人方にもてるそうだ、と。

「…―――――」

 多分貴婦人方ならよろこんで――兄弟のどちらにも、かわいいと声をあげるだろう、と連想して。

 目をあけて、床を見つめた。

 軽く目を伏せた。

 いま少し前、将軍から聞いた言葉がようやく耳に届いた。

 耳に届く前に、払い落とす処だったが。

 確か、戦線に興味を持って。だからといって。

「…おれの、部隊に?」

信じたくない事態に、つい連想や回想をして逃避してしまったが。

「――――これ、が?これとこれが、…?」

疑問形でいうかれに、将軍が首を振る。

「ロクフォール殿は、実に熱心に御希望でね。是非、いまの戦線を視察したいとおっしゃる。それで身の安全の為にも優秀な君の部隊にだね。丁度良い話だろう?伝説の名参謀が君の部隊にこられるんだ。大変光栄なことじゃないかね?グレッグ」

この狸爺、なにが光栄だ、―――とおもいながら。

 それよりも、衝撃におもわず呟いていた。

「――――…あなたが?」

「本物だ」

鮮やかに煌めく青灰色の眸。

赤毛の大型猫。

赤い将校服がとても良く似合っている。

「…――――」

そして、視線を逸らすと水色の将校服を着た幼なじみが。

「うん、ぼくもね」

 沈黙しか反応ができない。

 かれが疑問符を乗せて将軍を振り仰いだ。

 将軍が明るい笑顔でうなずく。

「頼んだよ、グレッグ。きみが頼りなのだ」

「…―――」

 見返すかれに、将軍が真面目に頷いてみせた。

 でたな、狸親父。

 つまり、こんなのを押付ける気か?

 どこからどう見ても役に立たなそうな。しかも、それを戦場に連れていけと?

 そして、――――戦闘能力は幼なじみよりはありそうだが。

 名参謀であることを秘匿したねこ―――。

「ですが、」

内心は呑み込んで、悪態をつきそうになるのを押さえて話す。

「ですが、彼がその本人だとして、ならなおさら、いかに当人が希望されようと、です」

「うむ、何だね?」

「―――おわかりでしょう。実戦に、…」

いいかけて、かれは遠慮するのをやめた。此処で取り繕っても仕方が無い。

「はっきりいいますが、将軍。彼を実戦に連れて行くのは無駄です。損失でもあります。大局をみて指揮しなければならないものが、地方の小戦場に来てどうするんです?」

「だが、その小戦場が、いま重要な拠点だろう」

将軍の反論に、つまる。実際、かれがよろこんで部隊を休ませる召還に応じたのも、部下達を休ませてやれる他に。

 理由があったからだ。本国での政治という、やりたくもない手をいくらかでも使わなければ、手遅れになる――その焦燥を、感じていた。

 小規模な競り合いの続く地域だが。いま手を打たなければいけないと感じていたのだ。

 戦線を離れることに対する危惧よりも、それは勝っていた。それに、もうひとつの事情もあって戻らないわけにはいかなかったのだが。

「確かにそれはその通りです。状況は確かに膠着しています。突破口も必要でしょう。ですが、我が軍は攻勢に出ようにも持ち堪えるのが精一杯でいる。…それは事実です。本来なら、こうしてのんびり帰って来る状況でもない。ですが、」

「それを突破してみようとおもってな」

 さらり、と赤毛の大型猫がいう。

 その淡々としてさえみえる様子に、思わず目を瞠る。

 視線を正面からあわせて、言葉を選ぶことを止めていう。

「いまあの地域は小休止してますが、それは相手が手加減をしているだけで、いつまた爆発するかもしれないんだ。そんな中に、」

「だからだな」

聞こえてきた言葉にかれは言葉を切った。

「何だって?」

「だからだよ、小隊長。おれは、この戦を終結させ、ついでにいうなら勝たせたい。この国をな」

「…――――そんなこと」

自分でも何を続けようとしたのか、わからなくなって見返す。

自信ありげに笑んでみせる大型猫は、どこからどうみてもねこなのだが。

 ――ねこにねこって、当り前すぎるな?

混乱してきて、かれが沈黙していると。

「だからね、ぼくもにいさんの隠れ蓑としてついていくのに都合がいいかなって思って」

「…―――隠れ蓑?つまり、…―――」

 最悪の想定が脳内に訪れて沈黙が深くなる。

 つまり、そうだ。

 人が名参謀ロクフォールである、と思われているのは、それなりに工作が行われているからでもあるだろう。

 例えば、…――この戦場ではまったくつかえないだろう文官が、本当の名参謀ロクフォールだと思い込ませる、とか?

「つまり、…もし、暗殺があるとしたら、きみを狙ってくる、ということか…?」

 シンジタクナイ、と再度思いながらいうかれに。

 目の前で、虫も殺せないような笑顔で、にっこりと。

「いまは戦況も落ち着いていますから、にいさんが視察するのに僕が一緒に隠れ蓑としてついていっても何とかなりそうかな、と思って」

 なるか?なるわけがない、…!ならないだろ!と。

 何かいおうとして、つまって言葉にできずにいるかれを前に。

「机上でも幾度か作戦を立ててみたんですけど、駄目なんだそうです。やっぱり実地でみてみるに越したことはないと」

にこにこというのを見ているだけで毒気が抜かれて力まで抜けていく気がする、とおもいながら。

 がっくりと肩を落として、救いを求めてつい赤毛大型猫をみるかれに。

「まあ、そういうわけだ。おれは何とかなるから、おまえには弟を暗殺から護ってほしい」

「簡単にいうな!この、…どこからどうみても文官、…―――こちらが暗殺対象になる?家に引きこもって出てこないでほしいんだが?」

もう言葉を選ぶとか、政治的配慮とかをかなぐり捨てていうかれに。

「そこは同意だが、仕方なくてな?」

赤毛が本当に貴婦人に受けそうな大型猫が肩をすくめる。

「あのな、―――場所は戦場なんだぞ?あんたの弟さんの得意そうな図書館や博物館なんかじゃない!止めろよ!」

金褐色の眸を細めて剣呑な気配をみせるかれに対して。

 微笑んで、のんびりと青年がいう。

「うん、確かに図書館とかは得意だけど」

「でもなあ、おれがねこだというのはまだ秘匿情報でな?」

「…あんた達兄弟ともに家に引きこもってくれ」

真面目にいうかれに、大型猫が肩を竦める。

 無言で肩を竦めてみせるさまが非常に画になっているのが。

「…あのな?あんた達はおとなしく本部に篭って作戦を立ててれば―――」

「ちょっと待ちたまえ、グレッグ」

名付け親の主張に、かれは名参謀ロクフォールだという大型猫――まだ信じられなかったが――から視線を外して、振り仰いだ。

 将軍はどうみても狸顔だ。

「彼を誰だと思っているんだね?戦場に出たことは幾度もあるぞ。戦場における命の遣り取りを彼は知っている。彼が戦場に立つのは無謀でも何でも無い。これまで、彼が作戦立案した戦場で、後方にだけ彼がいたと信じているのかね?」

「そんなことは、…―――」

 戸惑いがかれに口を噤ませた。

 直感は、違うと告げていた。

 あの作戦を立て、指揮した人間が戦場に直に立っていない訳が無い。

 その義務を疎かにすることはけしてないだろう。

 目を逸らさずに立ち続ける筈だ。

 そして、確かにこの赤毛の大型猫は戦場でも優秀であるに違いない。

 …だが。

「…これも、ですか?」

おれの部隊でこれも、世話をしろと?と。

水色の将校服を身振りで示してみせるかれに、将軍が嘆息する。

「いっておくが、そのいいかたは非常に失礼だぞ」

「そうおもいますか?」

真直ぐに視線を向けるかれに将軍が咳をする。

 そこへ当人がのほほんと口を挟んだ。

「いいんですよ、確かにその点はぼくも無謀だなと思いますから。でも、にいさんのカモフラージュに事情を知らない人間を入れる訳にもいきませんから」

「…――――」

絶望と補充の来ない戦線を撤退することを告げられたときのような視線でエドアルド・ロクフォールをかれが見返す。

 それは、このオプションを持ち帰って、必ず戦場で対応しろということだろうか、と。

「すまんな」

同情する視線で名参謀ロクフォール――赤毛猫にいわれて言葉を失う。

 目をとじて、額に手をあてる。

 ――何が起きた、…おれに。

 確実なのは、部隊を率いる身として、余計にすぎる錘が生存の反対側につけられた事実だ。

 生き延びる為に、非常に避けたい重みで天秤を死に傾ける。

「…――――命令ですか」

 ぼそり、と暗くつぶやくかれに。

 にっこりと。

 無言で暗い視線でかれが見るのに堪えもしていない笑顔で。

「ぼくは確かに戦場には向いてませんから。運動も苦手です。走るのも遅いですからね」

「――――走れるのか?」

「多分」

しばし沈黙が室内に漂う。

無言の時間を噛みしめるようにして、かれがくちをひらいた。

「…やっぱり本部に閉じ込めといてください」

 座った眸でいうかれに。

 でも、と。

 青年がいった。

「もう手続はしてしまいましたから。そちらの部隊にぼくとにいさんがお世話になることは、司令部から命令書がもう届いているころだと思います」

 そういえば、と遠い視線で思い出す。

 補充がはやく行われたのだ。

 かれの部隊がいかに消耗していたとはいえ、本国に帰着して連隊の部署に一時預かりとなり、かれ一人だけが会議に出る際。

 ―――…希望していた糧食や、弾薬等の補充、――――。

「それでか、…」

 どの部隊も補給を、本国に戻った際は消耗した分の補充を要請するが。

 そう簡単に要望が通過して、希望した補充に欠けることなく速やかにそれらが部隊に届くということは滅多になかった。

「補充が、きちんと届いていたな、そういえば」

暗くつぶやくかれに、水色の将校服がさわやかに。

「大兄が、ぼくたちが客分としてきみの部隊にお世話になる手配をしてくれたから」

「…―――――手配済み、か?」

茫然というかれに、笑顔が追い討ちをかける。

「はい、手配済みです」

沈黙とともに赤毛猫をみるが、肩を竦めるだけだ。

 わるいな、というように。

「…―――もうひとり?兄?」

 大兄というのは、と。 

 赤毛の大型猫と水色の将校服をみる。

「それに、――――お兄さん?」

 あなた達の?というと。

 うん、と水色の将校服があかるくうなずく。

 有名な話だが。

 そう、知らないものとてない話だが。

「それは、リチャード・ロクフォール…?」

かれが唯一尊敬する政治家というのがいればそのリチャード・ロクフォールだろう。軍人としても優秀だったロクフォールが昏迷する政局に切り込んで名乗りをあげ、いまや有力な勢力として台頭しはじめたことを、軍人の一人として素直によろこんでいた。すこしでもまともな政治家が増えれば、ちょっとは軍の飯もましになるかもしれないというやつだ。

 それはともかく。

 確かに、政治家のリチャード・ロクフォールと、軍参謀として名を馳せるロクフォール兄弟のことは、…。

 確かに、そしてリチャード・ロクフォールは俊敏な対応をする政治家として有名だが。

「リチャード・ロクフォール?…くそ、」

 額に手を当てるかれに、微笑んで。

 青年将校―――名参謀ロクフォールの影役がいった。

「もう既に、辞令はおりてるとおもうよ」

「大兄は動きがはやいからな。補充が済んだとすればそのせいだろう」

 ねこ族である本物の名参謀ロクフォールについては隠されているとしたら、本当は三兄弟ということなのだろう。

 額を押さえて。

「――事後承諾か?くそっ、つまり」

「軍ではよくあること、だよね?」

にこやかにいう相手を、水色の将校服を着た幼なじみを睨む。

「おまえな!エディ!」

「うん、グレッグ」

 笑顔が本当ににくらしい。

 その隣で、赤毛の大型猫がおおきく伸びをしている。

 名参謀であり、軍に欠かせない逸材といわれる百年に一人といわれる軍師。

 名参謀ロクフォール。

 …――――何で、ねこなんだ、…っ!

 いや、どう否定しても、ねこなのだが。

「これを引き受けろって?」

「うん、よろしくね」

 無害そうに笑顔でいう青年に。

 大型の赤毛猫。

 だから、よろしくじゃなくてひっこんでろ、と。

 睨むかれに、ロクフォール兄弟がそれぞれ異なる種類の笑顔で返す。

 にこにことロクフォール弟は笑顔で応えて。

 に、と笑んで赤毛の大型猫が。

「頼んだぞ?」

 ――頼まれたくない、と。

 全力で思うかれの想いが報われることはけしてなかった。――――






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