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Act12 ドラゴンと帝国戦線


 ボルヴィッツ戦場。

 攻め入る帝国との小競り合いが続くいまきな臭いことでは上位に確実に入る戦場だ。ちなみに、攻勢なのは帝国だが。

 丘を越えて、帝国側の布陣が既に大河ミトラスを越えようと準備を始めているのを偵察に見て、かれが眸を眇める。

 いやな話だった。

 丘は幾らかの樹木に覆われてはいるが、他は殆どがはだかだ。身を隠すものが少ない此処へ本国から派遣され戻ってすぐに偵察に赴いたかれは僅かに息を吐いていた。

 わかっていたことだ。

 残念ながら、戦況は帝国側に傾いている。

 ―――いや、そもそもだが、一度でも有利になったことがあるか?

 記憶のある限り、帝国との小競り合いが止むことはなく、そもそも生れ落ちてから戦場しか生きる場所を知らないかれの記憶にある限り帝国には負け続けているとしかいいようがない。

 小国の小隊長である身分を得たいまではより状況がみえるようになっていた。

 局地的な戦況を僅かに有利にした処で、全体の勝利は遠いのだと。

「ねえ、グレッグ、もうすこし近づけないかな?」

「…―――あんたまで、なんでくる必要があったんですか!」

能天気な声に、小声でかれが返す。

「すまんな、おれがすこし行ってくるから、動かずにここにいろ」

「…おいっ!」

さっ、と姿が消えた赤毛の大型猫を止めようとして間に合わずかれが拳を握っていると。

 その隣で一応丘に伏せたまま、水色の将校服を着たエドアルド・ロクフォールが能天気にかれを見返していた。

 頭痛を憶える。

 これ、を連れてとうとうこの戦場まで、…。

 命はあるのか?明日のおれは生きているか?と。

 つい考えながら、かれがしみじみと見返す前で。

「えーと、にいさんがいったけど、ぼくもいっちゃだめ?」

 もう少し先で敵陣をみたいんだけど、と。

 ぼけぼけといっている相手に怒りがつのる。

「…―――もちろん、ダメです!」

小声でいえる限り怒りと威圧を込めてかれがいうが、目の前の相手は少しも響いているようすがない。

「…そうなんだ?」

「そうです!おとなしくしててください!」

あんたのにいさんもここにいろといってたでしょう、と小声でいう小隊長に首を傾げたままだ。

 灰青色の髪と瞳、ほそっこい水色の将校服を着た能天気な青年将校。

 ―――…捨ててきたい、本人が望む通り前線に、…。

 その誘惑を憶えながら、額をわずかに抑える。

 ―――何はともあれ、いまは偵察だ、…。

 そう、あんなことが本当なのかを確かめる為に。


 帝国との戦いについてのとんでもない事実をロクフォール邸でかれは聞かされたのだ。しかも、それが機密情報だというから性質が悪すぎた。

 ――そんな、とても真実とは思えないだろ、そんなばかなこと、…。

 だが、それを大真面目に語るのが「名参謀ロクフォール」であるという赤毛の大型猫だけでなく。

「リチャードまで、…くそ」

 つい小声でつぶやいたかれに、不思議そうに隣のロクフォールがみる。

 ロクフォール兄弟の末弟である、エドアルド・ロクフォール。

 水色の将校服を着た青年将校であるかれが。

「大兄がどうかしたの?」

「…いえ、おとなしくしててください」

あきらめと命令書に対する服従と、戦況をどうにかして優位にできないかとおもう気持ちと。そんな色々が複雑に混ざった溜息を吐いて、かれが隣の青年将校を見る。

 ――とりあえずは、これ、を護る必要があるとはな、…。

護りたくはない。正直にいって本当に足手纏いだ。だがしかし。

 それでも、本国からの命令書はエドアルド・ロクフォール青年将校を護衛するようにとかれに命じているのだから。

 極秘指令として、敵情視察と―――赤毛の大型猫である、本物の名参謀ロクフォールの身辺警護とともに。

 そう、命令書はきてしまった。

 副官なんかは、かれに、もうあきらめたらどうです?と提案していたが。

 その命令書以上に、頭の痛いことがいまのかれにはあった。


 ―――聞きたくなかった、…。何できかせる?


 その問いには、赤毛の大型猫が、にや、といやな笑みをみせて応えるだろう。

 もちろん、おまえを巻き込む為に決まってるだろ?と。

 鮮やかな貴婦人方に本当にもてるだろうと確信できる笑みでいってのけたのだから。


 帝国にはドラゴンがいる、と。――――



 は?と。

 おもわず聞き返した自分はわるくないとかれが思うのも当然だろう。

 お伽噺でしかきいたことのないドラゴンがなんだと?


 しかし、それは確実にこの戦場にいるかれにも係わる現実にすぎなかったのだ。

 ロクフォール邸での機密情報満載の夜。

 そんな話を、一小隊長である自分に聞かせるな!と。

 叫んだかれの抗議はすべて無駄だった。

 名参謀ロクフォール――赤毛の大型猫がそうと決めて始めた以上。

 単なる一小隊長であるかれに、もとより逃げる場所はなかったのである。



 ボルヴィッツの丘は小さい。

 その丘を申し訳程度に飾る樹木の影に、赤毛の大型猫は偵察にいってしまっている。そして、かれ自身と隣にいる青年将校はお留守番だ。

 いや、すぐそこに帝国軍の陣が敷かれているのだから、お留守番というより。

 何にしても、もう押されてこちらの陣地も撤収しないとまずいくらいの状況なのは確かだな、…。



 朝、四時は薄暗いが、後一時間程で日が昇ってくる。

 それまでに偵察は終わらせないとまずいだろう。

 小丘に身を隠し薄闇を先に行った赤毛の大型猫を待ちながらおもうのは。


 頭痛を憶える機密情報に関してだ。


 そう、いま此処にいない赤毛の大型猫はいったのだ。

 ロクフォール邸で。

 に、と笑みをみせながら問いかけてきた。

 ある単純な質問を。

 その問いが、世界を引っくり返す機密情報に繋がると誰が思うことだろうか?

 絶対に、聞かなったことにしたい、と。

 かれが本心から強くそう思うことを。


 ロクフォール邸で、深夜。

 赤毛の大型猫兼名参謀ロクフォールはいっていたのだ。

 かれを盛大に巻き込んで、後戻りできなくするその話を。




「おまえ、おれがしゃべってるのを不思議とは思っていないだろう?」

 赤毛の大型猫の質問を、ロクフォール邸でかれは戸惑いながらきいていたのだ。

 その質問がすべてを変えてしまうことを知らずに、――――。





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