「護り手の星」
そう呼ばれる衛星が帝国本星には存在する。
月と呼ばれる惑星の衛星。
確かに、その存在はそうしたものでもある。
だが、それ以上に、――――。
緑が濃い森の端に青空を見あげて待つ緊張した背に声は掛けられた。
「リ・クィア・マクドカル様」
しずかに名を呼ばれて、緊張した面持ちでリ・クィア・マクドカル――つまり、帝国旗艦藍氷艦長がぎこちなく顔を向ける相手は。
森の端から広がる美しい庭園を背に小柄な姿がある。
白髪の小柄な婦人の姿に、緊張を隠せずに艦長が向き直る。
それに、涼しげな声が応えて。
「お久し振りですね、レディ・リ・クィア」
「―――こちらこそ、お久し振りです、…。ミルドレッド」
にっこりと小柄な白髪の老婆がリ・クィアをみあげて笑む。
その若い頃はさぞ美しかっただろうと思われる姿を想起させる老いても美しい微笑みと姿勢に。緊張したまま、艦長が視線をそらそうとする。
柔らかな微笑みがそんな艦長を捉まえて。
「あら、どうしました?レディ・リ・クィア?」
「…いえ、なんでもありません、レディ、…失礼、ええと、…」
「ミルドレッドで構いませんよ、レディ・リ・クィア」
「は、…その、―――はい、ミルドレッド」
固くなったまま視線を向けてぎこちなく答える艦長を怒るわけでなく、しずかにおだやかに小柄な品のある老婆が手招きをする。
「…――あ、その、…」
視線を泳がせるが、たすけはこの場合何処にもない。
庭園の美しい緑は、衛星であるこの「護り手の星」に本来は存在しないものだ。
青空と自然にみえる森の端も人工のもの。清々しい青空にふく風さえも、老婦人が住まう為に設えられた贅沢だ。
乳母であるミルドレッドが住む為にだけ、この衛星の緑は維持されてある。
帝にそれを当然とさせるだけのものを持つ小柄な老婆は、品のあるまなざしで艦長を招いていう。
――そう、そのいうとおり。
唯、一人の為にこの衛星は護られ。
住人は、唯一人だ。
「わたくしと貴女しかこの星にはいまおりませんのよ。あまり緊張せずに、さ、いらっしゃいな」
「―――は、あ、…」
気がぬけたような、それでも緊張のあまり何もいえずにいるような。
曖昧な姿勢でリ・クィア――艦長が返事をして。
すらり、と背を向けて先を歩く老婆の。
「…―――こまったな、…」
小声でためいきをつくといって。
ポケットに手を突っ込んで、叱られてついていく行儀の悪いこどものようにして、大柄な艦長が背を少しばかりまるめて帝の乳母ミルドレッドの後を歩いていく。
しばらく前のことだ。
艦からは、ボートが出された。
「おまえたち、だれか、だな、…―――」
「いってらっしゃいませ」
艦長の言葉を慇懃に副官シーマス・リゲルが突っ切り。
慇懃に一礼されてボートが艦長を乗せたまま艦を離れ、衛星へと向けて射出される。
それを見送って。
「ようやく、行かれましたか、…」
ジャクルが離艦用の小型ボートをハッチから切り離すエアロック前で佇むシーマス・リゲルに艦内通話装置から視線を向けていう。
エアロック脇の壁に設えられた通話装置は映像を相互に送るのが標準だが。
「…―――リゲル副官?」
「―――…」
無言で艦長の行く航路をみつめて立つ副官――シーマス・リゲルに何か。
しずかに見送る姿に何かを感じてジャクルが訊くが。
「…ああ、いや、…ーこれでしばらくしずかになると思うとな、…。」
吐息をついて肩を落として、大きく息を吐いて顔をあらためてあげて沈黙する副官に。
「…――まあ、にぎやかなのが、…」
すぐに、恋しくなってしまったり、するんですけどね、…と。
いいかけて、やめてジャクルも管制席から、艦長の辿る航路――そして、行く先である「護り手の星」をみつめる。
副官リゲルが、踵を返し艦橋へと戻る間。
短い間だが、艦を預かりながら。
――副官も、別に直に見送らなくても、…―――。
指揮は艦橋からでもとれるのだ。
小さなボートを離艦させてなんて、本来は艦橋で指示していればいい業務でしかない。それだけのことなのだが。…
「こまった方だよね、…。」
ときに子供のようで、あるいはこどもより性質の悪いわがままで、無邪気で、…――ーあきっぽくて、遊びたがりで、騒動が大好きで、騒乱になるといきいきしてきて、――――。…
「…帝国のお姫様、か、…」
ジャクルの妹が大好きな絵本では、帝国のおひめさま、は幼なじみの皇帝と結婚して帝国のお城にすんでハッピーエンドなのだが。
「…帝国の妃が、艦にはいられないだろうなあ、…」
小声でつぶやいて、ジャクルが戻ってきた副官をみて。
シーマス・リゲルが副官席から、艦長席に移り臨時の指揮官として座るのをみて。
――いつかは、こっちが当り前になるのかな、…。
そうなのかも、と思いつつ。
ジャクル砲撃管制官は、しずかに漆黒の闇が広がる宇宙をみつめる。