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「ああ、なんて素晴らしい朝でしょう。今日という日が来るなんて。エリアス様との初めてのデート。考えただけで胸が高鳴るわ。きっと素敵な悲鳴と絶望が私たちを待っているに違いない」
デスデモーナ・ヘルゲート公爵令嬢は鏡の前でそっと囁いた。最高級の黒真珠のように艶やかで、研ぎ澄まされた刃物のように鋭利な──美しくも不吉な声だ。
なお、一般的に「デート」という言葉から連想されるのは、楽しい会話、美味しい食事、ロマンチックな雰囲気といったものだが、デスデモーナの辞書にそのような定義は存在しない。彼女にとってデートとは「相手を恐怖のどん底に叩き落としながら愛を育む高度な社交活動」であり、これが正常な認識だと心の底から信じていた。
とまれ、なぜデスデモーナがデートなどと言い出したのか。
それは昨夜の食卓でのことだった。
「エリアス殿とデスデモーナ、君たちは政略結婚だったな」
レドラムが血のように赤いワインを飲みながら唐突に言い出した。
「だから愛を育む時間も、不和を深める時間もなかっただろう。これは由々しき事態だ!」
その言葉にエリアスは震え上がった。この男が「由々しき」などと言い出すときは、ろくなことが起きない。正確には、レドラムが何か言い出さなくてもろくなことは起きないのだが、それはさておき。
「そこで私は提案する! 明日、二人きりでデートをするのだ! 我がヘルゲート領内の素敵な場所を巡る、ロマンチックな一日を!」
「え?」
エリアスが呆然とした。デート? この悪魔のような女と? 正気の沙汰とは思えなかった。
だがエリアスとは対照的に、デスデモーナは歓喜の声を上げた。
「まあ父様! なんて素敵な提案! 私、デートなんて初めてですわ!」
「そうだろうそうだろう!」レドラムは満面の笑みを浮かべた。
「我が領地には素晴らしい場所がたくさんある。『絶叫の森』『血の池地獄』『狂王の闘技場跡』──どれも最高にロマンチックだぞ!」
エリアスの顔が青ざめた。どう聞いても死亡フラグしか立たない場所ばかりだ。
「い、いや、私は……」
「殿下」
ウェネフィカが氷のような声で割って入った。
「デートを断るなんて、紳士として失格ですわよ」
その声には有無を言わせぬ圧力があった。エリアスは観念するしかなかった。
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そして迎えた当日の朝。
デスデモーナは特別なドレスに身を包んでいた。漆黒のレースで彩られた、まるで喪服のようなデザイン。一般的にデート用の服装としては最悪の選択だが、彼女の美貌はそんな常識を軽々と凌駕していた。
「殿下、お待たせいたしました」
エリアスも正装していたが、その顔は憔悴しきっていた。昨夜は一睡もできなかったのだ。今日という日を想像するだけで悪夢に苛まれたからだ。
「ごきげんよう、エリアス様。今日はよろしくお願いしますわ」
デスデモーナが優雅にカーテシーをした。その瞳は期待に輝いていた。
「あ、ああ……よろしく……」
エリアスは引き攣った笑顔を浮かべた。それは不安感もあるが、それ以上にデスデモーナが麗しかったという事実のほうが要因としては大きい。
要するに、こんなに可愛いのになんで君はそんなに悪趣味なんだ! ──と叫び出したい気分だった、ということだ。
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外には黒塗りの馬車が用意されていた。御者は青白い顔をした老人で、まるで死神のような風貌だった。実際、この老人は三十年前に死んだが、給料が良かったので成仏せずに働き続けている。まあこの辺──死霊術に関する領分はヘルゲート家の十八番だ。
「さあ、参りましょう。最初の目的地は『愛の断崖』ですわ」
「愛の断崖?」
エリアスは嫌な予感がした。
「ええ、昔から恋人たちが身を投げることで有名な場所なの。二人の愛が永遠になるという言い伝えがあるのよ」
「それは心中では……」
「あら、ロマンチックでしょう?」
デスデモーナは無邪気に微笑んだ。エリアスは泣きそうになった。
デスデモーナは本気で「心中」を「究極の愛の形」だと信じている。これはヘルゲート家の教育の賜物だ。
馬車が走り出す。窓の外には陰鬱な森が広がっていた。枯れ木が不気味に枝を伸ばし、霧が地面を這うように流れている。時折、獣のような唸り声が聞こえてきた。
「素敵な景色ね」デスデモーナがうっとりと呟いた。
「死の匂いがそこかしこに漂っているわ」
話すことが一々怖いんだよ、と思いながら、エリアスは窓から離れて身を縮めていた。
そうして馬車は三十分ほどで最初の目的地に着いた。
『愛の断崖』は、その名の通り切り立った崖だった。高さは優に百メートルはあろうか。下を覗けば霧に包まれて底が見えない。
「さあ、エリアス様。手を繋いで崖の縁まで行きましょう」
デスデモーナが手を差し出した。その手は氷のように冷たい。まあその辺は女性にはよくある事だろう。
「い、いや、危険だろう……」
「大丈夫ですわ。私がしっかり掴まえていますから」
その言葉がかえって不安を煽った。デスデモーナなら本当に一緒に飛び降りかねない。
だが拒否することはできなかった。デスデモーナの瞳には純粋な期待が宿っていたからだ。それは悪意ではなく、本当に楽しみにしている少女の瞳だった。
分かっているのだ、エリアスも。デスデモーナが“こういう”女であることは。
悪意ではなく、善意でこんなところへ連れてきたという事も分かっている。
最低最悪に趣味が悪いだけで、デスデモーナが悪人であるわけではない──という事もだ。
エリアスは震える手でデスデモーナの手を取った。
二人は崖の縁に立った。強風が吹き荒れ、エリアスの金髪を乱暴に揺らす。一歩踏み外せば真っ逆さまだ。
「ねえ、エリアス様」
デスデモーナが囁いた。
「もし私たちがここから飛び降りたら、きっと美しい死を迎えられるでしょうね」
「や、やめてくれ……」
エリアスの声は震えていた。足がすくんで動けない。
その時だった。
地面が突然崩れ始めた。長年の風雨で地盤が緩んでいたのだ。
「うわあああ!」
エリアスが絶叫した。彼の立っていた場所が崩落し、彼の体が宙に投げ出される。
だがその瞬間、デスデモーナが素早く彼の腕を掴んだ。
「大丈夫よ、エリアス様」
彼女は軽々とエリアスを引き上げた。その細い腕からは想像もできない怪力だった。ヘルゲート家の血は伊達ではない。
「は、はあ、はあ……」
エリアスは地面に這いつくばって震えていた。死を覚悟した瞬間だった。
「まあ、顔が真っ青よ。でもその恐怖に歪んだ表情、とても素敵だわ」
デスデモーナは嬉しそうに言った。
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次の目的地は『狂王の闘技場跡』だった。
かつて狂気の王が奴隷たちに死闘を強いたという円形闘技場の廃墟。石造りの観客席は崩れ、闘技場の中央には血の跡が黒く染みついている。
歴史書によれば、この狂王は正式名を「グラディウス三世」といい、在位わずか三年で処刑された。彼の趣味は「人間将棋」で、実際に人間を駒として巨大な盤上で戦わせ、取られた駒は即座に処刑されたという。なお、この遊びで命を落とした者の数は正確には記録されていないが、少なくとも三千人は下らないとされる。
「ここは百年前、狂王が一日で千人の奴隷を戦わせて全員死なせたのよ」
デスデモーナが楽しそうに説明した。
「それ以来、満月の夜には死者たちが永遠に戦い続けているという噂があるの。素敵でしょう?」
「全然素敵じゃない……」
エリアスは入り口で立ち止まった。どう見ても呪われた場所だ。
「さあ、闘技場の中央に行きましょう!」
デスデモーナがエリアスの手を引っ張った。
闘技場の地下には、かつて猛獣を閉じ込めていた檻がまだ残っていた。錆びた鉄格子の向こうから、獣のような唸り声が聞こえてくる。
「まだ何か生きているのか……?」
「ええ、昔の猛獣たちの怨霊よ。飢えて死んだから、今でも獲物を探しているの」
デスデモーナは嬉々として朽ちかけた階段を降りていく。エリアスも仕方なく続いた。
地下通路を進むと、突然床が崩れた。
ガラガラガラ!
「うわああああ!」
エリアスは落とし穴に落ちそうになった。必死で縁にしがみつく。
下を覗くと、鋭く尖った杭が無数に並んでいた。狂王が仕掛けた罠がまだ生きているのだ。
「ぎゃああああ!」
だがデスデモーナは平然としていた。むしろ楽しんでいるようだった。
「まあ、スリリングね! これぞデートの醍醐味だわ!」
「助けてくれええ!」
エリアスは必死で這い上がろうとしたが、石が崩れて体が沈んでいく。
その時、地下の檻から何かが飛び出してきた。
朽ちかけた骨と腐肉を纏った、かつて猛獣だったものの亡霊。赤く光る目がエリアスを捉えた。
亡霊が呻きながら近づいてくる。
デスデモーナはエリアスの手を掴み、軽々と引き上げた。そして亡霊に向かって小瓶を投げつける。
パリン!
瓶が割れると、紫色の煙が広がった。亡霊は苦しそうに唸り、闇の中に消えていった。
「大丈夫よ、エリアス様。私がついているわ」
その言葉には不思議な安心感があった。彼女は本気でエリアスを守ろうとしているのだ。もちろん、その過程で恐怖を与えることを楽しんでいるのだが。
地上に戻ると、エリアスは這うようにして闘技場から出た。
「もう二度と地下には行かない……」
「あら、つまらないわ。次は処刑台に登ってみない?」
デスデモーナが指差した先には、闘技場の隣にある古い処刑台があった。縄がまだ不気味に揺れている。
「絶対に嫌だ!」
エリアスは全力で拒否した。
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昼食は『血の池地獄』の畔で取ることになった。
その名の通り、真っ赤な水を湛えた不気味な池だった。硫黄の匂いが立ち込め、時折ボコボコと泡が浮かび上がる。
「ここは天然の温泉なのよ」デスデモーナが説明した。「鉄分が多いから赤く見えるの。でも昔から人が落ちると二度と上がってこないという言い伝えがあるわ」
エリアスは池から距離を取った。
黒いレースのかかったバスケットから、デスデモーナが弁当を取り出した。
「私が作ったのよ」
彼女が誇らしげに言った。
エリアスは恐る恐る弁当箱を開けた。中身は意外にも普通に見えた。サンドイッチにフルーツ、チーズとワイン。
「これは……普通だな」
「ええ、今日はお外ですから。毒は入れていないわ。寝込まれたら困ってしまうもの」
エリアスは恐る恐るサンドイッチを口にする。
「……美味しい」
驚くほど普通に美味しかった。いや、普通以上に美味しかった。
「本当?」デスデモーナの顔が輝いた。「母様に教わったレシピなの。もちろん毒物以外の料理よ」
彼女は本当に嬉しそうだった。その笑顔はいつもの狂気じみたものではなく、純粋な少女のそれだった。
エリアスは複雑な気持ちになった。この女にも普通の感情があるのだろうか、と。
(だったらそれを普段から表に出してほしいのだが)
そんな事を思いながら食事をしていると、池から突然何かが飛び出してきた。
巨大な触手だった。真っ赤な水から現れたそれは、まるで血に染まった腕のようで、エリアスめがけて襲いかかってくる。
「うわああああ!」
エリアスは弁当を放り出して逃げた。触手は執拗に彼を追いかけてくる。
「あら、池の主様がお出ましになったわ」
デスデモーナは楽しそうに観戦していた。
「昔からこの池に住む化け物なの。人間が大好物らしいわよ」。
「助けてくれ!」
エリアスは必死で走り回った。触手は地面を叩きつけ、土煙を上げる。その威力は岩をも砕くほどだった。
だがエリアスは叫びながらもひらりひらりと的を絞らせない動きで触手を避け続ける。ヘルゲート家の訓練の賜物と言えるだろう。
とはいえ、限界もあるようで──
「はあっ……はあっ、で、デスデモーナ! た、頼む! 助けてッ……!」
その声を聞いたデスデモーナはゆっくりと立ち上がり、懐から小瓶を取り出した。
「しょうがないわね」
小瓶の中身を池に投げ込むと──触手がぴたりと動きを止め、ゆっくりと池の中に戻っていった。
「何をしたんだ……?」
「鎮静剤よ。池の主様も興奮しすぎると体に毒だから」
エリアスは地面に座り込んだ。全身泥だらけで、息も絶え絶えだった。
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午後は『絶叫の森』を散策することになった。
森に入った瞬間、エリアスは異様な雰囲気を感じた。木々が生い茂り、昼間だというのに薄暗い。そして何より、至る所から微かな呻き声が聞こえてくるのだ。
「この森には、処刑された罪人たちの霊が彷徨っているの」
デスデモーナが説明した。
「彼らは生前の苦しみを今も味わい続けているのよ。素敵でしょう?」
「怖いだけだ……」
二人が森の奥へ進むと、突然木々がざわめき始めた。
枝という枝が不自然に動き、まるで生きているかのように二人を取り囲む。
「これは……」
「『絞首刑の木』よ」デスデモーナが嬉しそうに言った。「獲物を枝で絞め殺して、養分にするの」
案の定、枝がエリアスに向かって伸びてきた。素早い動きで首に巻きつこうとする。
「ぐっ……!」
エリアスは必死で枝を引き剥がそうとしたが、その力は人間のそれをはるかに超えていた。
「苦しい……」
首が締まり、視界が暗くなっていく。
デスデモーナはその光景を恍惚とした表情で眺めていた。苦痛に歪むエリアスの顔に見惚れていたのだ。
それだけ聞くと、デスデモーナがまるで性格の悪い女の様に聞こえるかもしれない。だが実態は違う。デスデモーナは純粋に、エリアスの──そう、イケメンっぷりに見惚れていたのだ。面食いなので。
だが、エリアスの顔が青紫に変色し始めた時、彼女は動いた。
「もういいわ」
デスデモーナが木の幹に手を当てると、枝がするすると離れていった。
エリアスは地面に崩れ落ち、激しく咳き込んだ。
「げほっ、げほっ……死ぬかと思った……」
「死んでは困るわ」デスデモーナが言った。「貴方にはまだまだ苦しんでもらわないと」
その言葉に、エリアスは絶望した。これがまだ序の口だというのか。
ちなみにエリアスは「まだまだ苦しむ」ことを悲劇と捉えているが、デスデモーナの基準では「もっと格好いいところが見たいわ」くらいの乙女チックな要望である。とはいえ、この認識の致命的なズレが改善される日はおそらく永遠に来ないだろう。
森を抜けると、古い教会が現れた。屋根は崩れ、壁にはひびが入っている。
「ここで休憩しましょう」
デスデモーナが提案した。
教会の中は荒れ果てていた。祭壇は倒れ、椅子は朽ち果てている。床には得体の知れない染みがあちこちに広がっていた。
「昔、ここで大量虐殺があったの」
デスデモーナが楽しそうに語り始めた。
「狂信者たちが『浄化』と称して村人全員を殺したのよ。それ以来、ここは呪われた場所になったわ」
エリアスはげんなりした。どこに行っても死と暴力の話ばかりだ。
その時、祭壇の奥から不気味な笑い声が聞こえてきた。
「ヒヒヒヒ……」
暗闇から現れたのは、ボロボロの僧衣を着た老人だった。顔は腐りかけ、目は虚ろ。明らかに生きた人間ではなかった。
「客人か……久しぶりだ……」
老人がよろよろと近づいてくる。その手には錆びた鎌が握られていた。
「神の名において……浄化してやろう……」
老人が鎌を振り上げた。
「ひいいい!」
エリアスは悲鳴を上げて逃げ出した。老人は不気味な笑い声を上げながら追いかけてくる。
教会の中を必死で逃げ回るエリアス。倒れた椅子につまずき、何度も転倒する。
「助けて! 助けて!」
デスデモーナは祭壇に腰掛けて、その光景を楽しそうに眺めていた。
「頑張って、エリアス様。いい運動になるわよ」
「運動じゃない! 殺される!」
老人の鎌がエリアスの髪をかすめた。金髪が数本、宙を舞う。
「ヒヒヒ……逃げても無駄だ……」
エリアスは袋小路に追い詰められた。もはや逃げ場はない。
「終わりだ……」
老人が鎌を振り下ろそうとした、その瞬間。
パン!
乾いた音と共に老人の頭が吹き飛んだ。
デスデモーナが立っていた。手には古い聖水瓶が握られている。
「あら、壊れちゃった」
彼女は残念そうに言った。
「百年物のゾンビだったのに。もっと遊びたかったわ」
エリアスは腰を抜かしていた。もはや立つ気力もない。
そんなエリアスの背を、デスデモーナは優しくさすってやるのだった。
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夕暮れ時、二人は最後の目的地に到着した。
『死者の舞踏場』
円形の石畳の広場で、中央には朽ちかけた噴水があった。夕日に照らされて、広場全体が血のように赤く染まっている。
「ここは昔、処刑場だったの」
デスデモーナが説明した。
「でも今は、月夜になると死者たちが踊りに来るという言い伝えがあるわ」
エリアスはもう何も言わなかった。疲労困憊で、恐怖すら感じなくなっていた。
デスデモーナは広場の中央に立ち、くるりと回った。黒いドレスが優雅に広がる。
「エリアス様、踊りましょう」
「え?」
「デートの締めくくりは、ダンスでしょう? 私、これまでお父様以外の殿方とダンスしたことなんてなくって……」
彼女が手を差し出した。
エリアスは戸惑った。今日一日、死の恐怖に晒され続けた。もうこれ以上は耐えられない。
だが、デスデモーナの表情を見て彼は息を呑んだ。
夕日に照らされたデスデモーナの神秘的なまでの美しさときたら!
だがエリアスはデスデモーナの美しさ以上に、彼女に対してなにやら愛らしさのようなものを覚えてしまった。
別に気が狂ったわけではない。
──『私、これまでお父様以外の殿方とダンスしたことなんてなくって』
その言葉の裏に、途方もない寂しさ、孤独感が横たわっている事に気付いたからだ。
(彼女は──彼女なりに僕を好いてくれている)
そう思うと、ここで手を取らないなどという選択を取る事はできなかった。
エリアスはゆっくりと立ち上がり、デスデモーナの手を取る。
そして音楽もない静寂の中、二人は踊り始めた。
デスデモーナの手は相変わらず冷たかったが、その動きは優雅で、まるで宙を舞うようだった。
「エリアス様」
彼女が小さく囁いた。
「今日は本当に楽しかったわ」
その声には、偽りのない喜びが込められていた。
「私、生まれて初めてデートというものをしたの。相手を怖がらせたり苦しめたりすることしか知らなかったから、どうすればいいか分からなかったけど……」
彼女の声が少し震えた。
「でも、貴方と一緒にいられて、本当に嬉しかった」
エリアスは言葉を失った。この恐ろしい女性の中に、こんな感情があったなんて。
もちろん、デスデモーナにとって「怖がらせる」と「愛する」は同義語であり、この告白は「もっと怖がらせたかった」という意味でもある。しかし、そこに純粋な愛情が含まれていることも、また事実なのだ。
夕日が沈み、広場が闇に包まれ始めた。
踊りが終わり、二人は向かい合って立っていた。
その時だった。
デスデモーナが突然、エリアスに抱きついた。
「!?」
エリアスは驚きで固まった。
彼女の体は小さく、華奢で、そして温かかった。冷たい手とは対照的に、その体温は人間のものだった。
「ありがとう、エリアス様」
デスデモーナが囁いた。
「今日という日を、一生忘れないわ」
「……僕もだ」
エリアスは思う。デスデモーナとのデートなど、良い意味でも悪い意味でも、それこそ永遠に忘れる事など出来ないだろう、と。