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第9話「蚊取り線香」

 20XX年8月1日


 夏休みは、毎日が楽しくて仕方ない。

 この日も、夕飯を食べ終えたあとに、家族みんなでスイカを囲んでいた。


「おいしいね~!」

「やっぱり夏はこれだな」

 ボク、お父さん、お母さん、そして山おじさん。みんなで笑いながら、赤くて甘いスイカを夢中で頬ばった。


 そのとき――


 プ~ン……


 あの音が、耳元をかすめた。

 黒い小さな影が、ゆらゆらと空中を舞う。


「ん? 蚊か?」

「うわ、来た!」

 ボクたちの楽しい時間を台無しにする不届きなヤツが、どこからともなく現れた。


 スイカの匂いにつられたのか、それとも――

 蚊は真っ直ぐに、お母さんの腕へと向かってきた。


「あっ!」

 お母さんの腕に止まる蚊。すかさずパシッと叩いたけど、ひょいと逃げられた。


 ボクたちはスイカを放り出し、完全に蚊退治モードに突入。

 お父さんは台所から殺虫スプレーを取り出し、プシューッと空中へ。


 でも、蚊はなぜかまったく効いていない。

 スプレーの霧の中を、優雅に飛び回っていた。


「しぶといやつだな……!」


 お母さんも手のひらでパシパシと叩くけど、蚊はまるで人間の動きを読んでいるみたいに避ける。

 もうイライラしてきた。


 そのとき、ずっと黙ってスイカを食べていた山おじさんが、静かに口を開いた。


「……ちょっと待ってて。あれを使う」


 そう言って、戸棚をゴソゴソと探し始めた。

 ボクは蚊取り線香を持ってくるんだと思った。


 けど、山おじさんが持ってきたのは、緑色の渦巻きじゃなかった。


 見覚えのある細長い棒。

 仏壇やお墓参りで使う、あの線香。


「え……それ、蚊に効くの?」

 お父さんも怪訝な顔をする。


 山おじさんは何も言わず、線香に火をつけた。

 紫色の煙がふわっと立ちのぼる。


「……そこだ」


 山おじさんは、その煙をゆっくりと飛び回る蚊のほうへ近づけた。

 煙がふれた瞬間、蚊は急にバランスを崩してふらふらと落ち、テーブルの上にポトリと転がった。


「おぉ……倒れた……」

 お父さんが驚く。


 山おじさんはその蚊をしばらく見つめ、やがて手を合わせてそっと合掌した。


 ボクは、なんとなく……ゾッとした。


 ⸻


 蚊取り線香 完


 ⸻


 ここからネタバレ解説と考察だよ。

 カウント0になるまでスクロールしてね。



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 ネタバレ解説・考察


 ボクたちが必死で退治しようとしていた「蚊」は、普通の蚊じゃなかった。

  • 殺虫剤が効かない

  • 手で叩いても当たらない

  • まるで人の動きを避けるような動き


 それはこの世のものではなかったのかもしれない。


 山おじさんが使ったのは、虫を殺すための線香じゃない。

 “魂”を鎮めるための線香。


 だからあの蚊は、煙に触れた瞬間、落ちた。

 山おじさんが合掌したのは、それが「死者」だったから。


 つまり――

 あの蚊は、「誰かの魂」だったのかもしれない。

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