20XX年8月1日
夏休みは、毎日が楽しくて仕方ない。
この日も、夕飯を食べ終えたあとに、家族みんなでスイカを囲んでいた。
「おいしいね~!」
「やっぱり夏はこれだな」
ボク、お父さん、お母さん、そして山おじさん。みんなで笑いながら、赤くて甘いスイカを夢中で頬ばった。
そのとき――
プ~ン……
あの音が、耳元をかすめた。
黒い小さな影が、ゆらゆらと空中を舞う。
「ん? 蚊か?」
「うわ、来た!」
ボクたちの楽しい時間を台無しにする不届きなヤツが、どこからともなく現れた。
スイカの匂いにつられたのか、それとも――
蚊は真っ直ぐに、お母さんの腕へと向かってきた。
「あっ!」
お母さんの腕に止まる蚊。すかさずパシッと叩いたけど、ひょいと逃げられた。
ボクたちはスイカを放り出し、完全に蚊退治モードに突入。
お父さんは台所から殺虫スプレーを取り出し、プシューッと空中へ。
でも、蚊はなぜかまったく効いていない。
スプレーの霧の中を、優雅に飛び回っていた。
「しぶといやつだな……!」
お母さんも手のひらでパシパシと叩くけど、蚊はまるで人間の動きを読んでいるみたいに避ける。
もうイライラしてきた。
そのとき、ずっと黙ってスイカを食べていた山おじさんが、静かに口を開いた。
「……ちょっと待ってて。あれを使う」
そう言って、戸棚をゴソゴソと探し始めた。
ボクは蚊取り線香を持ってくるんだと思った。
けど、山おじさんが持ってきたのは、緑色の渦巻きじゃなかった。
見覚えのある細長い棒。
仏壇やお墓参りで使う、あの線香。
「え……それ、蚊に効くの?」
お父さんも怪訝な顔をする。
山おじさんは何も言わず、線香に火をつけた。
紫色の煙がふわっと立ちのぼる。
「……そこだ」
山おじさんは、その煙をゆっくりと飛び回る蚊のほうへ近づけた。
煙がふれた瞬間、蚊は急にバランスを崩してふらふらと落ち、テーブルの上にポトリと転がった。
「おぉ……倒れた……」
お父さんが驚く。
山おじさんはその蚊をしばらく見つめ、やがて手を合わせてそっと合掌した。
ボクは、なんとなく……ゾッとした。
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蚊取り線香 完
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ネタバレ解説・考察
ボクたちが必死で退治しようとしていた「蚊」は、普通の蚊じゃなかった。
• 殺虫剤が効かない
• 手で叩いても当たらない
• まるで人の動きを避けるような動き
それはこの世のものではなかったのかもしれない。
山おじさんが使ったのは、虫を殺すための線香じゃない。
“魂”を鎮めるための線香。
だからあの蚊は、煙に触れた瞬間、落ちた。
山おじさんが合掌したのは、それが「死者」だったから。
つまり――
あの蚊は、「誰かの魂」だったのかもしれない。