「……が……解けかけ……」
「町で……目撃……せいだ……」
「……これ以上……との接触……避け……」
『無抵抗な魔獣の子どもを殺した人間を我は決して許さない』
「早急に……かけ直し……」
「……例の魔術師……かないと……」
「魔獣王の器……は危険……」
ブリュエットは数人の話し声で目を覚ました。
いつの間に眠っていたのか、背中にはベッドの感触がする。
「あれ。わたし、いつの間に、帰ったの?」
ブリュエットが目覚めたことに気付いた大人たちが、いっせいに雑談を止めた。
そして若干の緊張感が漂う。
「一時間ほど前です」
「ずっと寝てたの? 昨日ちゃんと寝たのに、おかしいな」
ブリュエットは町で疲れてしまい、馬車が動き出すまでの間に少し眠ろうと思ったところまでは覚えていた。
しかし、まさかそのまま屋敷に戻るまで熟睡するとは思っていなかったのだ。
「お嬢様は久しぶりのお出掛けで疲れてしまったのです。馬車に乗るなり、ぐっすりでしたよ」
「そうだったっけ?」
「ええ。そうでしたよ」
「そう……だった、かな?」
「はい」
実のところ、ブリュエットは寝たのではなく気絶をしていたのだが、大人たちはあえてそのことを本人には伝えなかった。
「それよりもお嬢様。ご気分が優れないなどの症状はございますか?」
「え? ううん、よく寝たなあって感じだよ」
「健康なようで何よりです。安心いたしました」
「ねえ、それよりも町で……」
言いかけて、ブリュエットは口ごもった。
(あれ。わたし、町で何かを見たんだけど、なんだっけ?)
寝ぼけていた頭がだんだんとハッキリしてきたブリュエットは、自身の記憶が抜け落ちていることに気付いた。
魔獣の死を間近で見て、その後に魔獣の親に子どもの死を告げ、怒り狂った魔獣が人間を襲ったというショッキングな出来事から自身の心を守るために、ブリュエットは知らず知らずのうちに記憶に蓋をしていた。
「町で、なにかが起こったような気がする」
ブリュエットの記憶が曖昧なことを知った大人たちは、互いに顔を見合わせて頷き合った。
そして用意しておいたのだろう答えを告げる。
「町では、少年が馬車に轢かれる事故がありました。しかし運良く居合わせた王宮魔術師のおかげで、少年は回復しました。だから心配する必要はありませんよ」
「そんなことが、あった……ような?」
「回復したとはいえ、事故ですからね。お嬢様はよほどショックを受けたのでしょう。お可哀想に」
(そう言われると、馬車の事故を見たような気もする、けど……?)
事故を見たような気もするが、ブリュエットはそれ以上に大変なものを見た気がしてならなかった。
しかし、それが何なのかは思い出せなかった。
「そういえば、お父さまとお母さまは?」
話題が変わりそうなことに安堵した大人たちから緊張感が薄らいだ。
「寝室でお休みになっています」
「よかった。二人とも無事……うん? 無事?」
ブリュエットは自分で発した言葉に違和感を覚えたが、この場に違和感の正体を教えてくれる者はいなかった。
そして別の違和感に気付いたブリュエットの意識がそちらに向いたことで、この件はうやむやになった。
「どうして知らない人がいっぱいいるの?」
「彼らは魔術……医者です」
「わたし、どこか悪いの?」
「平気ですよ。よくお眠りになっていただけです。彼らとは、今度王宮でお嬢様の健康診断をしようと相談をしていたのです」
大人が思っているよりも、子どもの嗅覚は鋭い。
例に漏れずブリュエットも大人たちが自分に何かを隠していることに勘付いていた。
しかしその隠し事を暴くことはしないでおいた。
隠し事を無理に聞き出すのが正しいことかは分からないし、何よりブリュエットは隠し事を暴くことで自分が病気だと宣告されるのが怖かった。
「おうきゅうに行ったら、わたし、元気になる?」
「もちろんです。これまで通りの生活が続けられますよ」
『王宮へ行ってはいけない。お前が行くべきは、神秘の森だ』
「…………へ?」
目の前の大人の言葉とともに、彼女以外の声がした。
腹の底から響いてくるような声。
比喩表現ではなく、本当に腹の底から響いてくるような、不思議な声。
「…………なに?」
ブリュエットはすぐに目の前の大人たちを見回してみたが、口を動かしている者はいなかった。
「どうかしましたか?」
「今、誰かしゃべった? そこの女の人以外で」
ブリュエットがそう言った途端、空気がピリリと鋭くなった。
大人たちが神妙な面持ちで目を見合わせている。
(わたし、何かいけないことを言ったの?)
一旦ゆるんだ緊張の糸が再び張りつめた。
大人たちはブリュエットがおかしな行動を起こすのではないかと疑うような目で、彼女を見つめている。
「えっと、気のせい、かも?」
場の雰囲気が変わったことを察したブリュエットが慌てて誤魔化したが、そんなものは大人には通用しない。
また互いに目を見合わせた大人たちが頷き合っている。
「お嬢様。王宮へは明日行きましょう」
「そんなに急に?」
「事態は急を要するようですので。本当なら今すぐに出発したいところですが、如何せん夜道は危険ですから」
(げんちょうが、聞こえることって、そんなに大変なこと?)
護衛もまれに幻聴が聞こえたり聞き間違いをすることがあるが、ここまで騒いだことはない。
ブリュエットはわけが分からず、不安感から無性に泣き出したい気分になった。
「あっ、大丈夫ですよ!? 王宮へ行けば全て解決しますから!」
ブリュエットが今にも泣き出しそうなことに気付いた大人の一人が、ブリュエットの背中をさすった。
護衛ではない大人。
護衛とは違って線が細いから医者かもしれない。
だけど聴診器も薬も持っていないから、医者ではないかもしれない。
その大人はブリュエットのためを思って背中をさすったのだが、不安感でいっぱいのブリュエットは、誰だか分からない人に触られたことで余計に涙が溢れてきた。
「安心してください。本当にお嬢様は何ともありません。病気なんか一つも無いんですよ!?」
「そうです。ただ健康診断を受けに行くだけなので、怖いことは何もありませんよ!」
ついに泣き出したブリュエットを見て、大人たちは口々に平気だと語りかけてきた。
その姿があまりにも必死で、逆にブリュエットの不安は増す一方だった。
『真実が知りたいのなら神秘の森へ行くがよい。王宮へ行く前に、な』
そして、またしてもあの声が腹の底から響いてきた。
もうブリュエットは自分がどんな状態なのか、誰の言葉を信じればいいのか、分からなくなっていた。
「お嬢様。お水を飲んで落ち着いてください」
混乱するブリュエットに一人の大人が水の入ったコップを差し出してきたので、ブリュエットは素直に差し出されたコップを受け取ろうとした。
しかし。
――――――ガチャンッ。
ブリュエットがコップを掴もうとした瞬間、コップが粉々に砕け散った。
その場の全員の視線が割れたコップに向く。
コップは粉々という表現が相応しい、破片が細かい割れ方をしていた。
どう考えてもブリュエットが力を入れ過ぎたせいではない。
子どもの力などたかが知れているし、たとえ握力が強かったとしてもこのような割れ方にはならない。
それにコップが割れたのは、ブリュエットがコップを掴む寸前。
ブリュエットはコップに触れてさえいないのだ。
「どう、して……?」
ブリュエットが自身の手を見ると、手からは白い湯気のようなものが立ち上っていた。
そしてブリュエットは気付いていないが、銀色に輝く髪は不自然に逆立っている。
(なにこれ。わたし、どうなってるの?)
「早く入眠魔術を! お嬢様を眠らせるのです!」
「軽くてもいいから無力化魔術も! 急げ!」
そのとき、ブリュエットの護衛たちが大声を出した。
護衛の指示を聞いてハッとした護衛以外の大人――魔術師は、懐から杖を取り出すとそれをブリュエットに向けた。
「いやだ、こわいよ。杖をこっちに向けないで」
「すみません。痛い思いはしませんので」
魔術師はそれだけ言うと、呪文を唱え始めた。
恐怖を感じたブリュエットが暴れると、護衛がブリュエットの身体を押さえつけた。
強い力ではないが、幼いブリュエットにはそれで十分だった。
魔術師が呪文を唱え終ると同時に、ブリュエットの瞼が閉じてゆく。
「なにが、起こってる、の……?」
『全ては神秘の森へ行けば分かる』
事態を把握する前に、ブリュエットの意識は途切れた。