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第5話


フェンリルは一切スピードを落とさずに走り続け、あっという間に神秘の森に到着した。

脇道を駆け抜けることで護衛をまいたが、フェンリルが向かった先が魔獣の暮らす神秘の森であることは予想されているだろう。


『よくやった。次は癒しの泉へ行き、泉の水を飲め』

「いずみの水を飲む?」

「癒しの泉ですね。分かりました」


声の発言をブリュエットが繰り返すと、フェンリルはすぐに癒しの泉へと向かった。

到着した泉は、頼まれなくても水を飲みたくなるような美しさだった。

水が澄んでいるため、泉で泳ぐ魚の姿がよく見える。


「この水を飲めばいいの?」

『そうだ。手ですくい、たっぷりと飲め』


声の言う通りにブリュエットは泉の水を、喉を鳴らして飲んだ。

その途端、ブリュエットの身体をコップが割れた際に手から出ていた白い湯気のようなものが包んだ。

そして、湯気が消えた後のブリュエットはそれまでの彼女とは顔つきが変わっていた。


「……確証はなかったが、上手くいったか」

「この気配は!」

「フェンリル。ここまでご苦労であった」

「魔獣王様!」


フェンリルはブリュエット……の姿をした魔獣王の周りを、犬のように駆け回って喜んだ。

尻尾も千切れんばかりに振っている。


「時間が無い。すぐに集会を始めるぞ」



   *   *   *



集会場に集まった魔獣たちは、感涙し、狂喜し、各々感情を昂らせていた。


「皆のもの、静まれ。今は時間が無い」


魔獣王の一言で、騒いでいた魔獣たちはいっせいに静まった。


「当時、現場を目撃していたものから聞いていると思うが、我は憎き人間の魔術師によって、この身体の中に閉じ込められた。そして今日まで身体から出ることが出来ないでいる」

「ではその身体を壊せば魔獣王様は自由になるんですね!?」


嬉しそうな声を上げたフェンリルを、魔獣王が制止した。


「話はそう簡単ではない。この身体が生命活動を止めたとき、身体とともに我も死ぬ可能性がある」

「そんな……」

「我を封印した魔術師にも、この身体が死んだとき、我が消えるのか解放されるのかは分からぬらしい。ゆえに人間どももこの身体を破壊することを躊躇している」


一瞬魔術王の復活で沸き立ちそうになった集会場が再び静まった。


「よって、我が行なうべきは我を封印した魔術師の殺害。もしくは封印を解かせることだ」

「では町を襲って人間を人質に取って……」

「我ら魔獣は人間とは違う! 高潔な魔獣は人質など取らぬ! 命を刈り取るのは必要な分だけだ!」


強硬手段を取ろうとする魔獣を魔獣王が厳しく叱った。

姿形はブリュエットだが、その威厳は子どものものではない。


「しかし……魔獣王様がいなければ、いつ人間が森を襲ってくるか分からず……魔獣たちは怯えながら暮らすことを強いられています」

「封印されているとはいえ我が存在している限り、人間どもも大掛かりな魔獣討伐は行えないであろう。今回我の封印が解けかけたとなれば、なおさらな」

「そうです、封印! 魔獣王様は今、どのような状態なのですか!?」


これに魔獣王は唸りながら腕組みをした。


「これまで我は完全にこの子どもの奥深くに沈んでおったが、昨日から子どもと対話することが可能になった。それにどうやら、子どもには我の魔力が使えるようだ。制御が出来ぬ上に我の魔力の一部だけだがな」

「ではこのまま魔獣王様がその子どもを乗っ取ってしまえば良いのですね!?」


この提案に魔獣王は渋い顔をした。


「……この子どもは、人間と魔獣の争いの被害者である。被害者に鞭を撃つ真似を我はせぬ。そのようなことをしてしまえば、我も人間どもと同じ畜生に落ちてしまう」

「しかし」

「仮に我が子どもの身体を乗っ取ったとして、何か状況が変わるか? 決定打を欠いた魔獣と人間の睨み合いが続くだけではないか?」

「それは……そうですが……」


口には出さなかったが、魔獣王は六年間をブリュエットの中で過ごし、ブリュエットの成長を見てきた。

そのせいでブリュエットに対し、親にも似た感情が芽生えていた。

それにブリュエットが本当の両親に放置されているのは、自分がブリュエットの中にいるという不気味さのせいだという後ろ暗さもあった。

もっともブリュエットの両親は、魔獣王を封印する器としてブリュエットを差し出したのだから、最初から子どものことを道具だと思っていたのかもしれないが。

そのおかげでブリュエットの両親は帝国から多大な報奨金をもらい、毎日遊んで暮らしている。

一方でブリュエットは身体に魔獣王を封印され、護衛という名の監視に常に見張られている。


「我が狙うべきは子どもではなく、我を封印した魔術師だ。封印が解ければ、我は元の姿を取り戻し力も完全に戻る」

「その魔術師はどこにいるのですか? 僕が喉笛を噛み切って来ます!」

「当然、その可能性を恐れて帝国は魔術師を隠しているだろうな。姿形も当時とは変えているに違いない」

「ではどうやって」

「魔術師は王宮にいる可能性が高い。あそこほど安全な場所は他に無いからな。それに我に再び封印を施すと言って子どもを王宮に連れて行こうとしていた」


この言葉に再び集会場がざわめいた。


「再びの封印!? せっかく魔獣王様が表に出て来れるようになったのに!」

「だから封印される前にここへ来た。我の封印を弱める、癒しの泉の水を持ち出したい」

「それよりも魔獣王様が森から戻らなければいいのではありませんか!?」

「それでは我が完全復活をすることを恐れた人間どもが森を焼きに来る可能性がある。ゆえに我は何事も無かったかのように、人間どもの元へ戻る必要がある」


これまでの人間たちの行いを考えると、その可能性は十分にある。

誰もがそう思ったのだろう。

集会場には重い空気が流れた。


「人間は恐怖を感じると何をするか分からないわよね。この前は町で迷子になった魔獣の子どもを殺したそうだし」

「子どもを探しに行った母親も殺されたそうじゃ。人間は魔獣を殺すことに何のためらいもないのう」

「人間は、高潔な魔獣とはあまりにも考え方が違い過ぎる。魔獣なら森に人間の子どもが迷い込んでも殺さずに帰しただろうに」


先日町で殺された魔獣のことを思い出した面々は肩を落とした。

町で迷子になった魔獣の子どもを殺された親の魔獣は、怒り狂って魔獣討伐隊数名を地獄に送った。

いわゆる仇討ちだ。

皮肉にもこの事件がきっかけで、魔獣王の封印が弱まった。


「あ、あの! 私の寝床に水を蓄えておく実があります。その実に癒しの泉の水を入れて持ち歩くのはどうでしょうか!?」


重い空気を払拭しようとしたのか、一匹の魔獣が明るい調子で告げた。


「ふむ。ではその実に泉の水を入れて来てはくれぬか。我はそろそろ町へ戻るのでな」

「魔獣王様……」

「我が人間の子どもの姿になっても、我のことを魔獣王として慕ってくれた皆に礼を言いたい。願わくばまた元の姿で再会したいものだ」


ブリュエットの姿をした魔獣王は、人間の子どもがしないであろう悟りを開いたような表情で笑った。



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