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第7話


「お嬢様! ご無事ですか!?」

「我は無事だ。傷一つない。しかし歩き疲れたから寝る」


神秘の森を出た魔獣王はそれだけ言うと、森の前にいた護衛に寄りかかって寝入ってしまった。

予想外の出来事に面食らった護衛だったが、すぐにブリュエットの身体に傷が無いかを確認し、森の近くに待機させてあった馬車へと運んだ。

馬車の中にいた魔術師がブリュエットに変な魔術が掛けられていないことを確認すると、護衛はすぐに馬車を出発させた。


「このまま王宮へ向かう」

「それが賢明でしょう。この子が神秘の森へ行った経緯は、封印魔術を掛け直してから聞いても遅くはありません。何よりも優先すべきは、封印魔術を掛け直すことです」

「予定よりも早く到着するが、すでに魔法陣が完成していることを願おう」



   *   *   *



王宮魔術師であるカジミール・フロストは、昨夜いきなり頼まれた仕事を遂行するために徹夜をしていた。


「町に魔獣が出たくらいで、あの封印を掛け直すなんて大袈裟だろ!?」


ブリュエットがコップを割った話や神秘の森へ行った話はまだカジミールまで届いていなかったため、彼は必要のないことで徹夜をさせられたと大変に腹が立っていた。

用意された部屋に複雑な魔法陣を描きながらぶつぶつと文句を言っている。


「そもそもあの封印を掛け直す準備なんて、一夜で出来るわけがないんだよ。封印する相手は魔獣王なんだぞ!? 一夜で出来るのはせいぜい封印を少し強化するくらいだ……まあいい。封印を少し強化して、封印を掛け直したと言っておけばいいだろう。どうせ分かる者などいないのだから」


誰かに聞かれたら大変なことになるであろうこの独り言を聞く者はいない。あらかじめカジミールが人払いをしておいたからだ。


「さて、こんなものか。あとは魔獣王の器が到着するまで仮眠でも……」


そのとき慌てた複数の足音とともに部屋がノックされた。


「はあ!? 約束の時間よりかなり早いぞ!?」


カジミールは大きな溜息を吐いてから、部屋のドアを開けた。

部屋の前には複数人の人間が立っている。その中にはブリュエットの身体を抱きかかえた監視役もいた。


「封印以降初めて見たが、魔獣王の器もずいぶんと成長したものだな」

「予定よりも早い到着で申し訳ございません。緊急事態のため、急いだ次第であります」

「緊急事態? 町に魔獣が出ただけで大袈裟だって」

「……器が力を使ったことや神秘の森へ行ったことは、まだお耳に入っておりませんか?」

「何だって!?」


(そんな話、俺は聞いていない。つまり、封印魔術が弱まっているということか!? たった数年で!?)


カジミールも魔獣王の力を侮っていたわけではなかったが、あれだけ入念に準備をした封印魔術がたった数年で弱まるなど考えてもみなかった。

それほどまでに魔獣王の力は想像を超えるものだったのだ。


(それだけの力があるなら、この国を滅ぼし魔獣の住む国にすることすら出来ただろうに)


「魔法陣の準備はまだでしたでしょうか?」


黙ったまま考え込んでしまったカジミールに、ブリュエットを抱えた監視役が声をかけた。


「ん? ……ああ。準備は終わっているから、ここに器を置いてお前たちは下がれ。封印が終わったら声をかけるからそれまでは部屋に入るなよ。集中力が途切れるからな」


カジミールに指示された通りに監視役たちはブリュエットを置いて部屋から出て行った。


「……さて。どうするかな」


部屋のドアをしっかりと閉め、念のため魔術で鍵をロックしてから、カジミールはブリュエットを眺めた。

ブリュエットは余程深く寝入っているらしく、床の上に置かれても起きる気配はない。


「睡眠薬でも盛られたのか? ……この子も災難だな」


カジミールは王宮魔術師でありながら、別に王家に忠誠を誓っているわけではない。

仕事だからブリュエットに魔獣王を封印しただけであって、自ら進んでブリュエットに魔獣王を封印したわけではない。


「俺を悪く思わないでくれよ。俺だって、好きでお前の人生を窮屈にしているわけじゃないんだからな」


寝ているブリュエットにそう告げてから、カジミールは魔法陣を起動させた。

魔法陣から放たれる薄紫色の光がブリュエットに降り注ぐ。

無事に魔法陣が起動したことを確認したカジミールは、近くにあった椅子に座ってうつらうつらし始めた。


「とりあえずはこれで落ち着くだろうが、封印が弱まっているなら一時しのぎにしかならないだろうな……まったく。この件にはもう関わりたくないってのに」

「このけんって、なあに?」


独り言に返事をされて、眠気眼だったカジミールは椅子から転げ落ちた。


「睡眠薬を飲まされてたわけじゃなかったのか!?」

「すいみんやく?」

「待て、そこから動くな、もう少しだから!」


カジミールは自身の元へ近付こうとするブリュエットを必死で止めた。

魔術が掛かり終わる前に魔法陣から出られては、昨夜の徹夜が無駄になるからだ。


「え? うごいた方がいいの? 分かった!」

「何が分かったんだ!? 待てってば! そこを動くな!」

「えいっ」

「あぁっ!?」


こうして無情にもカジミールの徹夜は無駄になった。


「どうして動いたんだ!? 動くなって言ったのに!」

「ごめんね。でもお友だちが、うごいた方がいいって、言ってたの」

「友だちだあ!?」

「うん、お友だち! わたし、知らない人の言うことよりも、お友だちの言うことを、信じるの」

「……クソッ!」


この部屋にはカジミールとブリュエットの他には誰もいない。

そのことから導き出される答えは、彼女のお友だちは実在する人間ではない。


(幼少期にイマジナリーフレンドが見えることは、ままあると聞く。きっとこの少女の言う友だちもその類なのだろう)


まさか少女が魔獣王と友だちになっているとは思いもしないカジミールは、そう自分を納得させた。

それに今重要なのは、彼女のイマジナリーフレンドではなく。


(これ、封印強化の魔術は失敗したよなあ)


「この人と、話したい? 言いたいことがあるなら、わたしのからだ、貸すよ。自分で言った方が、いいんじゃないかな?」


カジミールがうんうんと唸っていると、ブリュエットがまた独り言もとい魔獣王との会話を始めた。


「……はあ。お前の話すお友だちとやらのせいで失敗したんだから、俺は関わりたくないっつーの」


見えない相手と会話をするブリュエットに、カジミールは嫌味を言った。

普段なら子どもに悪態をつくようなことはしないが、いきなり呼び出されて徹夜で用意した魔法陣が無駄になったことで、カジミールはとてつもなくイライラしていた。

さらに魔法陣を起動した際に、用意していた素材の類が全て使用されてしまった。もう一度封印強化の魔術を掛け直すとなると、高い素材費が必要になる。

さすがに金は国が出してくれるだろうが、魔術が失敗したせいで余計に金が掛かったとなれば、カジミールはお咎め無しとはいかないだろう。


「えー? 今日はもう、出られないの? わたしが、でんごんするの? うん、いいよ」


魔獣王との話がまとまったブリュエットは、頭を抱え続けているカジミールの足をとんとんと叩いた。


「……なんだよ」

「あのね、お友だちが、あなたとお話したいんだって」

「俺は話すことなんかない。そいつのせいで悩んでるんだからな。そもそも存在しねえだろ」

「いるよ。だけど今は出て来れないから、わたしがでんごん係になって、お話するの」


カジミールは自身の頭をガシガシと掻いた。

今のカジミールには子どものお遊びに付き合っている時間は無い。

お咎めを軽減させる上手い言い訳を一刻も早く考えなければならないからだ。


「俺は忙しいんだ」

「だめだって。どうしても、お話したいんだって。ねえ、ちょっとだけだから、おねがい」


ブリュエットが、そっぽを向いたカジミールの足にしがみついた。

そして、おねがい、と何度も声をかけ続ける。


(これは断る方が面倒くさいかもな。ちょっと遊んでやれば満足して静かになるだろ)


諦めないブリュエットを見てそう判断したカジミールは、ブリュエットの伝言遊びに付き合ってあげることにした。


「はいはい。付き合ってやるから、気が済んだら静かにするんだぞ」

「ありがとう!」


ぱあっと表情を明るくしたブリュエットは、カジミールの足を離して彼の目の前に立った。


「うん、うん、分かった!」

「で、友だちはなんだって?」

「久しいな。ほろぶべきあしきせいぶつ、そのひっとうよ」


聞き覚えのあるセリフを耳にしたカジミールは、その場で凍り付いた。



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