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第3話 最初の芽は静かに

 丘のふちに着いた。

 細いロープで地面に境目を作り、子どもは前列、大人は一歩下がってもらう。走らない、叫ばない——これが私の仕事場でのルール。


 手袋を外して土に軽く触れてみると、冷たくて粉っぽい。

 サクには短く確認する。


「立ち位置は足首の外側、風上に半歩。押さえ込まないで止めるだけ。見つめない、息は下へ」

「……はい」


 地面に両手を置き、深呼吸ひとつ。足を上げる。

 世界が反転すると、さっそく鼻先に髪が落ち、むずむずする。今は笑ったら負けだ。


 サクの指先がそっと触れる。重さは乗っていない。悪くない——と思った瞬間、くるぶしに細い風。

 くすぐったくて、思わず体がぐらっと揺れた。私はすぐに降りる。


「今の、風?」

「……俺です。すみません」

「もう一度言います。見つめないように横を向いて、息は地面に。今のは反則です」


 サクが麦わらのつばを少し下げ、体の向きを変える。


 二度目。

 足を上げる。サクは風上のまま体で風を切り、指先だけの力を適切に調整する。

 私は手の真ん中にゆっくり重心を送る。土がじんわり息づくのがわかる。手のひらの下で土が小さく動く。


 ふう。世界を戻す。

 土の上に、緑の点が一つ。ほんの針穴のような芽の頭。

 前列の子が「おっ」と言いかけ、手で口をおさえる。えらい。私も口角をしまってうなずく。


「これが“起きる”の最初のサイン。喜ぶのは小さめに。拍手はあとで長めにお願いします」


 板に小さな印をつけながら、呼吸を整える。土の匂いが一段深くなった気がする。


 サクが視線を上げずに小声で言う。


「今度は、息、止めてました」

「止めすぎて倒れたら困るから、ほどほどで」


 麦わらの影で、サクの口元がわずかにゆるむ。照れてもいいけど、余計な力はこれからも禁止。


 私は袋から白い粉をつまみ、芽の先から先へ、細い目印の線を引く。


「次は、この線に点を並べる。曲げずに向こうまで。——まずはここから」


 ロープの外で、誰かが息をのむ気配がする。

 いよいよメインパートだ。サーカスなら空中ブランコ、アラジンなら「ア・ホール・ニュー・ワールド」。

 ここからは、点を列にする。


 私は白い粉線を指さして、みんなに向き直った。


「これからこの線に沿って芽を四つつなげて、一本の列にします。見えるように静かに下がってください。拍手は最後に」


 そこで、輪のうしろからひげ面の男が口を挟む。


「……芽ひとつで気取るなよ。さっきのは運だろ」


 イラ。

 私は道具袋から砂時計を出し、掌でくるりと返した。


「じゃあ賭けましょう。この砂が落ちきるまでにあと四つ、一直線に芽を出します。芽が出なくても負けだし、曲げても負けです。前金は返します。次の依頼も消えます。私の明日も消えます。……最後のはちょっと大袈裟です。……ただし、できたら、“不作のサク”の札を外してください」


 そのとき、サクがはじめて顔を上げた。


「……俺のことで賭けないでください」


「賭けるのは私の首だけ。あなたは足首をそっと触れるだけ。札は——外れる方が正しい」


 言い切ると、サクは一瞬ためらってから、こくりと頷いた。


 私は砂時計を線の端に立てて、ガラスの首をもう一度返す。細い砂が落ち始める。


「皆さん、もう一歩さがって。あと、時間ギリギリになっても騒がないこと。私、こう見えて焦りやすいので」


 子どもは前のまま、大人が静かに下がる。ひげの男は腕を組み、黙ってこちらを見る。


 サクは袖で手をあたため、風上に半歩ずれる。一度息を吐いて、指先の形を作る。ほどよく力が抜けている。


 私は芽の位置を確認して、顔を上げた。


「——始めます」

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