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第2話 前編

城の中庭には、風が吹き抜けていた。

ノアは花壇の傍らに腰を下ろし、じっと空を見上げている。

その隣に立つアゼルは、無言のまま彼女を見守っていた。


言葉は交わさずとも、そこには穏やかな時間が流れていた――


けれど、遠くで兵たちが慌ただしく行き来する気配。


やがて、レオンが険しい面持ちで歩み寄ってきた。

「集まってくれ」


王の命を受けたのだろう、彼の声は低くも揺るぎない。
















重苦しい沈黙の中、レオンは口を開いた。


「報告が入った。――前回よりも大規模な魔物の動きだ」



王の命を受け、アゼル・レオン・カイルを中心とした精鋭部隊が現地へ向かうこととなる。


ノアは当然のように、アゼルの背に付き添っていた。


けれど――


「ノア、今回は置いていく」


アゼルのその言葉に、ノアは目を見開いた。

彼女は何も言えず、ただ首を横に振った。

けれど、アゼルはその手をそっと取って言った。


「お前に何かあったら……」


ノアの手を離した。

アゼルは背を向け、騎士たちと共に城を出て行った。


ノアはしばらくその場に立ち尽くし、じっと出ていった扉見つめていた。




アゼルたちが無事に帰ってくるのを、ノアはただ信じて待っていた。

時折、中庭を吹き抜ける風に身を委ねながら、帰還の姿を思い浮かべる。

その穏やかな流れが、彼女の不安をわずかに和らげていた。


けれど――


ふと、風が止んだ。

空気が重く淀み、世界そのものが静まり返ったかのように。




ノアの背筋が、ぞくりと凍りついた。











「…っ!!!…」



その“嫌な予感”は、確かなものだった。


彼女は一度も迷うことなく、走り出した。

空を裂き、風を操り、灰の地へ――。















灰の地。

焼けた大地に倒れる騎士たち。

レオンの肩は裂け、カイルは血に濡れ、アゼルもまた片膝をついていた。


目の前に立つのは、常軌を逸した巨体の魔物。

灰色の瘴気をまとい、空気を腐らせるその存在は、これまでとは明らかに異質だった。


「……ここで、食い止める」


アゼルは満身創痍の体で剣を構え、

その魔物に立ち向かおうと、最後の力を振り絞る。



「やめろ、アゼル!」

レオンの鋭い声が響いた。

「今のお前では持たん!退け――!」


だが、アゼルは振り返らない。

「殿下こそ下がって下さい。……俺が道を切り開く」


血に濡れた大地の上で、二人の声が交錯する。

そして次の瞬間、アゼルは巨体へと駆け出した。






その時だった。


風が吹いた。


柔らかく、でも確かな力で。


「アゼルっっっ――……ダメーーーーーッ!!!」














言葉を話さなかった少女が、

初めて自分の意思で声を放った。


その声が空気を震わせ、時間すら止まったように感じた。


アゼルが目を見開いた瞬間――


ノアは彼の前に飛び込み、両手を大きく広げた。


「――!」


淡く、けれど揺るぎない光が彼女の体から溢れ出す。








強烈な衝撃が魔物から放たれる。

だが、それはノアの前で寸前に止まった。


瞬間、眩い光が広がり、仲間たち全員を包み込む。

まるで聖域のように展開した“光の結界”が、騎士たちを覆い守っていた。


ノアの意思で生まれた、純粋で強固な守りの魔法だった。


アゼルが、ノアを呼ぶ。


「ノア……っ」


だが彼女は静かに、魔物に向かって一歩、また一歩と歩き出す。

その目は揺るぎがない。



ノアの光の結界が皆を守り、魔物の攻撃を受け止めた。

だが、ただ守るだけでは終わらない。


「……っ!」


ノアは結界を維持したまま、もう片方の手を前に突き出した。

そこから放たれた光の矢が、閃光となって魔物の巨体を貫く。

魔物が吠え、怯んだ隙に続けざま――無数の光弾が弾け、瘴気を吹き飛ばしていく。


結界は仲間を守り、攻撃魔法は魔物を追い詰める。

二つの力を同時に操る姿は、まるで異世界の存在のようだった。


しかし魔物はなおも抗う。

瘴気を渦巻かせ、さらに暴れ狂おうとする。


ノアは震える腕を必死に持ち上げ、最後の力を込めて手をかざした。

光が脈動し、魔物の身体を覆う瘴気が一気に乱れ始める――。



ノアが手をかざすと、魔物の身体を構成していた瘴気が一気に乱れた。


彼女の魔力が、魔物を浄化し始めていた。


空が光り、地が揺れる。


――そして。


魔物は、灰になって崩れ落ちた。


残されたのは、静かな風と、

一人の少女が立っていた足跡だけだった。


全てが終わったあと。

アゼルは黙ってノアを抱きしめた。



「……すまないっ……」


ノアは、言葉の代わりに彼の胸にそっと顔を埋めた。


もう、誰もが知っていた。

ノアはただの“拾われた少女”ではない。

人を守り、支える“希望の光”だった。


――――――


戦いを終えた騎士団が、城に戻ってきたのは夕刻だった。

城では皆が出迎え、皆がノアを称賛した。

「命の恩人だ」「まさか、あんな魔法が…」


けれどその中に、

わずかなざわつきや“距離”があったのも、ノアは感じていた。


――彼女の力は、想像以上だった。

――あのまま暴走していたらどうなっていたのか。


感謝と同時に、誰もが“畏れ”も抱いていた。

そして、ノアはそれを察していた。


夜。

アゼルが寝台で眠っていた。

ノアはその隣に座り、彼の穏やかな寝顔をじっと見つめていた。


彼女はふと、自分の手のひらを見つめる。

――あのとき、魔物を消し去った光。

あの力は、いったい何だったのだろう。


守りたかった。

ただそれだけだった。


でも。

皆があの力をどう見たのか。






怖い。






『次は暴走するかもしれない』『制御できなければ脅威になる』

そんな声が、直接は聞こえてこなくても、彼女の胸には届いていた。


ノアは静かに立ち上がった。

アゼルの髪を優しく撫でて、小さく微笑む。


——ごめんね。


そして、自室に戻ると、

ほんの少しの荷物を手に取った。


その夜、誰にも気づかれないように、

ノアは自室の窓からそっと飛び立った。


月明かりに照らされながら、静かに夜の闇へと舞い降りる。

城を後にする彼女の背中は、切なげで、けれど決意に満ちていた。



誰にも迷惑をかけない場所で、

誰も傷つけないように、

ひとりで生きるために……



「……元の……生活に戻るだけっ……」

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