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第22話 火付け働きの狙い


 片方がまだ少年の信長とはいえ、二人も乗せているとは思えない速度で銀浪は駆けていく。

 並大抵の馬ではないことの証明であった。

 西に落ちていく太陽を右手にして、二人と一頭は南へと一直線に下っていった。

 この頃は領内で知らない土地はないというぐらいに、信長は尾張中を一日に平均四十里は駆け歩いている。

 関所の一部を解放したことで常に刺客が国内に侵入しやすい状態になっているともいえるため、平手政秀などの心労は限界に達しそうになっていた。

 一方で、奇妙な格好をした若殿が頻繁に領内を見て回ることによって、民は守護代織田家に親近感を覚えやすくなっていた。

 領民の誰もが信長の顔をよく知っているというのは、ある意味で安心できる材料であったと言える。

 そんな信長なので、銀浪が目指す先の見当はほぼ簡単についた。


「熱田か」

『そういう名前だったな』

「……しばらく姿を見せなかったな。熱田に行っておったのか」


 熱田は当主が代々図書助を名乗る土豪の加藤家が、羽城を本拠地としている土地であった。

 当代の図書助である順盛よりもりは、信秀に長く仕え、織田家の家中でも珍しく信長よりである。

 その理由の一つとして、順盛の息子弥三郎が信長と年が近く、仲が良かったためである。

 また、松平家から人質として加藤家に預けられている竹千代の面倒をよく信長がみていたため、直に若き嫡子の人柄に触れていたこともあるだろう。

 信長がことあるごとに熱田神宮に熱心に参詣していたこともあった。


『アツタは一度だけだ。他に色々と回っていた』

「なんのためだ?」


 イサクァに放浪癖があるのはわかりきっている。この異人は尾張からふらっと立ち去って二度と戻ってこなくてもおかしくはない。

 ただし、今回に限っては勘が何かがおかしいと告げていた。

 だからこそ、わざわざ小屋まで尋ねに行き、銀浪に乗ってまでイサクァを迎えに行ったのである。


『……火だ』

「火、だと」

『ああ。ここしばらく、そこらを走り回りこっそりと火をつけて回っている男どもがいるのをおまえは知っているな』


 昼間に橋本一巴とした会話が思い浮かんだ。

 恒興や利家が探っているという火付けの一件であろう。

 ここしばらくの間に突然発生し始めたこの事件、おそらく他国の間者による後方攪乱工作の一つだろうと信長は睨んでいた。

 送り込んでいるのは、松平か今川か。とにかく、尾張の秩序を乱して侵攻の機会をうかがっているのであろうと。その際に、大うつけと悪評の高い信長の那古野城周辺を重点的に狙うのは理にかなっている。

 ただし、ほとんどの火事が無人の空き家やら農具やらが燃えたというだけで、大きな被害が出ていないため、平手政秀ですらそこまで本腰を入れて調査を行おうとはしていなかった。他にもやらねばならぬことは大量にあるのだ。

 見捨ててはおけぬ被害と、はっきりと他国の工作と断言できる証拠がなければ、やはり後回しにされる。

 信長ですら自身の郎党に見回りの強化程度の指示しか出していない。


「……おまえは火付けを追っておったということだな」

『違う。おれが追っていたのは赤い錆の槍の男だ』

「なッ?」


 脳裏に浮かんだのは、大垣城付近で攫われた帰蝶を取り戻したときの大柄な若い武士のことだった。

 顔自体は忘れていたが、あの特徴的な槍の穂先は覚えている。

 かすり傷でも与えれば錆からはいる破傷風によって殺せるという致死力の強い槍のことを。

 あんな物騒なものをよく使うものが複数人いるとは思えない。


「あやつか!」


 イサクァが嘘を言うはずもないので、つまり例の火付けはこの間の誘拐と同じ根だということがわかった。

 つまり……


「これも〈悪霊〉とやらの手引きか。だから、おまえが動いたのだな」

『そうだ、キモサベよ。あのときの〈悪霊〉が戻ってきたのだ。そして、また何かを企んでいるから精霊の御使いがやってきた』


 とんとんと銀浪の尻を叩くと、嫌そうに馬身が震えた。

 信長に比べるとイサクァの方は銀浪にあまり好かれていないようだった。

 馬の反応に気分を害したのか舌打ちをするイサクァに構わず、信長は思考を巡らせた。

 帰蝶の誘拐についての調査はすでに打ち切られていた。

 斎藤家からもあまりことを表沙汰にしないよう要請されたからである。織田家としても、輿入れにきた他国の姫を攫われるという恥をさらすのは控えたい。

 ゆえになかったことにされたのである。

 信長も、自分が立てた手柄を吹聴しても意味がないことはわかっていたし、その後の帰蝶との穏やかな関係を考えると下手に掘り返すのは危険と判断してあえて目を閉じることにした。

 だが、それが裏目に出た。

 少なくとも手先が同じ集団だとすると、もっと背後関係を探って根を掘り出しておくべきだったのだ。


「……おまえはどこまで掴んでおるのだ」

『槍の男の根城だ』

「では、そこに行こう。城に行って人を集める」

『それは止めておけ。刻が惜しい』

「なんだと」

『おれは〈悪霊〉を倒したい。そいつらは手足でしかない。倒すべきは常に潜んでいる〈悪霊〉なのだ』


 確かに数人前後の、敵国に侵入して火付けを行い、土地の領民たちに気づかれない連中を相手にするよりも操っているものを殺してしまう方が話は早い。

 それに、これから城に戻って兵をかき集めるのも帰蝶の時同様に時間が足りない。


『〈悪霊〉を放っておくと、子供が死ぬことになる』

「子だと? なんのことだ」

『おまえも知っている子供が狙われている』

「―――! 竹千代か?」

『名は知らぬ。おまえと同じ匂いがする子供というだけしかわからん』


 指摘されるまでこの事実に気づかなかったことを恥じた。

 熱田に向かうというだけで、それが何を暗示しているのか気が付かなければならなかったのだ。

 そして、前の件に続きイサクァが追う〈悪霊〉が狙うのは織田家への謀を企む不逞の輩ということである。

 仮に三河を領する松平家の人質を織田家が守り切れなかったとすれば、それを口実として敵対関係にある松平は確実に今川と同盟を結んで尾張に攻め込んでくるだろう。

 いかに美濃の斎藤家と姻戚関係を結んだといっても、今の織田家ではまだ対抗はできない。

 つまり、〈悪霊〉という輩の思惑を阻止し、今ここで松平竹千代を保護しないとならないのだ。


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