アカデミーへの入学と同時に、アルバートは立太子され、王太子となった。
これで、王妃の心も少しは落ち着くだろうか、セラフィーナはそう期待したが、現実は甘くはなかった。
いつか第二王子にその座を奪われるかもしれないという不安は、決して王妃から消え去ることはなかったのだ。
アルバートが誰よりも優秀でなければならないという考えに変わりはないようで、アルバートよりはるかに優秀になってしまったセラフィーナの動向を王妃は常に警戒していた。
王妃は決してアルバートの成績は超えないよう、セラフィーナに何度も何度も言い聞かせ、セラフィーナはただ頷くしかなかった。
それでも、最初のうちはよかった、アルバートの成績は常に上位であったため、それより少し下の成績を取るのはさして難しいことではなかった。
しかし、アルバートが次第に成績を落としていってしまったのである。
おもいっきり成績を落とすことが可能なのであれば、アルバートがどれほど成績を落とそうともアルバートの成績を超えないことは、非常に簡単なことだっただろう。
だが、あまりに低い成績となれば、今度は両親の怒りを買ってしまう。
そのため、セラフィーナは常にアルバートの成績を予想しながら、それよりも少しだけ劣る成績を取らなければならなかった。
それは非常に難易度が高く、セラフィーナはいつしか、そのことに神経をすり減らしていた。
「あれだけ勉強ばかりしておきながら、成績はたいしたことはないんだな」
決してアルバートの成績を超えないセラフィーナに、嫌味のようにアルバートが言う。
そんな言葉を何度となく聞きながら、セラフィーナは卒業までどうにかアルバートの成績を超えずに過ごしたのだった。
また、アルバートとセラフィーナが、平民の少女ミラベル・バレットと出会ったのも、この頃だった。
この頃、巷では、ちょうど王族と平民の身分違いの恋物語が流行っており、そういった題材の小説が多数出版されていた。
内容はどれも似たりよったりで、高位貴族の令嬢という婚約者のいる王族の男性が、平民の女性となんらかの形で出会い恋に落ちる。
そして、様々な障害を乗り越えた後、王族の男性は婚約者との婚約を破棄し、晴れて平民の女性と結ばれるというものである。
しかしながら、これは物語だからこそ成立するのである。
貴族ならまだしも、王族の人間というものは、誰よりも自身の立場と役割を理解しているものである。
たとえ本気で恋に落ちたとしても、その影響を考え、間違っても平民を正妃に迎えるようなことはしないだろう。
この国の王族ならば、側妃や愛妾を迎えることができるのだから、正妃には幼い頃からきちんと教育を受けた貴族令嬢を据えるはずだ。
平民の娘であれば、よくて側妃、通常は愛妾におさまるのが一般的だろう。
また、運よく側妃や愛妾になれたとて、その息子が跡継ぎになることさえないはずである。
王族だからこそ、そういった血筋もまた、誰よりも重く考えるものである。
だが、平民たちはそんなことをもちろん知らない。
だからこそ、多くの娘たちが物語を手に取り、身分違いの恋に憧れを抱いた。
ミラベル・バレットも、おそらくはそんな1人だったのだろう。
彼女は期待の眼差しとともに、王太子であるアルバートへと近づいたのだ。
アルバートは、決して歓迎していたわけではないが、ミラベルを邪険にするような振る舞いもなかった。
そのため、貴族令嬢でさえ婚約者のセラフィーナがいるからと安易には近づかないアルバートの傍に、常に平民の少女がいるという状況ができてしまった。
そんな状況を当然許すはずのない王妃は、セラフィーナを呼び出した。
「あなたが傍にいながら、どうして平民なんかが王太子に近づくのですか!?」
王太子であるアルバート本人に言ってほしい。
そんなことは当然口にできるはずもなく、決してミラベルを近づかせるなという王妃の言葉に、セラフィーナはまたしてもただ頷くより他なかった。
その日、セラフィーナは内心で溜息をつきながら、ミラベルに声をかけた。
「バレット様、アルバート殿下はこの国の王太子でいらっしゃいます。どうか、不必要にお近づきになりませんよう」
相手が、貴族令嬢ならば、これだけで理解してくれただろう。
セラフィーナは公爵家の令嬢であり、王太子の婚約者でもある。
反論しよう等とは、考えもしなかったはずだ。
けれど、相手が平民である場合、そうはいかないらしい。
「私の方がアルバート様と親しいからって、嫉妬していらっしゃるんですか?」
見当違いのミラベルの言葉に、セラフィーナはまた内心で溜息をつく。
アルバートとセラフィーナの婚約は、所詮王家と公爵家の契約にすぎない。
2人の気持ちがどこにあろうと、どれほど疎遠であろうとも、関係ないのだ。
「それから、王太子殿下のお名前を、気軽に呼んではいけません」
「アルバート様はお咎めになりませんでしたわ」
当然だろう、とセラフィーナは思う。
本人にわざわざそのようなことを言わせないために、セラフィーナがいるのだ。
「ひょっとして、セラフィーナ様は許可されなかったんですの?婚約者ですのに、かわいそう」
どこまでも見当違いで、話しているだけで、セラフィーナは頭が痛くなるのを感じる。
(わたくしの名を呼ぶことも、許可していないわ)
セラフィーナはそう思ったけれど、それ以上ミラベルと言葉を交わす気にはなれなかった。
(一度、忠告はした。これで、続くようなら次の手もあるわ)
忠告をしたのだから、次は知らなかったでは済まされなくなる。
だから、最初はこれくらいでいいだろう、とセラフィーナはその場を離れることで、ミラベルとの会話を終わらせた。
しかし、これで終わらせてしまったのが、よくなかったのかもしれない。
ミラベルは、セラフィーナなど取るに足らない存在だと、判断したのかもしれない。
数日後、セラフィーナは驚くべき状況に遭遇することになる。
その日、セラフィーナは教室に向かうべく、階段を駆け上がっていた、ただ、それだけのはずだった。
偶然だったのか、故意だったのか、セラフィーナにはわからなかったが、途中でミラベルとすれ違った。
同じアカデミーに通う者同士、階段ですれ違おうとも決して不思議ではないことである。
だから、それだけならば、特筆するようなことなど、何もなかったはずだった。
だが、すれ違う際、ミラベルが妙に気になる笑みを浮かべたため、セラフィーナは思わずミラベルを振り返った、その瞬間のことだった。
(うそ、でしょう……!?)
セラフィーナは目の前の状況に、驚愕する。
なぜなら、ミラベルは自ら階段を転げ落ちたのだ。
どんっと大きな音がして、大勢の人の視線がミラベルへと集中した。
そんな中、ミラベルは今にも泣きそうな表情で、セラフィーナを見上げる。
(どうして、そんな表情でわたくしを見るの?)
そんな疑問を、セラフィーナが抱いた時だった。
「セラフィーナ様、あんまりですわ」
そんなミラベルの声が響き渡り、今度はセラフィーナが視線を集めることになる。
「な、なにを……っ」
何か言わなくては、そう思うけれど多くの視線にさらされ、思考が上手く働いてくれない。言葉が、何も出てこない。
セラフィーナは珍しく、冷静に考えることができなかった。
「アルバート様っ、セラフィーナ様が、セラフィーナ様が……っ」
ミラベルの声を聴き、セラフィーナはようやくアルバートがこの場に現れたことを知る。
アルバートは自身に縋りつくミラベルには目もくれず、ただセラフィーナを見上げている。
その視線が、セラフィーナを責めているような気がして、セラフィーナは逃げるようにその場を立ち去った。
その日以降、似たようなことが何度か続いた。
セラフィーナとミラベルが出会い、ミラベルが自ら自身を傷つける。
そして、必ず、まるでそれがセラフィーナによるものかのような声をあげる。
それから、やはりタイミングよくアルバートが現れ、ミラベルはアルバートに縋りつく。
セラフィーナは自身を責めたてるようなアルバートの視線から、逃げるようにその場を立ち去る。
決まってそこまでが、一連の流れとして繰り返されるのだ。
いつしかセラフィーナは、悪女と呼ばれはじめてしまう。
それも、ただの悪女ではない。公爵令嬢でありながら、平民ごときを嫉妬に狂って虐める愚かな悪女と。
セラフィーナが悪女と呼ばれはじめたことは、すぐにセラフィーナの両親も知ることとなった。
両親は怒り、その不名誉な呼称をすぐになんとかしろとセラフィーナを責め立てた。
王太子の婚約者の醜聞は、王太子の品位まで損ないかねない。
王家に尽くすべきセラフィーナに、あってはならないことだと。
しかし、実際はセラフィーナは何もしていないのだ。
そのため、どうすれば自身の評判を回復することができるのか、セラフィーナには見当もつかなかった。
結局、セラフィーナは悪女の汚名を返上できないまま、18歳を迎え、アカデミーを卒業する日を迎えた。
セラフィーナに虐められた、といっても実際はセラフィーナは何もしておらず、全て自作自演だったけれど、そうして傷ついたミラベルを毎回助けていたことがきっかけなのかもしれない。
気づけば、ミラベルとアルバートは一緒にいることが多くなり、親し気な様子をみせることが多くなっていた。
アルバートがミラベルに対し、どのような感情を持っているかセラフィーナには推し量ることはできない。
けれど、少なくともセラフィーナに対してよりは、ずっと好意的であることは間違いないとセラフィーナは感じていた。
そして、王家主催で行われたアカデミーの卒業記念パーティーで、セラフィーナは自身の印象が間違っていなかった、と確信することとなったのである。
自身へ婚約解消を告げた婚約者、いや元婚約者であるアルバートが立ち去る姿も、それを追いかけるミラベルの姿も、目を閉じて全てを受け入れたセラフィーナには見えない。
しかし、その耳で、音だけはしっかりと拾っていた。
「アルバート様、セラフィーナ様の悪事を追求されないのですか!?」
「ああ。もういいんだ」
そんな2人の会話と、2人の足音が徐々に遠ざかっていく。
完全に聞こえなくなって、セラフィーナはもうここには二人はいないのだ、とゆっくり目を開けた。
かわいそうなものを見るような視線が、たくさんセラフィーナに突き刺さった。
けれど、セラフィーナの予想通り、その中にアルバートとミラベルの視線はなかった。
オールディス公爵家の子女は、セラフィーナただ一人であった。
だからといって、セラフィーナは公爵家にとってそれほど大切な存在でもなかった。
なぜなら、この国の法律では、いかなる場合であっても女性が爵位を継ぐことはできなかったから。
跡継ぎは傍系から養子に迎えると、セラフィーナの両親は随分前から決めている。
誰を養子にするか、という点が最近まで夫妻の悩みの種だったが、オールディス公爵の末の弟の息子がまだ3歳であるのに利発的であるのが目に留まり、最近では跡継ぎにすべくその子の教育にまで口出しをはじめたらしい。
養子に迎える話が正式に決まるのも、時間の問題だろう。
となれば、セラフィーナは公爵家には不要だった。
セラフィーナの価値は、ただ、いずれ王太子妃となり、王家との縁をを結ぶこと。
それがなくなった上に悪女という不名誉な肩書までついてまわる娘に、オールディス公爵夫妻はどこまでも冷たかった。
王家がセラフィーナを断罪するまでもなかったのだ。
セラフィーナはアルバートに婚約解消されたその日、自身の両親の手によって死を迎えたのだった。