アルバートによって連れて行かれたのは、国王と王妃の待つ応接間。
「まだ幼いセラフィーナには、酷な話かもしれないが」
それは国王のそんな一言からはじまった。
「いえ、陛下。セラフィーナにとっては、非常に光栄なことでございます」
間髪いれず、セラフィーナの父がそう言った。
セラフィーナは、その言葉に聞き覚えがあるような気がして、必死に記憶を手繰り寄せる。
それは、セラフィーナ、アルバートともに6歳で迎えた婚約が決まった日のことだ。
『2人ともまだ幼いゆえ、酷な話かもしれないが』
『いえ、陛下。セラフィーナにとっては、非常に光栄なことでございます』
そう、アルバートの年齢が違っていたから、当時と今で国王の言葉が異なる。
しかし、セラフィーナの父の言葉は、まったく同じだった。
「王太子アルバートと、セラフィーナを婚約させたいと思っている」
この言葉も、かつてと少し違っている。
『王子アルバートと、セラフィーナを婚約させたいと思っている』
かつての国王の言葉は、こうであった。
だが、変わらないのは、かつての記憶でも、今この場でもこの言葉はアルバートとセラフィーナに向けられていることだ。
両家の間でとっくに話はついている、ということなのだろう。
セラフィーナの両親や、王妃に対して、今さらながらにお伺いをたてるようなことはなかった。
(この後に続いたのは、確か……)
セラフィーナは、目を閉じて記憶を辿る。
「王家と公爵家の絆を強固なものとするため、どうか協力してちょうだい」
『王家と公爵家の絆を強固なものとするため、どうか協力してちょうだい』
記憶の中の王妃と、目の前の王妃の言葉が、セラフィーナの中できれいに重なった。
『僕はかまいません』
『わたくしでお役に立てるのでしたら』
これが、セラフィーナの記憶の中にある、当時のアルバートとセラフィーナの答えの記憶である。
記憶の中では2人ともとても流暢で、舌っ足らずな言葉遣いでは決してなかった。
だが、幼い頃の自分は普通に喋れている、と思い込んでいただけで、今のような喋り方だった可能性も否定はできない。
(殿下は前と同じようにおっしゃるのかしら)
セラフィーナはアルバートへと視線を向ける。
だが、目があったアルバートは、ただにこりと笑うだけだった。
国王、王妃、アルバート、そしてセラフィーナの両親までも、ただセラフィーナの言葉だけを待つかのように、セラフィーナを見ている。
(殿下のお言葉は、不要なの……?)
かつては、セラフィーナもアルバートも、この場ではじめて婚約の話を聞いた。
でも、今回は違うのかもしれない、今はじめてこの話を知ったのは、セラフィーナだけなのかもしれない。
アルバートがセラフィーナの名前をすでに知っている様子だったことから、セラフィーナはそう推測する。
「わ、わたくちで、おやくに、たてぇるのでぇしちゃら……」
記憶にある言葉よりも、随分と聞き取り辛い言葉だったけれど、セラフィーナは同じ答えを返した。
(今度こそ、今度こそ王家のために全てを……)
同時に今度こそ身を粉にして、自身の全てを捧げて王家に尽くのだと、心の中で誓いを立てた。
「ありがとう、セラフィーナ」
そう言って、微笑んだのは王妃だった。
それは、セラフィーナがもう随分長く見ていなかった、王妃の笑顔で、セラフィーナはとても懐かしく思った。
国王が側妃を迎えるまでは、王妃はこうして優しい笑みをセラフィーナに向けてくれていたのだ。
(ひょっとして、国王陛下は側妃をお迎えでないの?第二王子殿下は、まだお生まれになってないの?)
王妃の笑みを見ていると、そんな疑問が浮かぶ。
だが、そんな質問を投げかけることなど、セラフィーナにはできない。
側妃も第二王子もすでにいるのならば問題ないが、もしもいない場合、何かしら問題が起きる予感しかしなかったのだ。
「では、急で申し訳ないのだが、セラフィーナには1週間後のパーティーに出席してもらおう」
「ぱーちー?」
セラフィーナは非常に驚いた。
これはかつてのセラフィーナには、経験のないことだったから。
6歳だった時、セラフィーナもアルバートも、パーティーに出席するようなことはなかったのだ。
「ああ、王太子の成人を祝うパーティーを行う予定でね。そこで、セラフィーナとの婚約も発表しようと思っているんだ」
そう言って笑う国王を見て、セラフィーナはかつて婚約を発表した日のことを思い出した。
アルバートとセラフィーナの婚約が結ばれたのは、セラフィーナとアルバートがともに6歳の時だった。
この時点で王侯貴族の間にはもちろんその話は知れ渡ったものの、王家が公的な場でそれを発表したのは、アルバートとセラフィーナがともに成人を迎える16歳になった時だったのだ。
国王は、王家主催で、アルバートとセラフィーナの成人を祝うパーティーを開き、そこで公表したのである。
つまり、婚約を結んだのはセラフィーナが6歳の時、公表したのはアルバートの成人を祝うパーティー、という点は今回も同じだった。
(アルバート殿下は、つまり、現在16歳……)
セラフィーナはようやく、アルバートの年齢を把握できた。
さらに、国王、王妃、自身の両親と眺め、かつての6歳の時の記憶と照らし合わせる。
以前の方が皆若かったように、セラフィーナには思えた。
(わたくし以外はみんな、日付と同様に単純に2年ほど前に戻っているだけに見えるわ……)
ただ、セラフィーナが10歳ほど若返っているせいで、起きる出来事がかなりちぐはぐになってしまってはいるが。
とりあえず、自分の年齢だけがズレていて、後は皆単純に2年前なのだと、セラフィーナはそう理解することにした。
なぜそうなってしまったのか、もちろんそんなことはセラフィーナにはわかるはずもないけれど。
「パーティーまであまり時間がない、準備もいろいろとあるから、この1週間は王宮に滞在してくれるかい?」
そういえば、かつて成人を祝うパーティーを開いてもらった時も、同様に王宮に滞在したはずだ。
そんなことを思い出しながら、セラフィーナは自身の両親を見た。
当然受け入れろ、無言でそう言われているような気がして、セラフィーナは頷く。
「じゃあ、セフィの部屋へは、僕が案内するね」
それまで言葉を発することがなかったアルバートは、待ち構えていたとでも言うように、セラフィーナを抱っこする。
「まぁ、セフィですって」
「かわいらしいな、我々もそう呼ぶか」
国王夫妻が微笑まし気に眺めている。
かつては国王だけが呼んだ愛称を、今回はアルバートだけでなく、王妃まで呼ぶことになりそうだった。
アルバートに運ばれながら、セラフィーナは考える。
(よほどこの婚約による、王家とオールディス公爵家の繋がりが大事だったのかしら)
もちろん、かつてもそれが目的で婚約が結ばれたことは知っている。
けれど、理由はそれだけではなく、2人の年齢も同じだったことも理由としてあったはずだとセラフィーナは思っていた。
王侯貴族の婚約となれば、年齢差がかなりあることもある。
大人になってしまえば、それほど差を感じなくなるということで、10歳差も無いとはいえない。
けれど、高位貴族との繋がりがあるだけでいいのなら、今のセラフィーナでなくとも、もっと似合いな年齢の令嬢がいるはずなのだ。
となれば、10歳差があって尚セラフィーナが選ばれたのは、王家がそれだけオールディス公爵家にこだわった、としか思えなかったのだ。
(なら、私が死んだ後、アルバート殿下の婚約者はどうなったのだろう……)
もし、オールディス公爵家との婚約を強く望んでいたとしたら、セラフィーナ以外に娘がいない公爵家では当然対応ができない。
(いいえ、跡継ぎすら傍系の家系から迎えるのだから、きっと、殿下に相応しい娘を傍系から養女にでも迎え入れたはずだわ)
王家がそれでも公爵家と、と望んでくれれば、喜んでそうするだろう両親は想像に容易かった。
(まさか、バレット様と婚約ということは……)
王家が平民と婚約、というのは非常に考えにくい。
アルバートが強く望んだとしても、国王が了承するとは思えなかった。
(高位貴族と養子縁組をすれば不可能ではないけれど、迎え入れる家があるかどうか……)
少なくとも、自身の両親は、たとえ王族との婚約が決まっていたとしても受け入れないだろうとセラフィーナは思う。
貴族というのは血筋を重んじるもので、貴族からの養子であっても、血が繋がらなければ躊躇するものもいるくらいだ。
そんな中で、平民を受け入れてくれる高位貴族の家を見つけることは、なかなか厳しいだろう。
(もう、わたくしには、関係ないわね)
セラフィーナは死んでしまった。
同じ歳のアルバートがいるあの場所には、おそらくはもう戻れない。
セラフィーナはただ、自身の代わりに選ばれてしまったその娘が、辛い思いをしていないことを祈るのみだった。