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6. 抗えない


 平民であるミラベル・バレットが、このパーティーに招待されているとはセラフィーナは思ってもいなかった。

 かつての記憶を辿ってみても、アルバートとセラフィーナの婚約が発表されたパーティーで、セラフィーナはミラベルに出会った覚えもなければ、ミラベルらしき姿を見掛けた記憶もない。

 しかし、セラフィーナはパーティーに参加した全ての人を把握しているわけでは、決してない。

 セラフィーナが見掛けなかっただけで、その場にミラベルもいたという可能性を完全に否定することはできなかった。


「セラフィーナ様、ですよね。まさか、こんな小さな子がアルバート様の婚約者だったなんて……」


 またしても許可なく名前を呼ぶミラベルを気にする余裕は、今のセラフィーナにはなかった。


(今度は、何を考えているの……?)


 予想だにしなかったミラベルの登場、さらにかつてのミラベルの記憶から、セラフィーナはただただ不安に駆られていた。


「アルバート様ったら、かわいそう。いくら王太子だからって、こんな小さな子どもと婚約させられるなんて……」


 まさにその小さな婚約者であるセラフィーナの目の前で、ミラベルは堂々とそんなことを言う。


「ね?セラフィーナ様も、そう思いません?」


 さらには、同意まで求めてきて、失礼極まりない。

 だが、今のセラフィーナには、反論する言葉が見当たらなかった。


(言う通りかもしれない……)


 そう思うと悲しくなり、セラフィーナはまた泣いてしまいそうになる。


(わたくし、こんなに簡単に泣くようなことはなかったはずなのに……)


 幼くなった身体と一緒に、中身まで幼くなってしまったような気がした。

 セラフィーナは、涙を流してしまわないよう両手に力をいれて、ただぐっと耐えるしかできずにいた。


 かつん、とこちらへ近づく足音がする。

 誰だろう、セラフィーナがそう思うより早く、ミラベルが嬉しそうに声をあげた。


「アルバート様っ!!」

「ここで、何してるの?」


 声を弾ませるミラベルとは対照的に、アルバートの声は抑揚がない。

 喜んでいるのか、怒っているのか、はたまた悲しんでいるのか、セラフィーナには声からその心情は読み取れなかった。


「ある……」


 それは、ミラベルへの対抗心だったのかもしれない。

 互いに見つめあい、言葉を交わす様子に心がざわついて、いつもならつい殿下と呼んでしまうところ、セラフィーナは自身に許された愛称をあえて呼んだ。

 すると、ミラベルへ向いていたアルバートの視線は、すぐにセラフィーナへと向けられる。


「やっと、呼んでくれたね」


 嬉しそうな声だ、とセラフィーナは思った。

 同時に、よくよく考えると、呼んでいいと言われた愛称をなんだかんだで呼べていなかったことにも気づく。


「どうしたの?悲しそうな顔をして」


 アルバートはセラフィーナに近づき、顔を覗き込む。

 今にも泣きそうな表情だと認識すると、セラフィーナには優しく声をかけ、ミラベルには冷たい視線を向けた。


「彼女に、何をしたの?」


 ミラベルは、アルバートの表情と声に背筋が凍りつくような気がした。


「わ、私っ、私は、ただ……その、セラフィーナ様とお話を……っ、ね、セラフィーナ様?」


 慌ててミラベルはセラフィーナに同意を求める。

 話をしていた、ということは間違っていないのかもしれない。

 しかし、ただ一方的に言いたい放題言われただけのセラフィーナとしては、同意などしたくはなかった。

 かといって、告げ口をするようなこともしたくない。

 ただ、震える手で、アルバートの服を掴むことが、今のセラフィーナの精一杯だった。

 しかし、アルバートはただそれだけで、この場で起きたことを理解できたような気がした。


「オールディス公爵令嬢だ」

「えっ?で、でも……っ、セラフィーナ様は……」

「どれほど幼くとも、セフィは公爵家の令嬢で、僕の婚約者だ。礼儀はわきまえろ」


 セラフィーナは現在、アカデミーにはもちろん通っていない。

 アカデミーで学ぶ者同士という関係性さえ、今のセラフィーナとミラベルの間にはない。

 そのため、より一層、平民であるミラベルがセラフィーナの名を許可なく口にすることなど、ありえなかった。

 おそらく幼い子どもだから、というのを理由にするのだろうとアルバートが先手を打てば、ミラベルはそれ以上何も言えなくなり黙り込んだ。


「セフィ、疲れただろう?僕らの役目は終わったし、そろそろ部屋へ戻ろうか」


 ミラベルへと向けられた冷たい視線から一転、セラフィーナには柔らかな視線が向けられた。


(え?僕らって、まさか、わたくしはともかく殿下まで退出するつもり?)


 セラフィーナは間違いなくこのパーティーの主要人物の1人だ。

 しかしながら、まだ幼いことを理由に、早めにパーティーを去ってもまだ許されるかもしれない。

 だが、アルバートは話が違う。アルバートはこのパーティーの主役である。

 成人の祝いも婚約の発表も、このパーティーの目的の全てに関わる人物である。

 その上、どう見たって幼さを理由に立ち去れるようには見えない。


「ある、でちゃうの……?」

「うん。必要な挨拶は終わらせたし、父上の許可も取ったし」


 やはり、セラフィーナとともにパーティーから立ち去るつもりなのだと、セラフィーナは唖然とする。


「おどりゃ、にゃいの……?」

「うん。だって、セフィ、怪我してて踊れないでしょ?無理させたくないしね」


 セラフィーナは確かに踊れない。

 怪我ももちろんだが、圧倒的な練習不足も否めない。

 けれど、セラフィーナが踊れなくたって、アルバートは踊れる。

 たとえば似合いの年齢の令嬢とか、はたまた今目の前にいるミラベルとか。

 アルバートが声をかければ、断る令嬢なんていないはずだ。

 けれど、アルバートはまるでセラフィーナとしか踊れないとでもいうかのようである。


「さ、行こうか」


 そうして、アルバートはまたしてもセラフィーナを抱き上げた。

 アルバートは今もまだ俯いてそこに立っているミラベルも、セラフィーナの中に渦巻くさまざまな不安も、全く気にすることなくセラフィーナとともにパーティー会場をあとにした。






 アルバートはもちろん、国王夫妻も、セラフィーナが怪我したことも、そのためにダンスが踊れず終わってしまったことも、特に咎めるようなことはなかった。

 しかしながら、セラフィーナの両親は、怒りを顕わにしてセラフィーナの元を訪れた。

 こうなってしまうだろうと、どこか想像できてしまっていたセラフィーナは、そのこと自体にはさほど驚くことはなかった。

 問題は、今、セラフィーナの目の前に積み上げられた課題だった。

 怪我をしていても、勉強ならいくらでもできると、両親はセラフィーナに罰として大量の課題を置いていった。

 内容は、アルバートに追いつけと言わんばかりの、今まさに、アルバートがアカデミーで学んでいるような内容だった。

 量を見ても、内容も見ても、とても6歳の少女にこなせるようなものではない。

 けれど、セラフィーナにはかつての自身が学んだ記憶がある。

 だからどうにかこなせるだろうと、課題を出された時はそう思っていた。


(どうしよう、終わる気がしないわ……)


 朝早くからはじめたはずなのに、辺りが暗くなってきても、終わりは見えてこなかった。

 中身がいくら大人であっても、身体は子どもでしかないのだと、セラフィーナはまざまざと思い知らされるようだった。

 身体は疲れのためか、常に強い眠気を覚え、ペンを持つ手も力が入らず震えている。

 少しでも眠気を追い払おうと、濃いめの紅茶を入れてもらってみたものの、まるで効果はなかった。

 気を抜けばすぐにでも夢の中へ旅立ってしまいそうな中、セラフィーナはそれでも必死にペンを動かしていた。


「こんな遅い時間まで、何をしてるのっ!?」


 そうして現れたのは、アルバートだった。

 どこか既視感を覚えながら、セラフィーナはちらりとだけアルバートを見る。

 けれど、すぐに視線を課題へと戻した。

 今は、1分1秒が惜しく、アルバートに構ってなどいられない。

 アルバートが言った通り、本来ならもう眠っているだろうくらい遅い時間なのだ。

 一刻も早く眠るためにも、セラフィーナは早く課題を終わらせたかった。


「今日は泊まっていいから、もう寝よう?」


 セラフィーナが王宮に滞在する期間は、パーティーの日をもって終わっている。

 今日からはお妃教育のため、王宮に通って勉強するのだとアルバートは聞いていた。

 だから、勉強が終わればすぐ帰るのだろうと思っていたし、こんな遅くまでセラフィーナが王宮に滞在し、勉強を続けているなんて想定外だった。

 さすがに今から帰れというのはあまりにも酷な話だと思い、アルバートは王宮に泊まらせようと考えた。

 だが、声をかけても、やはりセラフィーナの視線は課題から離れる様子などない。


「セフィ」


 呼ばれたその声は、さっきよりずっと近くで聞こえた。

 アルバートが近くまで来たのだと、セラフィーナはそれだけで悟る。

 しかし、それでも手を止めることのないセラフィーナ。

 アルバートは小さく溜息をつくと、まずは震えるセラフィーナの手からペンを奪うことにした。


「今日はもう終わりだよ、セフィ」


 ペンを奪われて、セラフィーナはようやく顔をあげ、アルバートを見つめる。

 幼い顔に疲労の色が濃く見えて、アルバートは顔を歪めた。


「もう、眠る時間だよ。セフィだって、眠いでしょう?」

「みゃだ、おわって、にゃいの……っ」


 セラフィーナは必至に首を振った。

 今ここで終わりにして、眠ってしまえば、またしても両親の怒りを買ってしまう。

 セラフィーナは疲れて震える手を、ペンを返して欲しいと訴えるかのように、必死にアルバートへ伸ばした。


「終わってなくてもいいから、今日はもうダメだよ」


 伸ばされた手を退けながら、アルバートはセラフィーナの課題に手を伸ばした。

 積み上げられた課題の量は非常に多く、それだけ見ても幼い少女がとても1日で終わらせられるような気はしなかった。

 だが、その中身を見て、アルバートは驚愕する。


(こんなの、僕だって厳しいような内容じゃないか)


 まさに今、アルバートが学んでいるような内容。とてもではないが、6歳の少女にやらせるようなものではない。

 同じ量の課題をアルバートが与えられたとしても、1日で終えられたかどうかは非常に怪しいと思われた。

 それが、今、目の前の小さな少女に与えられていると悟ると、アルバートは怒りを覚える。


「こんなの、セフィがやらなくてもいいんだよ」


 これはとてもおかしなことなのだと、それを理解していないセラフィーナに言い聞かせるように、アルバートは告げる。

 それから、セラフィーナを抱き上げると、いつもはおとなしいセラフィーナが、今日だけは必死に身を捩って逃れようとした。


「だめ、だめなのぉ……」


 課題を終わらせるまで、眠れないのだと、セラフィーナは必至に訴える。

 すると、セラフィーナを抱くアルバートの腕に込められる力が、より強くなった。


「大丈夫、大丈夫だから」


 アルバートはあやすように、とんとんと、何度かセラフィーナの背中を叩いた。

 眠気もあってか、セラフィーナは徐々におとなしくなり、こくりこくりと船を漕ぐ。


「そのまま、眠っていいよ」


 ダメだと、そう思ったはずなのに。

 まだ、眠ってはいけないと、そう思っているはずなのに。

 やはり幼い身体の所為なのか、セラフィーナは眠気に抗えなかった。

 アルバートの優しい声に導かれるようにして、セラフィーナは夢の中へと旅立ってしまった。

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