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第3話 2025.4.28

さて日記を書かねばならない。自分の一週間を振り返り反省するというのはやや気の重いことではあるが、まあ始めれば楽しい部分もある。


先週は比較的緩やかな日々であったように思う。仕事もかなり楽だった。基本的には私も暦通り休めるのでいよいよGW突入という気分もそれをやや後押ししている。

火曜はスタジオに入って、金曜はライブを観に行って、日曜はフットサルをした。


今回のスタジオではギターではなくドラムを担当し、ほぼ練習もしていないので技術的向上もまるでないのだが、それでも中々楽しかった。コピー曲を演奏するのはただただ義務でしかないのに対し、スタジオで構築してゆくのは夢が広がる感覚がある。

やはり何かを作ってゆく以上の楽しみはないと思う。特に音楽は抽象的ゆえに直接的な表現ができるし、ただただ自分たちの作りたいように作れるのが良い。


金曜のライブはRAYというアイドルグループが主催で、その他バンドが2組出るというやや珍しい形式の対バンだった。どのグループも素晴らしかったし、音楽の素晴らしさを改めて感じた。そして私はという曖昧なものを強く信じているのだな……ということを改めて思った。

私の言う「良い曲」というのはイデアルなものだ。どこまでが曲自体でどこからが付随する別のものか、というのははっきりしない。

以前もどこかで書いたが音楽・映画・映像・文学……どんな表現にしろ、作り手その人の本質を知りたいという欲求が私は強いのだろう。受け手の需要、欲求から逆算して満たすような作品に対する嫌悪が強いのもそのためだし、作者・演者の人となりが露骨に出ざるを得ない音楽という表現に最も感動を覚えるのもそのためだろう。

普段は女性アイドルのライブばかり観ており、バンドのライブを観たのはかなり久しぶりだった。やはりバンドの生演奏の迫力は素晴らしい! ……と思ったのは実は最初の方だけで、結局最後に登場したRAYのステージに一番感動した(2バンドとも素晴らしく、特に『yeti let you notice』は楽曲も演奏もめちゃくちゃ好みでまた観たいと思ったにもかかわらずである)。

自分でもバンドをやっている身としてこれを言うのは矛盾があるように思うのだが、バンドがライブで演奏していることの価値があまり感じられなくなった、ということだろうか? いや、というよりもやはりアイドルのような、歌って踊って表情を見せて、という表現の方がより楽曲がダイレクトに伝わってくるということなのだと思う。


日曜は久々フットサルしたが全然走れへんかった。この歳になると本当にコンディションを調整するのが難しくなってきますね。特に私のような投げ槍な生活をしていると特にですね。


あとGROKというTwitterに搭載されたAIで小説のプロットを立てていたのですが、ここ最近のAIの発展は凄くて、プロットや設定作りの相棒にはとても優秀かもしれません。

クリエイティブな仕事の方からAIが担い、肉体労働こそ人間に最後まで担わされる……という趣旨の言説が少し前にありましたが、まあそうなるかもな、というのを強く感じました。

特にWeb小説やライトノベルのような純粋なエンタメ系の文学は、AIが全面的に書いたもので読者の要望を満たすようになるまで、ほんのあと数年くらいなのではないのか、という気がしました。


そんな感じでした。ではごきげんよう!




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