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第8話 2025.06.09

さて先週の日記である。

相も変わらず特に書くべきことも見当たらない平凡な日常を送っている。

……こうしてさも今までと変わらぬ書き出しでもって、先々週の日記をサボったことを誤魔化そうという魂胆である。

書くべきことが見当たらないと言ったのも嘘だ。2点ほど書きたいことがある。

というかそもそも書きたいことを想定して筆を進めるという行為自体が、日記というこの稿の名目とはすでに矛盾している。やはり私は私にとって興味のあることを書きたいのだろう。




一つ目は青木真也と細川バレンタインのYouTubeの動画である。リンクを貼ったりはしないのでどうしても興味がある人は探して観てほしい。

青木とバレンの動画は両者の会話がスイングしている感じがして毎回面白いのだが、「どうして2人は考える力を自分で身に付けられたのか?」というテーマの今回は特に面白かった。


細川バレンタインはナイジェリアと日本のハーフで元プロボクサーとして日本チャンピオンになった人だ。ナイジェリアと宮崎を行き来して育ち、どちらに行っても余所者として目立ってしまう自分は、子供の頃からすべてを考えて答えを出してゆくしかなかった……と語った。

一方の青木は、大人に言われたことに対して「何でそうしなきゃなんないの?」と何かに付けて反発するような子供だったそうだ。まあつまり特に由来の無い生来の捻くれ者、ということになるのだろう(動画内では青木自身がそう自認しているように読めた)。

特殊な環境で育ったゆえに他者に頼ることができず自ら考え答えを出してゆくしかなかったバレン、生来の気質故(ここにも多少なりとも環境的要因が含まれてはいるはずだ。その発現を許し得ない環境で育つ可能性も当然あったわけだ)に大人たちに疎まれ育ち、自らの道を進んでいった青木……似ている部分もあるし、異なる部分もある。


自ら考える力を身に付ける……動画内では「PDCAサイクルを回す」という言い方がされていた。

PDCAとはPlan(計画)、Do(実行)、Chek(評価)、Action(改善)の4つのステップを繰り返し、それぞれの業務や品質を継続的に改善してゆくフレームワーク……ということだ。

私は勿論、別にこうした横文字のビジネス的言葉遣いに感銘を受けて今回の動画について言及しているわけでは無い。両者の「自分は子供の頃からはみ出し者であった」という自認に私も共感を覚えるからに他ならない。つまり私も子供の頃からはみ出し者というか、どこに行っても疎外感を覚えて育った人間であるからだ。

当然、実績と名のある両者と何も成し遂げていないと私を並べて考えること自体が烏滸がましいとも思うが、まあここは私の場なのでご容赦願いたい。


私の場合そうなった要因は当然ながら宗教2世として育てられたことによる。

私の両者との決定的違いは内向的な子供だったことだ。自らの考えを基本的に誰にも表明できないまま育っていった。

私自身の気質がもっとエネルギーが満ちていれば人生も変わっていたのだろうか……という気もするが「いや別にそもそもそんな子供でもなかったよなぁ」とも思う。子供の頃から運動も好きだったし身体も大きい方だったし、やはり幼少期から発現の場を奪われていたことが私のその後の性質というか外界との付き合い方の傾向を決定付けたのではないか? 青木が教師や柔道の指導者に疎まれても親は味方であったのに対し、私は一番身近な親が一番本音を隠さなければならない相手だったのであるから、まあやはりより内向的にならざるを得なかったように思える。


ここ数年は同じ環境で育った宗教2世の方々とも接する機会が増えて、とても心休まる機会を与えてもらっている。数回しか会っていなくても重要な前提を共有している人間とは打ち解けるのも早い。

だが同時にその中でも自分の特殊さが浮き彫りになるような感覚を覚えることも多い。思ったより2世の人たちも普通だな、世間一般的な価値観とほとんど変わらずに生きているのだな、という感じだ。

同じ宗教2世ならばある程度私と似たような考え方をしている人が多いのではないか……という期待はほぼ外れたと言って良いだろう。(だから良いというのもある。私と似たような考えを持って毎回そんな話をするような集まりは面倒この上ないようにも思える。)


話を本筋に戻す。

動画後半では青木・バレン両者ともに、はぐれ者、はみ出し者のためにこうしたYouTubeなどのコンテンツを作っているという趣旨のことを言っていた。

そして私は今回の動画を経て青木の生き様や今までの言葉もより深く理解できたように思う。格闘家とは本来はみ出し者・ロクデナシの生き方である……というのが青木の考えの骨子なのだと思う。

成功者を「立派な人間」「努力家」「人格者」として見たがる世間の傾向は本当に強い。大谷翔平がそう見られるのはある意味で仕方ないことだ。だが青木真也は決してそうではないし、そうでなくロクデナシの成し遂げてきたこと、ロクデナシの生き様だから他とは比べ物にならない価値があるし、似たようなロクデナシに強い希望を与えるのだ。……ということなのだと思う。

世間的にヒットしているポップスやロックでは決して満たされないが、特定のオルタナロックには強く反応する……そんなことなのかもしれない。


動画はその後「子供に自分で考える力を身に付けさせるにはどうすれば良いのだろうか?」という教育方面に話題が進んでいったが、私はそちらにはあまり興味が持てなかった。というかそもそも大人は子供に「自分で考える力」を本当に身に付けて欲しいなどと思っているのだろうか? 私にはそうは見えないし、それが望ましいこととも言えないような気がするが。




さてこの稿は私の日記であるので私自身のことに話題を戻す。

もう一つ最近のトピックは、ここ数年ほぼ連絡を取っていなかった長兄からメールが届いたことだ。高齢の母親の認知症が進行し始めている……という姉から兄へのメールの文面も添付してあった。


家族とどう接するか、という先送りしてきた問題に向き合わねばならない時が来たのかもしれん、というのが今の心境だ。

無論世間一般の倫理的観点からすれば「親孝行したい時に親は無し! 今すぐ母親に会いに行き、姉や兄たちと協力して親孝行しろ!」というのが妥当な言説だろう。だが言うまでもなくそんな言説が私に響く訳もない。

しかしまあ改めて思い返してみると別に家族のことが憎いわけでもない。誰か一人でも違った生き方をしていれば私の人生も違ったのではないか……という気持ちはあるが、そんなことを今さら言っても何の意味もないことは百も承知している。

人間的には皆中々面白い人たちだなという気もするし、1人1人のことは全然嫌いではない。

しかしまあ別に今さら何かしてもらおうという気もないし、彼らのために何かしたいという気もない。でもまあ当然会えば感情は揺れ動くことが目に見えているだけに面倒臭いなぁ、というのが主たる感情だ。……というかほぼ面倒臭いが占めている。




最近はそんな感じでした。

読んで下さった方々ありがとうございます。また今週も頑張っていきましょう!




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