さて、珍しくお早い日記の更新である。
Twitterを見ているとどうしても書きたいこと、書かざるを得ないことが出てきてしまったわけだ。
Twitterばかり見ているのは本当に良くないとは思うのだが、まあ如何にも世間の
さて昨日・今日あたりで特に私のタイムラインに流れてきた話題は「レンタル予定のウエディングドレスが元AV女優の三上悠亜に着られていて萎えた」という投稿だ。
まあ当然Twitterの特性上、投稿者の意図を超えて(投稿者が本当にドレスをレンタルしたスタジオに補償を求めるだけなら、SNSに投稿するのではなく当事者間でやり取りすれば済んだに決まっているのだが)様々な角度から好き勝手に議論は展開されてゆく。
「投稿者の気持ちは当然!」
「AV女優が広告として出てくる現状が異常!」
という反応が女性側の意見としては非常に多かったように見える。
非常に鮮明に職業差別がされているな、現代日本女性の差別意識がはっきりと可視化されたな、というのが一連の問題をぼんやりと眺めていた私の感想だ。
誰かを「AV女優」という属性で判断し、それに対する忌避を公共の場(不特定多数が見る以上Twitterも公共の場なのだと思う。私もその点には自覚が乏しいので注意せねばならんが)で発信するのはド直球の差別以外の何物でもない。
差別意識は少なからず誰しもが抱いているものだ。その意識を抱くこと自体は差別ではない。それを公共の場で発信することが差別である。……この程度のことが伝わらない人が多くて本当に怖くなる。
現代日本の過剰な倫理もこうした兆候を後押ししている一因のように思える。
自身の内に生じた感情を差別的感情とは認められず、誰もが抱く自然で正当な感情だと疑わないものだから、それを発信することに歯止めがかからないのだと思う。
同調を集めること・数の正当性は自身の抱いた感情が差別感情でないことを担保しない。それとこれとは何の関連もないことだ……という当然のことに気付かない、自身の行いを省みることのできない人々がこんなにもいるということが本当に怖い。
しかし差別問題は置いておいても、まあ女性側のAV女優という存在への忌避感は非常に強いものなのだな……という点にも改めて驚かされた。
件の三上悠亜や明日花キララなど女性人気も高いインフルエンサーの元AV女優もいるのだから、女性側からもそうした存在が受け入れられるようになっているのかと思っていたが、どうも一部を除き全然そうではないようだ。
「『純白の花嫁』と『AV女優』は真逆の存在でしょ!」という趣旨のコメントがあったのだがまあ商業的にはそうだろう。言うまでもなく『純白の花嫁』こそが商業的に要請された神話だ。ウエディング業界という虚業の中でも最たるもの(売っているものの虚構度が最高位ではないか?)の商業理論がある程度成立している以上、商業的影響を考えればその会社の戦略には不備があったというのは頷ける話ではある。
まあ当然そんな商業戦略上の失敗が露骨な職業差別を正当化する理由にはならないし、私には『純白の花嫁』も『AV女優』と同程度の虚構にしか思えないのだが。
AV女優というのは現代日本に於いて立派に成立している職業である。事務所もメーカーも存在し、当人はそれらの会社と契約を結んだ上で仕事をして納税もしているのである。納税をしないパパ活女子や野良売春婦とは違いきちんと職業として成立している合法的な存在だ。
もちろん「AV女優という職業が成立しているのは倫理上好ましくない」という論点は有意義なものだ。それはそれとして議論すべきだし、その上でAV女優という存在が日本に於いて違法だとされたのならば、粛々と法に則ってそうした存在に対処してゆくだけだ。
とにかく一般女性のAV女優という存在に対する憎しみの強さを感じさせられた。恐らくその憎しみは本能的なものなのだろう。
女性側の視点でどこまでが憎しみの対象なのかが男性側からはほとんど理解できない、というのが一つ興味深い問題としてある。
AV女優・性風俗従事者・キャバ嬢・モデル・女優・アイドル……恐らく多くの男性側の視点からすると、性的な魅力を職業にしている女性の存在はかなりスペクトラム的だ。
さて、男女のものの見方の違いについて触れることはあまり得をしないことだとは分かっていた。私は男性であり男性側の視点にしか立てない以上、女性側の視点に対して批判的にならざるを得ないからだ。
作家きんちゃんの人気を考えるのならばこうした問題について触れるのは損でしかないのだが、それでも正直であることを優先するのがこの日記のテーマであるので、書かざるを得なかった。
まあそんなわけで男性・女性に関わらず忌憚のないご意見をぜひともお聞かせください。
ではでは~、ごきげんよう~!