内に宿すは灼熱を思わせる赫赫の殺意。意思に憎悪と憤怒を乗せ、意識は冷徹なる紺碧に染める。
激情にくすんだ視界では殺害対象しか映らない。己だけの意思と誓いを載せた剣では強大な敵を殺戮し得ない。己だけの欲望と渇望だけでは……必ず限界がやって来る。目に見えない温もりを得る為に、人は他者を求めるのだろう。
戦闘甲冑が歪に嘶き、装甲から鋼の棘を引き延ばす。棘は三メートル前方に転がるアインの右腕に突き刺さり、その腕が持つ剣ごと千切れた腕を棘の針を以て再び繋ぐ。
後退、撤退、死線、犠牲……。醜悪を極める負の二文字を殺意の刃を以て斬り裂き、勝利の二文字へ書き換える。鎮火しかけていたアインの激情が再び燃え上がり、甲冑が更なる魔力を生み出し黒き炎を装甲から噴出させた。
「……生き残った戦奴達よ、ラグリゥスを連れて退却しろ。魔導の塔は俺が殺す」
生き残った数少ない戦奴達は複数人で黒騎士を抱え、よろめきながらアインの指示に従う。鋼の巨人は傷つき、血を流しながら砂漠を往く戦奴を逃がすまいと、光の剣へ魔力の充填を始めた。
殺させない。死なせない。これ以上、部隊の戦奴の犠牲を重ねない。アインは真紅の瞳に殺意を滾らせ、罅割れた大剣を構える。
半壊した大剣へ黒炎を、砕けた甲冑の装甲へ激情を。黒炎がアインを包み、剣に纏わり付く。黒炎……戦闘甲冑ノスラトゥが噴き出した炎は、大気に存在する魔力を焼き喰らい、鋼の巨人と光の剣が発する魔力をも己が力とするべく貪欲に喰らい付く。
殺意という意思は黒々とした刃であると同時に、真っ黒い刀身を持つ剣。半壊し、罅割れた剣が纏う黒炎に己の殺意を流し込んだアインは、共に幾度の戦場を越えて来た剣に己の意思と魔力を流し込む。
「……」
この世界は死と欲望、憎しみと怒りで満ち満ちている。
「……」
世界を正す意思は無い。世界に対して憤怒も憎悪も抱いていない。
「……剣を握れ、剣を取れ、剣を振るえ」
己は己、他人は他人。自己認識を深め、自らの欲望と渇望を知れば知るほど、己は他人と相容れない存在だと気付かざるを得ない。戦う行為を是とし、温もりを求める方法を知らぬ両手は常に血に染まっていた。
「我が意思は殺意のみ。死を齎す存在は、戦いだけを求めてはならぬ」
変化と不変。変わるものと変わらなぬもの。戦うだけでは人は知れない、剣を振るうだけでは死を撒き散らすのみ。死という概念を知り、戦闘と闘争に身を置く者は人を知らねばならない。殺戮者や狂戦士といえど、元を辿れば一人の生命であるが故に。
「変わらねばなるまい、我が剣も、我が瞳も。変わってはなるまい、我が意思と
生命としての在り方は。……どれだけ迷い、どれだけ矛盾と破綻を繰り返そうと、俺は一つの生命として、原初の願いと祈りを求め続けるだけ。俺は……温もりを知りたいだけなんだ」
大剣を覆っていた黒炎が弾け、新たな刃を形成する。
「俺の部隊は簡単に死していい存在ではない。戦奴であろうと、奴隷と蔑まれようと、俺の兵を殺す者を許さない。一人一人が生きたいと願った。誰もが人として生きたいと祈った。彼等がどんな希望を抱き、どんな未来を願ったのか、俺は知る必要がある。故に―――生かす。その為に、俺は
戦闘甲冑の形態がより凶悪に変化し、角ばった形状に、異形の姿を以て黒炎の中からアインと共に歩き出す。
「覚悟しろよ魔導の塔……俺の剣は、敵として見据えた存在を殺し尽くすぞ?」
そう言い放ったアインは、己の意思と魔力を以て練り上げた剣―――魔剣を鋼の巨人へ向けると砂を蹴り、魔導鋼の装甲へ斬り掛かった。
……
………
…………
……………
……………
…………
………
……
「……如何にして英雄と呼ばれる存在は生まれるのか。力を持つ者は世界を変える責任を持ち、破壊する権利を持つ。アイン殿、私は貴公の存在をずっと昔から知っていた。私の力が貴公と
草の上に転移用魔法陣を描き、人差し指から血を一滴垂らしたカラロンドゥは全てを知っている。
「力は驚異的な精神力と
魔法陣から緋色の光が発せられ、傷ついた戦奴と黒甲冑を纏うラグリゥスが駆け出し勢いよく彼女の足元に倒れ込む。
「貴公は不変と変化の狭間に在る杞憂な者。そして、彼女は知っている故に手を伸ばし、領域へ至る為の番いを必要としている。求めし者と、求められし者。二つの存在が出会い、愛を知った末に世界は選択を迫られる。そう、変化と不変、その二つだ」
希望と絶望。不変と変化。両極端な色は常にどちらかに偏り、世界は均衡を失った。
「善と悪、その二つ色で分けられていれば争いは絶えずに死は蔓延する。複数の色で鮮やかに彩られた世界は、生命に満ち生存競争が加速する。生命は常に争い続け、生き残るために戦う。故に、必要なのだ。生命を律し、縛る為の制約が。鎖が繋がれぬ生命は、獣と同義。己の意思と制約、願いと祈りを以て世界を塗り替える力……破界儀は鍵である」
故に……と。世界を殺すも生かすも貴公と彼女次第であろう。そう呟いたカラロンドゥは息も絶え絶えなラグリゥスへ近づき、彼が纏う黒甲冑を外した。
「生きているかね? まぁ、ノスラトゥの複製品で身を固めている以上、死にはしない。ラグリゥス殿が英雄と称える剣士は部隊の戦奴と貴公のおかげで鍵の顕現に成功しそうだ。感謝しよう」
ラグリゥスの身体へ治癒魔法を掛けたカラロンドゥは、歪な笑みを浮かべ鋼の巨人へ斬り込んだアインを眺める。
「存在しないピースは無理矢理作り出せばいい。欠けたピースがあるならば、偽りの欠片を以て埋めればいい。ラグリゥス殿、聞こえてはいないだろうが、一つ重要な助言を与えよう。英雄の姿を忘れるなかれ、己が礎となることを恐れるなかれ、だ。眠るがいい、若き騎士よ。私は、暫く眺めていよう。彼の英雄の勇姿を」