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第20話 対決

「え、マジでそれにするの?」

「おまけで同行してるだけなんだから横から口出さないでくれるかな」

「はあ!?」

 放課後になって立ち寄った店で、雫と天使が言い合いをしている。喧しい二人を止める気も起きず、明日香は何点かの品を選んだ。隣の直斗がその動きを追う。天使からの依頼を知って、同行を希望したのだ。慧と澪央には伝えていない。依頼人から秘密にしてほしいと頼まれたのだ。

「あれ、それ……」

「一応ね」

 怪訝そうにする直斗に短く答え、レジへ向かう。近い将来に使う気がする。それに、使わなくても活用する方法はあった。


 明日香の住むマンションから十分程歩いた場所に、美容室『infinity color』はあった。一面ガラス張りになっていて、中の様子がよく分かる。四席のうちの二席が埋まっている。カラー剤の独特な臭いが少々外に漏れているが、それは仕方が無い。ここが裏通りで、オフィスが入った雑居ビルが多いのが幸いだ。

(……あ)

 ガラス越しにお隣の店長と目が合い、軽く手を振ると、笑顔で手を振り返してきた。今日のことについては、彼女に許可を取ってある。

 従業員用の裏口から中に入り、練習用スペースのドアを開ける。鏡台と椅子、各種道具にシャンプー用の洗面台が揃っている。

「洗面台の椅子に座って」

「うん。あ、はいこれ」

 天使に言うと、にこにこと機嫌良さそうな彼はドラッグストアの袋を寄越すと、椅子に座った。雫と直斗はその辺の残っている椅子に腰を下ろす。明日香は制服のブレザーを脱いでハンガーに掛け、防水エプロンを着用した。渡された袋を見ると、中には男性用ブリーチ剤が二箱入っている。小さな溜息と共に、作業を始める。

「じゃあ、まずは髪を洗うよ」

 椅子を倒し、天使の顔にタオルを掛ける。お湯を出して、温度を確かめる。

「伊瀬さんは、やめとけって言わないんだね」

「聞きそうにないし。私は天塚君にそこまで親身になってないし」

 天使に対すると、ついそっけなくなってしまう。

「ここまで協力しておいて?」

「私にしか出来ないとまで言われたら仕方ないし、本物で練習できる良い機会だし」

 髪にシャワーをかけて濡らしていく。少し触るだけで、髪質の良さに驚いた。聖夜と真莉愛の整った顔面を思い出す。彼は確かに、容姿の面では質も含めて特別な遺伝子を受け継いでいる。勉強の面ではいまいちだったみたいだが――

「普段はどこで切ってるの? そこに頼めばいいじゃん」

 そう思うと同時に、そのお店のケア方法が気になった。

「行きつけの美容院はあるよ。でも、そこはうちのグループ会社の一つだから、髪を染めたら家にバレるんだよ」

 タオルをかけている為、天使の声が籠ってもごもごしている。

「帰ればバレるでしょ」

「ああ、そっか」

 シャンプーを受けながら、彼は朗らかに笑う。バレたくないと言う割に、動揺はしていない。

「痒い所はありませんかって聞かないの?」

「聞かんわ」

 練習だと思ってはいても、タダの施術でそんなサービスをする気は無い。タオルドライをして起き上がらせ、鏡の前に椅子を移動した。雫の陰に隠れるように座る直斗が、怯えながら声を掛ける。

「……あのさ、ほ、本当に金髪にしちゃうの? 大丈夫? 凄く怒られるんじゃ……」

「どうかな。価値が無い人間が何をしても気にしないんじゃないかな」

 天使は朗らかに、皮肉めいた言い方をした。エアコンで暖まった室内の空気が、硬く冷たいものになる。皆の表情の変化に気付いていないのか無頓着なのか、彼は同じ調子で話し続ける。

「それに、すぐにはバレないよ。家では親と顔を合わせないようにしているから。元からすれ違い生活だったし、ちょっと意識すれば簡単に避けられるよ」

 そして、背後に立つ明日香を見上げる。

「じゃあ、よろしくね」

「……はいはい」

 仕方ないなあと思いつつ手を動かす。ブリーチをすれば確実に髪が痛むし、勿体ないなあという気持ちもある。その一方で、天使が髪色を変えたいという心情は理解出来なくもない。親への反抗への第一歩としてはありがちでもある。

 派手過ぎて慌てた時用に、落ち着いた茶髪に染められるカラー剤も買ってある。先程直斗が「あれ、それ……」と不思議そうにしたのは、明日香が男性用のカラー剤を使うわけがないからだ。ここまで来たら、開き直って思い切り綺麗に仕上げよう。

「楽しみだな! 天使って言ったらやっぱり金髪だよね」

「そっち?」

 単なるキャライメージ? と、つい声が出る。天使はわくわくしていて、強がりとか装いの類には見えなかった。

「今は堕天使なんじゃないの?」

 冷ややかに雫が話に割り込むと、初めて気付いたというようなほうけた顔をして、明るく笑った。

「そっか。堕天使なら黒髪だよね。まあ、細かいことはいいんじゃないかな」

「…………」

 不満そうにしつつ、雫は黙り込んだ。据わった目をした彼女と、忙しなく隣とこちらに視線を行き来させる直斗に見られながら作業を進める。雫が再び、口を開いた。

「……あんた、これからどうするの?」

「どうって? もう無理に偏差値70近くを目指さなくて良くなったし、僕は毎日楽しく過ごすだけだよ」

「あんな家で楽しく過ごせるわけない」

 硬い声で、真っ直ぐに天使を見据える。その雫に目を向けず、ケープを纏っててるてる坊主のような格好になっている少年は、鏡に映る自分を前にしたまま「あはは」と乾いた笑い声を上げた。

「望月さんって、結構失礼だね」

 微塵も表情を変えない雫の視線が、彼の背後に立つ明日香にも刺さる。感情を隠さずに出すタイプの彼女が真剣になるとこうなるのだと、初めて知った。

「今のあそこにあんたの居場所は無い。部屋に閉じこもることが出来たとしても、牢に居るようなもんじゃない」

「そんなことないよ。僕の部屋は快適だし、安全だから」

「……あの両親が近い以上、寧ろ牢の方が安全でしょ……」

 そして、内に燻らせていたものを一気に解放するように、天使を睨む。

「私は、あんたが直斗さんを追い詰めて苦しめたこと、許してない」

「雫さん、それはもう……」

「直斗さんは黙ってて!」

 一際大きな、喉を傷めそうな声で雫は叫んだ。緊張感の無い様子で天使がこてんと首を傾げる。

「本人が良いって言ってるんだから望月さんは関係なくないかな?」

「本人が良いって言ってても望月さんは嫌なの。直斗さんは関係無い。それでも……」

 雫は顔を歪めた。『負』を受けた慧のような顔だった。

「でも、天使のこと、このままでいいとも思ってない」

 遂に名前を呼び捨てにして、友人は話を続けた。これまで『あんた』と呼んでいたからその代わりだろうか。

「吹っ切れてるなら良いの。でも、違うでしょ? 今日のこと、神谷君には秘密でって言ったのはどうして? 神谷君の“体質”を考えたからじゃないの?」

 天使の頬がぴくりと動いた。だが変化はそれだけで、表面上は静かな笑みを続けている。

「吹っ切れてたら、神谷君も呼べたでしょ。あんたは何をするつもりなの? 悪戯に金髪にして親の気を引いて、構って欲しいの? お前らのせいで僕はグレたから謝れとでも言いたいの? 本当はバレていいと思ってるんでしょ?」

「違う!」

 突然、天使が声を荒らげた。凍り付いた空気の中で、雫にも自分自身にも見られたくないというように鏡から目を逸らす。

「……違うなら、そんなに動揺しないでしょ」

「僕はそんなんじゃ……ただ、やりたかったことをしようとしただけで……望月さん、酷いよ……」

 両親に必要無いと言われた時さえ取り乱さなかった天使が、声を震わせる。

「私はあんたが触れられたくないところを指摘しただけ。あんたと同じことをやっただけよ」

 雫は立ち上がると、しっかりとした強い瞳で彼を見下ろし、練習用スペースから出て行った。

「あっ、雫さん……!」

 慌てて直斗が後を追う。二人きりになった室内で、天使の黒髪の色が徐々に変わっていく。

「僕と同じこと……どういうことだろう……」

「……前の天塚君なら分からなかったかもね。でも……」

 明日香は手袋を外して手を洗い、空いた椅子に座った。

「今の天塚君なら分かるんじゃない?」


     ****


「……雫さん!」

 直斗が声を掛けると、裏通りのアスファルトの上を歩いていた雫が振り返った。

「……天使をけちょんけちょんにしちゃったかも」

 怒り顔ではなく困り顔をしていて、少し落ち込んでいるように見えた。

「雫さん、ありがとう。でも僕は本当に……」

 気にしてないんだよと言おうとしたところで、彼女は首を振った。

「意図してやったんじゃない。私、気持ちが高ぶると人を傷つけちゃうみたい。直斗さんにも、前やったよね」

 噂になってるよ、という嘗ての雫の声を思い出す。でも――

(あれが無かったら、僕はきっと……)

 周囲からの自分への目に気付かず、愚かな行為を繰り返していたかもしれない。

「気をつけなきゃね」

 寂しそうに笑う雫の手をそっと握る。慰める方法が、これくらいしか思いつかない。

「確かに言い方はきつかったけど、天塚君には必要な言葉だったと思うよ」

「……そうかな」

「うん、そうだよ」

 直斗が頷くと、彼女は強く、手を握り返してきた。

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