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第21話 真相心理

 天使が帰宅すると、聖夜と真莉愛の姿は無かった。馨も二人と一緒にまだ仕事中なのだろう。家の中は静まり返っている。二階に上がって自室に入ると、改めてスタンドミラーの前に立ってみる。悪くなかった。

 黒髪も気に入っていたし、母に似た美しい容姿にも自信があり、不満に思ったことはなかった。だが、その上で――

 髪を染めるという行為にも、興味があった。学校内に派手過ぎる髪色の生徒はいなかったが、外では普通に見かけるし、行きつけの美容室で時間潰しに開く雑誌やヘアカタログでは、明るいというより薄い色味に染めたモデルが多い。こういうのもいいなと無邪気に思うと同時に、似合うという自信もあった。

 ただ、天塚家の中ではしてはいけないこととして『決まっていた』から実行しようという発想が無かっただけだ。

「…………」

 笑っていない自分が、ミラーの前に立っている。

 金髪の天使は、想像通りに美しかった。人を怖がらせるタイプではなく、癒すタイプの天使がそこにいた。

 十分に満足する出来だった。明日香も『ここまで金髪が自然に見える人は珍しいよ』と感心し、帰宅途中も普段より視線を集めていた。

 けれど、喜びは湧いて来ない。これから何でも出来るという解放感も、何も無い。胸の内で燃えているのは “怒り”だけだ。

 天使の心には『言葉』が無い。特に、偽の商談の前までは『思考』するという行為をほぼ放棄していて、誰かと話す時は蓄えた知識から適切そうな言葉を自動で選んで答えていただけだった。成績に関することだけはやむを得ず『思考』していたが、実際にそれ以外の部分ではパターン返答だけで問題無かった。

 自分で考える必要が無かったから。

 自分で考えても『意味が無いから』。

 しかし、今は考えられる。感情は勝手に動き、『思考』する。『思考』せざるを得ないから。

 無自覚ながら、キオク図書館の『本』を読む前から、家族としての愛を持たれていないような予感はしていた。だから、両親の全てが書かれた『本』に惹かれたのだ。それは、大好きな二人の人生を知りたいという好奇心たてまえに覆い隠されてしまった。

 抱いていた予感を無視していた自分自身に、怒りがある。

 勿論、成績の悪い息子は不要だと断じた父にも、それを否定しなかった母にも憤っていた。

 数時間前に聞いた台詞が、頭に響く。

『お前らのせいでグレたから謝れとでも言いたいの?』

 そこまで具体的に考えてはいなかったが、反抗心を――自分は被害を受けたのだと強調したかったのは確かだ。

『本当はバレていいと思ってるんでしょ?』

 その通りだ。バレることが前提にある。

『親の気を引いて、構って欲しいの?』

 叫びたくなる。羞恥に因って鏡の中の真顔の天使の顔が歪み、見ていられなくなってベッドの上で頭を抱える。

「あああああ!!」

 枕に顔を押し付けて、叫ぶ。そんな本音を言葉として自覚したくなかった。恥ずかしい。癇癪を起こした子供みたいな動機じゃないか。

『あんたと同じことをやっただけよ』

 頭の中の雫が喋る。目から光を消した直斗が鋏を首に当てる光景が蘇る。彼の姿が、今の天使の姿と重なる。

 自分に対する羞恥と、それが他者に見抜かれているという羞恥が天使を慟哭させる。

 ――僕は、僕が知っている事実と印象を話しただけだよ。

 ベッドの側に立ったイメージ上の天使が、きょとんとした顔で言う。

 ――だって、人の様子が変わるのって、『間違ったことを言われた時』だけだよね?

 理解出来ないことを質問しているだけというような、純真無垢な顔。

 そんなわけあるか。と否定をぶつける。

『あんたが触れられたくないところを指摘しただけ』

 雫の声が反響する。

「ああ……ああ……」

 そういうことか、と気が付いた。

 他人事として他人の考えを読むのは得意だった。思考することが無かった分、退屈で、暇を潰すように他人を観察した。顔つきや声から本音が透けて見えた。だが、それも一種の知識になるだけで、教科書に書かれている文章と変わらない温度感の無いものだった。

 僕は他人の考えなんて、人の気持ちなんて、何も分かっちゃいなかったんだ。


「……………………」

 理解出来ると、不思議と心が落ち着いた。否、激しい波が無くなっただけで、魂が抜けたようになっていた。

 ふと、慧の顔が浮かんでくる。これからどうしたいのか知りたい、と言った。

(とりあえず、髪を染めたって報告しようかな……)

 慧を特別だと感じるのは、キオク図書館で両親の話をしたからだ。両親が好きなのは万人共通だと思っていた天使は、彼も当然そうだと思って『神谷君も好きでしょ?』と訊いた。だが、慧はどうだろうと曖昧に答え、幼い頃に両親が亡くなったことや、会えない二人への想いがどう変化していったのかを話してくれた。父も母も居ないという状況が天使には想像も出来なくて、痛ましくて仕方なかった。彼はそれを受け止めて生きている。

 凄いことだと思った。

 慧の話からは、両親への愛情が感じられた。

 それなのに、会えないなんて――

 天使にとって慧は、途轍もなく強い存在だった。あの時に感じた印象に変わりはない。

 電話越しなら、慧が天使の『負』の影響を受けることもない。鞄からスマートフォンを出して、通話マークをフリックする。連絡先は『偽の面談』の打ち合わせをする際に交換していた。

『天塚か。どうした?』

「あ、うん。実は……」

 何故か、慧の声を聞くと安心した。どれだけ多くの生徒に囲まれても得られないものだ。

「髪を染めたんだ。金色に」

『髪を? そうなのか』

「見たらちょっと、びっくりするかも」

 電話の向こうの声が途絶える。少しの間の後、穏やかに慧は言った。眉を顰めるような感じではない。

『思い切ったな。次に会う時が楽しみだ』

「止めておいた方がいいとか、色を戻した方がいいとか、そういうことは言わないの?」

 似合うと評していた明日香でさえ、そのまま外に出るの? とか、戻したくなったら用意はあるから、とか話していたのに。

『いや……どういう形であれ、初めて自分の意志で行動したんだろ? 良いんじゃないか』

「そっか。ありがとう」

 感謝の言葉は、自然と口から出た。だが、先程自覚したことを話そうとして、落ち着いていた気持ちに影が落ちる。

「その理由が、子供みたいな自己主張だったとしても……?」

 今日の美容院での出来事と、帰宅後に至った本音について伝えていく。話が途切れる時々に、慧は相槌を打ってくれる。

「恥ずかしくなったんだ。僕自身に対しても、望月さんにバレてたことも。それに、僕は黒崎君に……」

『親に対して何を求めるとかって、俺は良く解らないけど……』

 そこで、慧は初めて口を挟んだ。真面目で、慎重さを感じる声音で言う。

『天塚は、それだけ両親が好きだってことだろ』

「それは……」

 そうなんだろうか。今となっては分からない。

『高校までの人生を返せとか、恨みを持ってるんじゃないんだろ? 腹が立つだけで』

「うん……」

 こんな激しい感情は初めてだったが、何となく、恨みや憎しみとは違うようにも思う。

『両親が好きなのは、悪いことじゃないだろ』

「…………」

 肯定も否定も出来ずに黙っていると、慧は話題を変えた。

『直斗に悪いと思ったなら、謝ればいい。直斗が気にしてないと言ってても、謝った方がいい。……許すか許さないかはあいつ次第だけど、許してくれるんじゃないか』

 数拍空いた間に何を考えたのか、慧の声は少し硬くなっていた。

「……うん……」

 通話を切り、スマートフォンを枕の脇に置く。気分はかなり落ち着いていた。今なら、色々と冷静に考えられるかもしれない。

 ふと空腹を感じ、天使は一階に下りることにした。


     ****


 屋敷の中でも広く取られた、リビング兼キッチンへのドアに手を掛ける。そこで、玄関の戸が開かれた。鹿爪らしい顔をした聖夜と、真顔の真莉愛が入ってくる。後方に居たスーツ姿の馨が天使を見て「あっ」と声を上げた。

「天使く……様、髪が……」

 靴を脱いで廊下に上がった父が歩いてくる。

「お父さ……」

 父は表情を変えず、つい呼び止めようとした天使の目前まで来て、息子の姿が見えていないかのようにそのまま進み、ドアの前の天使を体で押す形でどかした。バランスを崩して尻餅をついた彼に目もくれず、リビングに入っていく。後に続く母も全く驚く様子無く、天使の――開いたままの出入口の前で立ち止まり、玄関を振り返って馨に言う。

「早く夕飯の準備をお願いね」

「は、はい」

 完全に無表情を崩したのは馨だけだった。戸惑った様子で返事をして慌てて廊下に上がってくる。尻餅をついたままの天使に手を差し伸べようとしたところで、再び真莉愛の声がした。

「森さん」

「はい」

 馨はリビング内に返事をして、後ろ髪を引かれるような顔をして、急いで中に入った。

 天使の目の前で、ドアが閉まった。


 ――数時間後、警察から会社宛ての連絡が馨の電話に転送されてきた。

『天塚天使君を万引きの容疑で補導しました。ご家族の方に来ていただきたいのですが……』

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