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第24話 彼女の思惑と彼女の一喝

 天使は明らかに憔悴した、救いを求めるような――或いは、救いを得たような笑みを浮かべていた。それが一瞬で強張り、焦りと不安に覆われる。

「神谷君、痛みは無い? 大丈夫?」

「ん? ……ああ、今は痛くないな。でも……」

 そんな心配をするということは、現時点で強い『負』を自覚しているのだろう。しかし、この状況で慧の負担について真っ先に考える天使には人を気遣う心があり、両親から酷い扱いを受けても、電話で話した時の彼は消えていないのだと思うと安堵した。

「うん。僕の近くは危ないよ。いつ酷い目に遭うか……」

 寂しそうに笑い、天使は俯く。取調室には他に、記録係だろうスーツの警官と聴取役のノーネクタイの警官、コンビニの制服の上からジャンパーコートを着た、眉が太く体格の良い壮年の男性の三人が居た。彼等は、何を言っているのかという顔をしている。

「君は怪我でもしているのか?」

 聴取役の警官が訊いてくる。慧が返答する前に、彼は天使に目を戻した。

「大地主の御曹司は誰かから狙われていて、友人の彼は巻き込まれて怪我をしたことがある。今日、天塚君は襲われ、身ぐるみを剥がされたが逃亡。警察に保護される為にわざと万引きをした。そう考えれば辻褄は合う。その金髪は変装であり……」

 極めて真面目な表情の聴取役だったが、記録係はノートパソコンに打ち込みをしていた手を止め、呆れた顔で彼を見ている。コンビニ店員は困ったように頭を掻き、慧も困惑してしまった。自分の場合はそれが違うと知っているからだが、事情に明るくない彼等も反応に困る仮説に思えるようだ。どこかの映画でありそうな話だからかもしれない。

 正面を向いた天使の様子は分からなかったが、「えーと……」と遠慮がちな声がした。

「あの、いっそのことそっちだったら良かったくらいだけど……」

「良くはないんじゃない……?」

 小さな声で紗希が突っ込み、慧は同意する。

「まあ、謎の集団に襲われるのも多分、かなり大変だよな……」

「……謎の集団とまでは言ってなかった……」

 澪央がぽそり、と突っ込み、慧は黙り込む。記録係が、その場に流れた変な空気を取りなした。

「あ、この人は想像力が豊かで、そこが良いところなんだけど」

 聴取役は未だに真面目な表情を崩していない。寧ろ視線の鋭さが増している。冗談ではなく、全て本気で話しているのだろう。

「違うのか」

「……はい……ただ……」

「すみません、ご両親が到着しました。通してください」

 天使が続きを口にしかけた時、背後から若い男性の声が聞こえた。警察署の一階の窓口にいた職員の後ろに、天塚夫妻と馨が立っている。馨は、天使が通学で着ているコートを腕に掛けていた。

 取調室の奥に移動する慧達に、聖夜がその辺の通行人を見るのと変わらない温度の無い目を向けてくる。真莉愛はあら、と意外そうにしてから綺麗に化粧をした美貌で細い眉を八の字にした。

「お友達が来ているなら私達が来なくても良かったかもしれないわね。高校生にもなって親が迎えに来るなんて天使も恥ずかしいでしょうし」

 恐縮し、申し訳なさそうでもある。取調係が立ち上がり、好意的な笑顔になった。

「お母様ですよね。お友達が身柄を引き取ることは出来ませんから、迎えに来ていただいて良かったんですよ」

「そうなの? でもお金さえ払えば罪にはならないんですよね。罪の無い一般人なら誰が迎えに来ても良いのではありませんか?」

 無知を装っているのか天然なのか、悪気も図々しさも感じられない振る舞いの真莉愛に、取調係は苦笑して子供を諭すように言った。

「息子さんは未成年ですし、責任のある大人に引き取っていただきませんと……それに、まだ万引きの理由が分かっていないんですよ。ご両親立ち合いの下で聞き取りを行いたいと考えています」

 家族として、子供の罪の理由と向き合う必要もあるでしょうと彼は続ける。そこで、聖夜が口を挟んだ。

「そういうことは家で行えばいい。見ず知らずの他人の前で話すのも彼の恥となるでしょう。大人なら、そちらにいらっしゃるようですし。嘘かまことかは存じませんが、教員免許を持っていると」

 聖夜は紗希に厳しい視線を据えた。彼の威圧の力は周囲にも影響を与える。直に浴びた経験を持つ慧はあの時程ではないと耐えられたが、澪央は息を呑んで一歩下がった。しかし紗希は怯まず、馨を一度見てから彼を睨み返す。

「恥となるのは天使君でしょうか。お二方ではありませんか?」

「何を言っているのか、心当たりがありませんね」

 しらを切っているのではなく、本音なのだろう。聖夜の眼光には揺らぎが無い。紗希は、彼の正面まで近付くとハンドバッグから名刺を出した。

「申し遅れました。天使君の担任をしております松浦紗希と申します。私でも彼の保護は可能ですが、生徒の万引き代を払うことは出来ません。そこはご家族で責任を持っていただかないと」

「担任? そうでしたか。いつもお世話になっております」

 途端に、聖夜が発する圧力が消えた。にこやかに名刺を受け取る。警官二人とコンビニ店員が僅かに怪訝そうにしたが、発言した当人は気付いていないようだ。

「勿論、支払いはこちらでしますよ。馨、天使の財布を持ってきているだろう」

「いえ、天使様の財布は所持していませんが。鞄は置いてきていますので……」

 初めて会った時と同様の無表情で馨が答える。聖夜の顔に驚きが浮かび、真莉愛も笑みを崩した。

「何故、持ってきていないんだ」

「ですから、学校用の鞄は置いてきましたから」

「コートとスマホはあるのよね? 万引きだというのだから、普通財布は持ってくるでしょう」

 苛立ちと焦りが含まれた真莉愛の問いは、これに関しては正当な突っ込みに思える。馨は無表情のまま首を振った。

「親であるあなた方が支払うと思っていたので必要無いかと」

 馨は取調室中央にある机の上を見遣る。天使の前にはおにぎりと、蓋がオレンジ色のブレンド茶があるだけだ。

「数百円ですし、普段のお小遣いよりも遥かに安い金額です。出し渋る理由は無いでしょう」

「…………」

 馨の言葉に、聖夜は悔しさと葛藤を滲ませた。食いしばった歯から、ぎり、と音がする。真莉愛も机から目を逸らしている。

 慧には天塚夫婦の内心を想像することが出来た。天使を跡取りと認めて小遣いを与えていた時と今では状況が違う。自分達がもう必要ないと断じた『他人』に、親としての出費はしたくないのだ。

 それが、たとえ第三者の前であってもだ。

「……何か、変じゃないか?」

 ここで初めて、コンビニ店員が口を開いた。

「最初は天然な夫婦かと思ったが、今は十二月だぞ? 担任の顔も名前も知らないって変だろう。支払いの嫌がり方も普通じゃない。あんた達、本当にこの子の親か?」

「……二人は間違いなく、僕の両親です」

 コンビニ店員の疑問を、天使自身が即否定する。

「まさか……」

 記録係の呟きの後を、聴取係が続ける。

「君が万引きをした理由は、この両親にあるのかい?」

「…………」

 天使は、直接肯定も否定もしなかった。少しばかり間を空けてから、目の前の警官に笑いかける。

「さっきの仮説、殆ど間違っていましたが……ただ……最後から二番目だけは正解でした。僕は警察に保護される為にわざと万引きをしたんです。お父さんとお母さんと、話をしたかったから……」


     □■□■


「わざとだな」

 キオク図書館で、複数の本を広げていたアレクシスは一旦読み上げを中断した。基本的な読み上げは慧の『本』を使い、天使や他の人物の心情で周知が必要そうな部分は別に読むという方法を取っている。天使の『本』は纏まった文として読むのは難しく、心を刺す内容もあって読み上げに適した状態ではなかった。

 とはいえ、彼の万引きの理由に関しては経緯も含めて雫と直斗、明日香には説明してある。

「万引きが? だから、それはそうだって言ってるよね」

 Tシャツワンピースにレギンスというラフな格好をした明日香が、今言うこと? と眉間を寄せている。

「万引きのことではない」

「だったら……あ、お財布のことですか?」

 考え込みかけていた直斗だったが、閃くのは早かった。アレクシスは頷き、馨のものである若草色の『本』を手元に引き寄せた。

「良く分かったな」

「僕も、森さんがお財布を持ってこなかったのは不自然だなと思って……お金が手元に無いって心細いし、隙の無さそうなあの人が置いてくるかなって……。あ、でも、天塚君がお財布を持ってるって勘違いしてたのかな」

「それは無い。何も所持していなかったことは警察が電話で伝えている」

「じゃあ、どうしてです……?」

 馨の『本』には答えが明記されていた。基本的には天使と同じで、両親と対話をさせる為だった。財布があれば支払いをして終わりだが、無ければあの夫婦は出費を渋るだろう。警察署という特殊空間で、家庭事情を知らない警官を前に天使への無視は出来ないと見越しての策だ。

「それで? 天使は両親と話したいって正直に言ったんだよね? あの二人はどんな態度取ってるわけ?」

 語調強く、雫が身を乗り出してくる。天使の非行を伝えた時に、美容室での発言の所為ではないかと気にしていた彼女は、ここに来て遂に彼の問題に本気になっていた。

「『何を話したいのかは知らないが、私達はあれ以上、何を話せばいいのか思いつかない。こちらから話すことはない』。聖夜としては最大限に人目を考えての発言のようだ」

 ビリジアン色の『本』は右斜め前に置いてある。手を伸ばしてページを捲り、内容を教える。

「周りを気にしてそれ!? で、天使は何て?」

「『……だから、さっき無視したの? でも、あれは……』」

「無視なんて生易しいもんじゃなかったよね」

 怒り気味に明日香が言う。誰も異論は無いようだった。あれは『存在する者を無視した』のではなく『存在しない者として扱った』というのがより正しく、アレクシスもたちの良い行動とは思っていなかった。

「天塚君は『僕を……幽霊みたいに……』と続けた後は口を閉ざしているな。自ら発言するのを怖がっているようだ。そうだな……前に君達が彼と話すのを怖がった時の心理に似ている」

「私は怖がってはいなかったわよ」

 雫に反論され、苦笑する。確かに、あの時に天使を恐れていたのは明日香と澪央だ。

「警察の人と店の人は何か言ってるわけ?」

「戸惑ってはいるが積極的な発言はしていない。状況についていけていないようだ」

「そう……」

 何を考えているのか、しばらく黙ってから彼女は言った。

「ねえ、一回外に出たいんだけど。澪央ちゃんに電話したい」

「……成程、構わない」


 薄い茶色の『本』を持った上で迎えに行った為、雫の自室は目にしている。キオク図書館から現実世界に移動すると、茶色やオレンジという秋色の内装の部屋で雫はスマートフォンを使った。

「あ、澪央ちゃん? ちょっと天使に変わってほしいんだけど。うん」

 数秒程の間の後、当人が出たのだろう。雫は電話に向けてまくし立て始めた。

「あんた、何うじうじしてんのよ。何のためにそこに親を呼び出したの? 私達にそうしたように、無神経に言いたいこと言いなさいよ。はあ? ……私の所為でそうなっちゃったなら謝るから。美容院では言い過ぎたし……今は言い過ぎてないけど」

 何か答えが返ってきたのか、雫は「あはは」と声を上げて笑った。

「そんな返しが出来るなら大丈夫よ。好きなこと言いなさいよ。先生も澪央ちゃんも、神谷君も一緒なんだから。警察だってまともならあんたの味方になってくれるよ」

 スマートフォンをジーパンのポケットに入れ、雫は振り返った。

「ありがとうね。戻ろ」

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