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第25話 取調室での対話

「……今も充分に言い過ぎだと思うよ」

 元気が無いながらに微笑み、天使は電話の向こうの相手にそう伝えた。雫に何を言われたのだろうと思うが、無自覚な本音を指摘されるようなことは無かったようだ。慧に電話してきた時のような、切羽詰まった感じが無い。

 耳にスマートフォンを当てたまま更に数十秒が経過したところで、天使はそれを澪央に返した。

「…………」

 微笑みを消し、机の中央辺りに視線を据えて黙り込む。彼から目を離そうとしなかった取調係が、立ったままの聖夜と真莉愛を見上げる。

「……息子さんを無視したということですか?」

「先程も言ったように、話すことが無かっただけです。存在自体を無視したのではありません。天使がそう感じたとすれば、誤解されたのです」

「嘘……ですよね。それ」

 苦笑を浮かべて答える聖夜に、澪央が控え目に指摘する。それが真っ赤な偽りであると、慧達は知っている。

「天塚君は、『幽霊みたいに』……と言っていました……。ドアの前に立っていた彼を居ないことにして、見もしないで、どいてとも言わずにドアを開けた……。天塚君は押し倒される形になった……」

「な、何故、それを……」

 聖夜の常識人としての仮面が剥がれる。貫禄が薄れ、右へ左へと忙しなく瞳孔が動く。真莉愛も目を見開き、片手で口を覆って絶句している。

「私がそんなことをするわけがないだろう」

 冷静さが欠いた状態では説得力が無く、警官達の胡乱気な顔が彼に集まる。

「……幽霊……学校側としてはご両親の方が幽霊だったのに、皮肉ですね」

「どういうことですか?」

 紗希の厳しい声に、コンビニ店員が

「いやあ、私にも高校生の子が二人いましてね。親として他人事な気がしなくてですね……。機嫌が悪いと無視してしまうこともありますし、喧嘩もするので……」

 お金を払ってもらえればそれで良かったんですが、個人的にも気になってきました。と彼は心配そうに言った。

「……天塚さん達は元から、保護者としての義務を全て放棄していたんです。学校には一度も顔を出さず、面談は拒否。教師の誰も、お二人と面識が無かったんです。学校からの連絡は全て秘書の彼女が受けていました」

「えっ! そんな……そんなの、ネグレクトじゃないか」

 コンビニ店員は紗希の説明に驚きと怒りを露わにし、聖夜達を見る。

「……人聞きが悪いですね。私達は仕事で手が離せなかったので、業務の一環として秘書に任せていただけです」

「それをネグレクトと言うんですよ」

 真莉愛に対し、静かな調子で聴取係が指摘する。

「その上で、天使君はトップの成績を取ることを求められていました。彼の人生は親のものであると思い込ませ、視野狭窄と思考放棄に陥らせていた。でも、彼が東京の国立大学に受かる成績ではないと知ったご両親は、親であることを止めようとしたんです」

 これまでの経緯を紗希が話し終えると、取調室に沈黙が落ちる。天使は更に下を向いてしまい、髪で表情が見えない。しかし慧は一瞬、スタンガンを当てられたような強烈な痛みに襲われた。徐々に薄れていく痛みの中で気付く。天使の心の負担は『必要無い』と言われた時に爆発的に増大するのだと。

「……成程、グレても無理はないか」

 聴取係は苦々しそうに呟いた。慧は、つい口を出してしまう。

「天塚はグレたんじゃない。両親に意識を向けて欲しかっただけだ。要求通りに勉強を続け、うちの高校に入ったのも両親が好きだったからだ。ただ縛られていたからじゃなくて、本当に好きだったからだ。それは今でも変わらない。だから……」

「神谷君……」

 天使が顔を上げる。涙が出ていないだけで、泣いているのだと分かる。痛みの波を感じながら、少し迷ったが慧は聖夜達を見据えた。

「『必要無い』と言われるのが、天塚には一番きついんだ」

 びくりと、微力な電気ショックを受けたように天使の体が震えた。

「……………………」

 動かない彼に、皆の視線が集まる。これ以上、周りが騒ぎ立てるべきではない、騒いでも、彼にとっては迷惑で負担の大きい雑音でしかない。誰もがそう思っているのか、発言の途絶えた室内でキーボードを叩く音だけが響く。

「……好きなことを、無神経に……」

 周囲の耳に届くかどうかという程の微かな声がした。

「本当に無責任だよね。子供を自分達の道具として育てておきながら、理想通りじゃなかったら捨てて、どうなったって知らないなんて」

 顔を上げた天使は皮肉気に、挑戦的に笑っている。しかし、慧が感じる痛みは増すばかりだ。誰もが天使に注目する中、「神谷君……」と、澪央が囁いてくる。

「一度、外に……」

 慧は無言のまま首を振った。ここで彼から離れることは考えられない。痛みを感じていない振りは、まだ出来る。

「僕は、お父さんとお母さんが好きだった。でも、不要だと言われてから好きかどうか分からなくなった。逃げられない状況で、あの生き方が正しいのだと思い込む為に、好きだと思うことで、依存することで、僕自身を納得させていたんじゃないかと思った。でも……」

 見放され、『決まっている』人生を歩まなくて良くなった時から、心が痛くて仕方が無い。解放感なんてどこにも無い。怒りと絶望と、家族でいてほしいという渇望が痛みと化して離れない。

「神谷君と話して、自覚したんだ」

「俺と、話して……?」

 慧は彼との会話内容を思い出そうとする。どの言葉だろうかと記憶を探っている間に、天使は言った。

「両親が好きなのは悪いことじゃないって。その時に、好きでいいんだなって思えたんだ」

「ああ……」

 天使が両親を好いているという前提で、親の気を引こうとするのは恥ずかしいことではないと伝えたかった。しかし、自分の感情が分からなくなっていた彼には、それが救いになったのだ。

「僕は本心から、お父さんとお母さんが好きだったよ。髪を染めたのは、心配して欲しかったから。僕と向き合って欲しかったから。でも、徹底的に僕を居ないことにするなら……何か罪を犯すしかないよね。偶々、財布を忘れてて良かったよ」

 天使の笑顔には、もう皮肉気な色は無い。ただ、どこか自虐的で、何かを諦めているようでもあった。例えれば、ミステリー小説で犯人だと判った登場人物が、全てを語る時のように。

 この取調室で告発されているのは、むしろ両親であるというのに。

「僕の人生を返せとか、そんなことを言うつもりはないよ。でも、僕のこれまでを意味のあるものにしてほしい。ちょっと勉強が出来なくても、大学に受からなくても、僕を否定しないでほしい。それだけだったんだ」

「……私達がお前に見出していたのは、跡取りとしての価値だ。決まっている人生を歩めない者に、天塚家の一員としての資格は無い」

 話の間に動揺は収まったようで、聖夜は剥がれかけた仮面を被り直していた。

「あんた達、それでも親か!」

 コンビニ店員が激昂するが、そちらには一瞬たりとも視線を送らず、言う。

「改めて言うが、天塚家にお前は必要無い」

 威厳を感じる冷たい声だった。直後、取調室に何かが弾けるような乾いた音が響く。聖夜の隣にいた紗希が、平手打ちをしたのだ。顔を横向けた彼が正面を向く前に、彼女は叫ぶ。

「向き合える子供が目の前に居るんだから、親としてちゃんと向き合いなさいよ!」

 睨みつける両の瞳は苛烈で、目尻には涙が滲んでいる。ゆっくりと彼女と相対した聖夜は、激怒も威圧もせずに口を開いた。

「一般家庭で育った先生には分からないかもしれませんが……」

「世話したくたって、死んじゃったら出来ないのよ。子供が生きてるならわがまま言ってんじゃないわよ」

「…………」

 ただならぬ空気に聖夜は眉を顰め、口元を引き締める。言葉を失ったかのようにも見えたが、一方、真莉愛は余裕を残した笑顔で言い切った。

「天塚家の問題に親だ子だというのは関係ありません。つまり、私達が天使の万引きの尻拭いをすることはありません」

「……まさか……残りの学費も放棄する気ですか?」

 キーボードを叩く手を止め、記録係が訊く。警官らしくはない、普通の青年の話し方だ。

「高校卒業までは払いますよ。仕方ありませんから」

「それなら……」

「もういいよ」

 続けて言い募ろうとした青年を、天使が止めた。これまでで一番大きな、はっきりした声だった。

「僕は素直に捕まるから……どこに居たって、もう同じなんだから」

「天塚……」

 天使から感じていた痛みは、尻拭いはしないという真莉愛の台詞の後に名残も無く消えていた。諦めたのか、両親に執着することを止めたのか――

 何とかしてやりたいと思う。しかし、どうすればいいのだろうか。

「俺が、万引き代を払うよ。俺でいいなら……」

「……ううん。僕は……。わっ!」

 そこで、馨が突然天使に抱き着いた。椅子ごと、強く抱きしめる。

「か、か、か、馨さん? どうしたの?」

 どこか哀しそうだった天使が、ただの少年の顔になる。

「……天使君、私と家族になりましょう」

「え……え?」

 戸惑う彼に、馨はそのままの姿勢で言った。

「小さい頃から、私にとってあなたは息子同然だった。聖夜君達の代わりに……ずっとお世話をしてきたんだから」

 体を離し、天使の隣で膝立ちして、その手を取る。

「私と一緒に暮らしましょう。私が親になります。養子縁組までは望みません。聖夜君達が本気で縁を切りたいのなら別ですが……」

 彼女の目が天塚夫婦に向く。怯んだらしい二人は後退りした。

「えっ、え……」

 想像もしていなかった提案なのだろう。慌てふためき、天使は慧や紗希、澪央と警官達に順不同に視線を向けてくる。両親に見放されてから大人びていた印象が、一気に幼いものに変わっている。

「私が保護者じゃ……嫌ですか?」

「そ、そんなこと、ない。うれしい、けど……」

「じゃあ、決まりです」

 馨は微笑むと、黒いハンドバッグから若草色の財布を出してコンビニ店員に正式な金額を訊ねた。必要な分の小銭を机に置く。

「ほら、行きましょう。これを着てください」

 コートを天使に渡して椅子から立たせ、手を引いて出入口へと歩く。その途中で、馨は立ち止まった。纏めていた髪を下ろし、聖夜に厳しい顔を――美しく整った顔を向ける。

(椎名……?)

 前髪が額を隠し、綺麗な長い髪が束の間だけなびく。どことなく、澪央に似ているようにも見える。

「聖夜君……君は高校時代、私との交際を何度も希望したよね」

「えっ!?」

 澪央が驚きの声を上げる。慧は咄嗟に真莉愛を見るが、表情には変化が無い。知っていたのか、ポーカーフェイスを作っているだけなのか。だが、この話が事実なら――

 聖夜は澪央にだけは人間らしい態度を取っていた。あの偽の面談の場でも、同席を拒否する理由を丁寧に説明していた。その理由が、朧気ながら浮かび上がってくる。

「結婚は真莉愛とするから、今だけ付き合おうって……学生時代はかなり勝手にやってた。勉強だって、嫌々してたよね」

「そ、それは……」

「え、でも、馨さん……」

 狼狽える聖夜と馨を見比べながら、天使が言う。

「そんなこと、『本』には書いてなかったよ。お父さんは『決まっている』通りに生活を……」

「本?」

 馨が不思議そうに瞬きする。

「あ、いえ、こっちの話です」

「そう……?」

 急いで慧が誤魔化すと、彼女は少し首を傾げながらも真莉愛を見た。

「あなたも、大学なんてどこでもいいじゃんって愚痴ってたよね。大学の合格もギリギリで」

「で、でも、私は合格したわ。馨とは違って!」

 真莉愛の顔が赤くなる。彼女が素を出した瞬間だった。

「そうね。結果としては私よりは優秀だった。だけど……それでよく、天使様に酷い態度が出来ますね。聖夜様……真莉愛様」

 冷たい声で突き放すように言い、馨は天使と手を繋いで廊下を歩き出す。

「あっ、待って……私達も」

 こちらに頷きかけてから、紗希が二人を追いかける。慧と澪央も後に続いた。

(確かに……)

 慧は天使の台詞を思い出す。天塚夫婦の『本』には馨が話した出来事は書かれていなかった。一体、どういうことなのか――


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