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第3話 クリスマスイブ

 天使が『月と金木犀』に住むようになって一週間が過ぎた。勉強以外の何かをしたい気持ちと好奇心もあって、彼はここでアルバイトをしていた。週末だけ、数時間の手伝いではあるが、料理も接客も、新鮮な経験だ。馨は今日、面接で不在にしている。

 キッチンで鍋のパスタを混ぜていると、店のドアが開く音がした。卵型の、可愛らしい顔をした女性が入ってくる。目が合った途端、彼女は、あれ、という表情をした。

「いらっしゃいませ!」

 何が、あれ、なのか分からないまま、得意の笑顔で歓迎の言葉を投げかける。

「なに、この子。アレクシスそっくりじゃん」

「!?」

 カウンターの椅子に座りながらの彼女の台詞に、天使は思わず手を止めた。明確な理由は無いながらも嫌だなあと思っていると、キッチンにいたアレクシスが満足そうに二回頷いた。

「そうだろう、そうだろう」

「目の色が違います。似ていないと思いますよ」

 初めて見る女性だが常連だろうかと思いつつ抗弁する。

「目の色だけだよね。他は似てるよ。……何だ、アレクシスの親戚が見つかったのかと思った」

「……依織」

 依織と呼ばれた女性は、困ったように笑った。アレクシスは冗談めいた笑みを消して黙り込み、その場に重い空気が漂う。

 天使は完成済のソースに絡めて皿に盛り、カウンターを出て客に出す。背後では、まだ会話が続いている。

「びっくりしちゃった。私、アレクシスの記憶が戻らないって勝手に思ってたから……」

 え!? と天使は一瞬足を止めてしまった。回収した皿をシンクに入れて、水を流す。

「安心しろ。まだ戻っていない」

「それは、人としては喜んじゃ駄目だよね……で、あの子は?」

「ああ、紹介しようと思って呼んだんだ。今、ここに居候している。彼は私の部屋を使っているが、もう一人同居していて、依織の部屋を……」

「は!?」

「使ってもいいかと……」

 アレクシスは天使について、両親に勘当された子供だと説明した。詳しいことを話すかどうかは君が決めればいいと言われ、殊更に隠しておきたい気持ちもなく、全てを話すことにした。『月と金木犀』に依織の部屋があるのなら、話すのが義務のようにも思った。

「ふぅん……? 大変だったんだね」

 特段に驚いたり怒ったり、同情したりすることもなく、無興味にも見えない。依織の感想には、昼休みの雑談のような気楽な緩さがあった。

「そう……なんでしょうか。少なくとも僕は、最近までそういう自覚は無かったので。だとしたら、大変だったのかどうかは……」

「大変だったからここに居るんだよ。自覚してない間のことも、君の中にはきっと蓄積されてるよ」

 紅茶のカップに口をつける依織を前に、そうなのかもしれない、と天使は思う。彼女の言葉は、何故かすっ、と心に入ってくる。

「荷物は? 制服も財布も、無かったら困るでしょ?」

「あ、はい。取りに行きました」

「帰ったんだ」

「……はい」

 制服や財布、鞄を始めとした私物や荷物は、両親が仕事で不在の間に取りに行った。段ボールに必要なものを詰めてレンタカーに載せ、ここまで持ってきた。力仕事をする機会が無かった彼にとっては、少し楽しい経験でもあった。

 だが、忘れられないのは、リビングを覗いた時の空気感だ。あの日に入れなかったそこに足を踏み入れると、強烈な他所他所しさに襲われた。拒絶されたというよりは、他人の部屋に入ってしまったという場違い感だ。

 リビングには元々、天使の私物は置かれていない。だから、その差違からくる感覚ではない。

 天使は、最終的には自ら、この家を出ると決意した。しかし、両親もそれを良しとしたからこそ、自分は天塚の家から招かれざる者になったのだ。

 改めて、そのことを実感した瞬間だった。

『天塚が両親の本を開けたのは、愛情があったからだろうってアレクシスが言ってたぞ』

 と、後日、慧からそう聞いた。それが本当なら、いつか、またあの場所で三人で過ごせるのだろうか――

「よく帰ったね。偉いじゃん。私の友達にも高校二年生の子がいてさ、進路関係の話も聞くんだよね。高校生も色々あるよね」

 カップを置いて、ラミネート加工されたメニュー表を手に取って、依織は難しい顔をしている。何か頼むのだろうか。

「まあ、そういうことなら私の部屋は使っていいけどさ、その……馨さん? は今までどこで寝てたの? 二人でアレクシスの部屋に?」

「いえ、二階の食卓の近くに布団を敷いて……」

「は!?」

 今日二回目の「は!?」である。天使は何となく、雫の顔を思い出した。話の間、数人の客の相手をしていたアレクシスが戻ってくる。

「では、依織の部屋に勝手に入っても良かったのか? 桂花の部屋を使うわけにもいかないだろう」

「う……」

 依織の勢いが弱まった。痛いところを突かれたという顔になる。

「それなら、もっと早く来るように言ってよ。一日くらいいつでも空けられるんだから」

「いつでもいいから来いと連絡したら、今日を指定したのは依織だろう」

「事情を知ってたら早く来たよ! もう、部屋片付けてくるから!」

 スツールから勢いよく立ち上がり、彼女は二階に上がっていった。料理は特に頼まなかった。

「娘さん、いたんだ?」

 具体的に関係性は聞かなかったが、そうだろうと思って言ってみると、アレクシスは目を伏せた。

「……みたいなもの、というだけだ」


     □■□■


 十二月二十四日――クリスマス・イブになり、『月と金木犀』には友人達が集まっていた。夜はBARをやっているだけに、照明を絞ると雰囲気が出る。この夜は、BARは休業していた。

 テーブルにはホールのクリスマスケーキと、丸鶏のローストチキンが用意されている。澪央が立ちあがり、炭酸ジュースの入ったワイングラスを持って話し出す。

「じゃあ、えと、天塚君のお誕生日と、クリスマスを祝って……」

「え?」

 何を言っているのかと、天使はきょとんとする。

「僕、誕生日はクリスマスじゃないよ? 十二月、二十七日」

「えっ!?」

 グラスを掲げていた皆の手がぴたりと止まる。明日香が怪訝そうに口を開く。

「イブじゃないの? だって……」

「イブはお父さんの誕生日だよ。名前で分かるよね? 僕は二十七日」

「……………………」

 友人達が顔を見合わせていると、アレクシスが「そういえば」と呟いた。

「天塚聖夜の『本』には十二月下旬に誕生と……」

「……………………」

 ぽかんとしている友人達の中で、馨だけが不思議そうにしている。彼女だけは『本』の意味が判らない故の反応だろう。

「ねえ、このチキンってどうやって切るの?」

 やがて、気を取り直したように雫が包丁片手に皆に訊く。明日香と直斗が首を振り、二人を含めた五人の視線が慧に向けられる。そして数秒の後に、申し訳なさそうに逸らされた。

「いや、知らないって決めつけるなよ」

「神谷君、やったことあるの?」

「無いけど……」

 慧と澪央のやり取りに、天使はつい笑いを零す。それを見逃さなかった慧は、不服そうにこちらを見る。

「天塚は知らないのか?」

「うん。自分で切ったことはないよ。いつも……」

 馨を見ると、彼女は「仕方ないですね」と苦笑する。

「望月さん、私に任せてください」

 雫から包丁を受け取り、ローストチキンを切り分けていく。それを見ながら、天使はアレクシスに話しかける。

「今日は依織さんは来ないの?」

「チキン切れないの? とは訊かないのか」

 訊いてほしかったらしいが、気にせずに「ううん」と答えると、彼は、ふっと笑ってから目を逸らした。

「……仕事だそうだ。クリスマスを楽しむ余裕も無い仕事だからな」

「ブラック企業なのかな。娘さんがそんなところにいてもいいの?」

 何の気もなしに言うと、複数の「えっ!?」という声が響き渡る。

「アレクシス、子供いたの?」

「嘘でしょ!?」

 明日香と雫が失礼な物言いをして、澪央は目を丸くして口元を両手に押さえている。

「まあまあ、アレクシスさんだって大人なんだから子供がいてもおかしくないよ。び、びっくりはしたけど……」

 フォローをする直斗に、アルバイトだと主張するこの店のマスターは苦々しい顔をする。

「だから、娘みたいなものだと……」

「おい、チキン切れたぞ」

 友人達の中で一番大人の態度を取った慧の声で、皆の関心がそちらに移る。

「やった! じゃあ食べようよ。あ、その前にケーキにローソク立ててっと」

 ホールケーキに、雫がうきうきと蠟燭を立てていく。一、二、三、四、五……

「……………………待ってよ。だから僕の誕生日はイブじゃないって……」

「数日の差くらいは良いんじゃないかな。皆、天塚君の誕生日を祝いに来たんだし」

「クリスマスだよね?」

 突っ込みながらも、直斗に優しく言われると、嬉しくなる。彼への罪悪感は、きっと一生消えないだろうから、尚更に。

「別にいいだろ。クリスマス"も"祝うということで」

「"も"……」

 やけに"も"が強調されていた。慧にまでそう言われたら、もう受け止めるしかない。

「ほら、天塚君、蠟燭吹いて」

「え、あ、うん……」

 中腰になって、十七の炎に息を吹きかける。こんなクリスマス――誕生日も悪くないな、と、天使は思った。

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