カットしたローストチキンは、八人で分けるには不向きだった。レッグが二本に手羽が二本、ぼんじり一個、残りは全部胸肉と言っていい。フライドチキンのチェーン店ほどには部位別に出来ない。クリスマス定番のレッグ一本は無条件に誕生日の天使の皿に、残りはジャンケンで振り分けられた。
慧の皿には片方の手羽と胸肉の山が載っている。人数の都合で量は少な目だが、肉は他にも用意している、とアレクシスがキッチンで何か作っているので、そのうちテーブルに置かれるだろう。今の時点で胡椒の香りが漂っている。
(それにしても、アレクシスが飲食店のマスターだったとはな……)
キオク図書館に引きこもって過ごしている印象があった為、どうにもイメージが合わない。かつて後ろに乗ったバイクは立派だったし、マンションの部屋も平均的で、東京の家賃を考えると相応の収入が無ければ実現不可能な暮らしだとは理解していたつもりだったが――
店の内装に目を遣りながらそんなことを考えていたら、馨が口を開いた。
「……先日に行った面接先から、合格の連絡が来ました。勤務開始はまだ先になりますが、ひとまずは安心です」
天使の顔が嬉しそうに輝いた。こういう時は今も、子供みたいに見える。
「良かったね! おめでとう」
「はい。新しい部屋も来月中には入れると思います」
「え? あ、うん……」
電球が切れていくかのように分かりやすく、天使から光が弱まっていく。
「ここ、結構好きだったからちょっと残念だな……」
「でも、アルバイトは続けるんだろ?」
この店と縁が切れるわけではないと言いたくて訊いてみると、彼は寂しそうに「うん」と微笑む。そこで、アレクシスがローストビーフの皿を持ってくる。塊としての形を保ったまま、均等にスライスされている。
「就職祝いと誕生日祝いと、ついでにクリスマス祝いだ」
「うわ、本格的だね」
感嘆する明日香の隣で、雫がはしゃいで腰を浮かせる。
「美味しそうじゃん! 八人いるから……」
ナイフとフォークを持ち、合計枚数を確認してから全員分の取り分けをしていく。友人達がわいわいと楽しそうにする中で、アレクシスはワインをわざとらしく回しながら、個人間会話の体で馨に言う。
「新しい家でも会社でも、契約する時に家族構成を書くと思うが、そこはどうする予定なんだ? 天塚夫婦に本当に縁切りする気があるのか鎌を掛けていただろう」
「それなんですが……」
肉を取り分ける途中の姿勢のまま、皆が二人に視線を向けている。天使が俯き、ケーキを食べていたフォークを皿に置く。
「屋敷に行った時に、仕掛けていた盗聴器を回収したのですが、その時に残っていた録音内容を聞いて……」
馨はささやかな笑みを浮かべた。冷笑ではない、その逆の笑みだ。
「戸籍はそのままの方が良いと思ったんです。だから、私は保護責任者の立場として同居の形を取ろうと考えています」
録音内容? と、慧は内心で疑問符を浮かべる。天使の両親は、何を話していたのだろうか。馨が戸籍はそのままの方が良いと思った以上、否定的な話では無いのかもしれないし、そう思いたい。
「……そうだな。私も同意見だ。慧がサボっていなければ伝わっている筈だが、君は跡取りという名の人形では無かったということだ」
アレクシスの言葉に、俯いていた天使が顔を上げる。
「本当に、家族の『本』でも、自由には……」
「本当だ」
自信満々に不敵に、背もたれに全身を預けてアレクシスは言う。天使は嬉しそうに、照れたように「えへへ」と笑う。再びケーキをつつきながら、言葉を続けた。
「……僕、勉強することにしたんだ。『決まっていた』大学、受けてみようと思って」
「え!?」
トングで肉を掴んだままの雫が、素早く彼に目を向ける。驚きよりも剣呑さが強い視線を向けている。肉皿にサラダをトッピングしていた澪央が、心配とも不安とも取れる顔で天使に訊ねる。
「……どうして? ご両親の下に戻る為……? あっ、それが悪いっていうんじゃなくて……」
「ううん。試しにやってみようかなって。出来るだけでいいからチャレンジしてみようかな、みたいな。成績に見合った大学もちゃんと受けるよ」
そう話す彼には、裏があるようには見えなかった。さっぱりとした割り切りを感じる表情で、堂々としている。皆が、ほっとしたような笑顔になる。
「でも、そうか。じゃあちょっと難しいかな……」
明日香の悩まし気な台詞の意味が、慧には分かった。少し前から、皆で話していたことがあるのだ。純粋に、何が? と言いそうな顔でローストビーフを口に入れている天使に、直斗が遠慮がちに提案する。
「あのね、たまに僕達、皆でネットゲームしてるんだ。天塚君もどうかなって。クロスプレイ対応だからパソコンからでも出来るし」
「ゲーム? やったことないけど、気になるかも……」
好奇心からか、天使の瞳が光を帯びていく。
「えっと、クロスプレイって何?」
「あ、それはね、操作する機械の種類が違ってても……」
直斗が生き生きと説明を始める。そこからは、ゲームに関する話で盛り上がった。
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パーティーが終わり、E組の三人を乗せたタクシーが駅に向けて走り去っていく。時刻は二十時前で、イブで普段より人通りが多い時間だ。一台目は偶然通りかかった空車を捕まえたが、二台目はアプリから呼ぼうとアレクシスがスマートフォンを操作している。彼と慧、澪央が一緒に乗る予定で、天使が見送りに出てきていた。
「なあ、アレクシス」
タクシーを待つ間の繋ぎとして、慧は彼に声を掛けた。少しばかり、気恥ずかしさがある。
「何だ?」
「今度、俺の両親の『本』を出してくれないか? 読んでみたいんだ」
アレクシスの指の動きが不自然に止まった。一瞬だけ、痙攣するように頬が震える。それに気付かないのか、天使がキラキラとした眼差しを向けてくる。
「読むんだ!? あ、うん、でも……どんな内容かは分からないけど……」
あっという間に元気を失い、友人は下を向いてしまう。
「何故、読みたいんだ?」
硬い声が耳に入る。アレクシスは操作をしていないスマートフォンから目を離さず、慧の方を見ようともしない。
「それは……二人が、何を思って生きていたのか知りたいから……」
死者の墓を暴くような行為だという自覚と後ろめたさから、答えはたどたどしくなってしまう。視線を逸らすと、彼との間の空気に気まずさを感じた。
「その欲求が悪いとは言わない。寧ろ当然のことだろう。……天塚君に関しては、ご両親の本をもう一度読んでもいいくらいだ」
「え? どうして……」
下を向いたままだった天使が顔を上げるのと同時に、アレクシスは慧と視線を合わせた。
「だが、慧に両親の『本』を読ませることは出来ない。私から、慧に『本』を提供することは、出来ない」
「……何でだ? アレクシスは二人の『本』を読んだのか? そこに何か……」
「読んでいない」
管理者は首を振る。慧達の会話を、澪央と天使が緊張した面持ちで見守っている。タクシーが来る気配は無い。もしかしたら、呼んでいないのかもしれない。冬の風が、パーティーで温まった体を冷やしていく。
「読みたくても、読む術がない。慧の両親の『本』は……」
未だかつてない程に真剣な顔で、彼は続ける。
「神谷