暗闇に意識が沈んでいた。
冷たく硬い地面に投げ出される感覚で、ぼんやりと目が覚めた。
体が重い。時間を掛けて、指を一本ずつ動かしていく。
「……」
ようやく意識がハッキリしてきたので、なんとか周囲の様子を探ろうとする。
どうやら倉庫のような場所のようで、かなりうす暗かった。
換気のための穴だろうか、天井近くにある穴からわずかばかりの光が差し込んでいる。
それから自分の状態を確認すると、どうやら怪我はなさそうだった。
けれど腕は後ろで縛られて、足もロープで固く結ばれている。
どうにか緩んだりしないかともがいていると、ガチャリと鍵の開く音がして、誰かが近づいてくる気配があった。
足音はゆっくりと、こちらに向かってきて。
「まだ意識が戻ってないのか?」
低い声が聞こえ、緊張感が一気に高まる。
声の主は、どうやら自分を連れ去った者たちの一員らしい。
「……あなた、誰なの?」
「なんだ、起きているんじゃないか」
「答えて!」
男はくつくつと笑う。音のない空間に、その笑い声だけが異様に浮かび上がった。
「お前が知る必要はない。ただ、ここにしばらくいればいい」
男の声は落ち着いていて、何も恐れていない様子だった。
その余裕が、さらに私の不安を煽る。
「……なんのために私を?」
思わず声が震える。
周囲の薄暗い倉庫の空気が、まるで圧し掛かってくるかのように重い。
「質問ばかりだな。なら俺もこう答えよう〝お前が知る必要はない〟ってな」
「じゃあ何をしにここへ来たの?」
「まーた質問か。まあいい、お前にはここにしばらく居てもらわないといけないからなあ」
男は何かを投げて寄越す。
それは地面を転がって、横になっている私の体に当たった。
「ほら、食いもんを持ってきてやったんだ。
ちらり目を向けると、それは硬そうな黒パンだった。
地面を転がったパンは所々黒ずんでいて、カビているようにも見える。
こんなものお嬢様じゃなくても口に合うもんか。
「ま、殺そうとまでは思ってねぇから、しばらくは大人しくパンでもかじっててくれや」
「ちょ、ちょっと待ってよ。手が後ろに縛られてたら食べられないじゃない!」
「…………ま、それもそうだな」
男はゆっくりと近づいてきて、私の側にしゃがみ込むと、腰からナイフを抜き去った。
それは薄暗い部屋の中にあって、妙に光を放っているようで。
「……ッ!」
思わず息を飲んだけれど、男は黙ったまま後ろ手で縛られていた私のロープを切る。
それから「暴れんじゃねぇぞ」といいながら、手を体の前で結び直してくれた。
「あなたは……」
ちらりと見上げた男の顔には、なんだか見覚えがあるような……。
なんとか記憶から引っ張り出そうとしている間に、男はさっさと部屋を出ていってしまう。
それからガチャリと重い鍵の音が室内に響いた。
一人になった部屋では沈黙が重くのしかかる。
どこかに出口がないだろうかと室内に目を這わせるも、外に続いていそうなのは、先程男が出ていった扉と、あの天井にある明り取り用の小穴くらいだった。
少しでも情報を得ようと、芋虫のように這って扉に近づこうとする。
しかし、足の縄が柱に結び付けられていたようで、部屋の真ん中あたりまでしか進めなかった。
「どうしよう……そうだ、こうすれば……っ」
私は手にハサミを象る。それは毎日使い込んで体に馴染んだ道具。
形こそ同じだけれど、切れ味は普通のハサミとは段違いのようで、すぐに手と足の縄を切ることができた。
自由になった私は、音を立てないようにじりじりと扉へ近づき、ペタリと耳をつけた。
「……っていっただろ!」
「……も……それ……お前が……」
その扉は厚いようで、ほとんど会話を聞き取ることはできない。
それでも、あちら側にいる人たちが言い合いをしていることだけは分かった。
言い合いの中で「辺境伯」というワードが出てきたのを、私は聞き逃さなかった。
つまりあいつらは、私をキール様の婚約者だと分かった上で
きっと私の身柄を使って、キール様を脅迫して、取引をするつもりなのだろう。
「そんなの……嫌だ」
迷惑をかけたくなかった、心配をかけたくなかった……嫌われたくなかった。
でも、なぜ私がキール様の婚約者だと分かったのだろう。
市井でも目立たないような服を着てきたし、街中に私のことを知っている人はいないのに。
ううん、今はそんなことより少しでもできることをしなくては。
そう思った私は『ラタ』に意識を向けた。
「…………」
意識を失う前に、なんとか放り投げておいた魔力で象ったリスのラタ。
あの子にピーターが気付いてくれれば、ラタと繋がった魔力を辿って、ピーターをこの場所へ誘導できる。
そう思っていたのだけれど、ラタからは何も感じなかった。
ピーターに拾われず、あのまま道に放置されているのかもしれない。
やっぱり魔力を通して、わずかばかりの情報を拾う程度のチカラでは役に立たないのか。
無力感に襲われる。
けれど、今の私にはそれくらいしか出来なくて……そんな自分が情けなかった。
いつも地味な服を着て、誰かの影に隠れて。
なるべく尖らないように。
なるべく目立たないように。
自分のどこに惹かれているのかも分からないのに、ただキール様が愛してくれるのを受け入れた。
そして努力もせずに天啓なんていう超常的なチカラも手に入れちゃったから。
きっと、いい気になっていたんだと思う。
私なんて所詮——壁の花なのに。
でも「このままでいいの?」と、そう自分に問いかける。
ずっと壁の花として、自分を隠して、見せないようにして。
けど『それが美しく見える』っていってくれたあの人に甘えたままでいいの?って。
「そんなの……嫌だっ」
私にはローゼリアっていう名前がある。
あの人がリアって呼んでくれる名前がある。
他の人を引き立てる壁の花なんかじゃないんだ。
周りのために、自分を隠すのはもうやめなくちゃ。
たぶん自重、してたんだと思う。
神にでも悪魔にでもなれるって神官様がいっていたのは本当だったのに。
目立ちたくなかったから、自分でも気づかない振りをしてた。
だけどきっと——。
きっと、今が私の本当の