お店の外に出ると、店を囲んだ兵士たちが3人の男を捕縛していた。
男たちは昏倒しているのか、ぐったりして動かない。
そんな中で、私にパンを投げた男だけは、その手に長剣を握って未だ立っている。
それどころか、兵士数人が地に倒れ伏しており、残りの兵士たちは男を遠巻きに囲むのが精一杯のようだった。
「あん? お前なんでそこいるんだ、おい」
男は無精髭をじょりじょりと撫で付けながら、緊張感のない声でそう口にした。
どうやら建物から出てきた私の姿が目に入ったようだ。
「さあ? なぜか扉が開いていたので出てきただけですけれど。もしかして幻でも見ました?」
「ふん、食えねえ女だ」
「そんなことより無精髭のあなた、どこかで会いましたっけ? なんか見覚えがあるのですけど」
「…………さあな」
明らかに声色が変わった無精髭の男は、キッとこちらへ向き直ると、ボサボサの黒髪を荒々しく掻きながら目尻を釣り上げた。
「ちょっと事情が変わった」
「事情?」
「あーあ、本当に殺すつもりはなかったんだがなあ」
手をこちらに伸ばしそう呟くと、紫色の瞳が怪しく光る。
それと同時に男の周囲に不穏な空気が漂う。これは魔力を使おうとしている時の反応だろう。
このままにしておくと危険だ、直感でそう思った。
だから
「……何ッ⁉︎」
突き飛ばしたままの勢いで
「はん、それがさっきのトリックか? どうなってやがんだ、おい」
「「実は双子でした、とか?」」
「まあなんだっていい。二人まとめて消し飛ばせばいいだけだ」
男は、再度こちらへ手を伸ばすと魔力を高めていく。
だから私も反撃をしようとして——。
「そこまでだ」
凛とした声が辺りに響いた。
私にとっては安心感を抱かせる声色で。
「遅くなってすまない、リア」
慌てて振り返ると、そこにいたのはキール様だった。
その隣にはピーターもいる。
「なにっ! お前は随分前に街を出たと報告があったはず……」
「私は神出鬼没で有名でね」
笑いながらそう口にしたキール様からは底知れない威圧感がある。
ゆるりとした動きで腰に佩いた剣を抜き放った。
その刀身は深紅で、見ていると吸い込まれそうな美しさがある。
「銘はエストリエ——血を欲する悪魔の名を冠する剣だ。お前の血も浴びさせてもらおう」
「出やがったな。そいつのせいで〝吸血公〟って呼ばれてるんだっけか?」
「……ところでお前の裏にいるのはメルクリア聖教国か?」
「はん、誰がいうかよ」
「じゃあやはりシェリングフォード伯爵家か」
キール様のその問いかけに、無精髭の男は眉をぴくりと動かした。
「実に分かりやすい反応だ。お前のようなものを重用するとは余程の人材不足と見える」
「いってろ。俺は
男はそう言い切ると、不意に剣を握った腕を振る。
それは誰を狙っているわけでもなく、ただその場で素振りをしたように見えた。
「……ッ!」
キール様は突然、弾けたように後ろへ飛び
深紅の剣を握った腕がわずかに切り裂かれ、鮮血が散った。
一体……何が起こったのだろう。
「あん? 今のよく避けたなあ、おい」
「……物質を瞬間移動させる? いや、それよりも空間を……?」
赤い血を地面に滴らせながら、キール様は呟いている。
「ま、俺の
男は多数の兵士やキール様から睨まれた状況にあって、余裕のある態度だ。
大きく手を広げて、口元には微笑みさえ浮かべている。
「お前なら分かるだろ? ここにいる全員が人質みたいなもんだ。俺に近づいた瞬間、誰かの首を飛ばしてやれる」
「なるほど、確かに全員を同時に守るのは難しそうだ」
「どうやら分かってもらえたみたいだな」
「要求を聞いておこうか?」
「そりゃ決まってんだろ、呪われた女を寄越せ」
「……それは無理だな」
キール様がそう答えると、男は無造作に腕を振る。
「ぐあっ」
男の後ろを囲んでいた憲兵の一人が、突然叫び声をあげて倒れた。
どうやら斬られたらしい。
「ほら、死なないよう手加減してやったぞ。次はそこにいる婚約者サマでも斬るか?」
冷たい視線を私に向けながら、男は剣を握り直した。
今までの私なら、怖くてただ震えていたかもしれない。
けれど、自重をやめた私は、もう怯えてるばかりじゃなかった。
「キール様、私は大丈夫ですよ! 気にしないでくださいね♡」
私は心配しないで、とキール様に微笑みかけた。
「リア? なんだか雰囲気が変わった……か?」
「どうでしょう? 自分では分からないんですけど……でもこれが本当の私なのかも。嫌いになります?」
「まさか、より惚れ直したよ」
「まぁ、嬉しいっ!」
チッと舌打ちをした男は、つまらなそうな顔をしている。
「なにイチャついてやがんだ」
吐き捨てるようにそういうと、男は腕を振ろうとして——。
「ん?」
その腕が動かないことに気づいたようだ。
私がただキール様とイチャイチャしてただけなわけがないでしょ。
「さっきは縄を結び直してくれてありがとう、お返ししておいたからね」
さっきまで手首に食い込んでいた縄を思い出しながら創造し、その表面には周りの風景を象る。
隠蔽されたその縄を、キール様とお話ししながらゆっくりと無精髭の彼まで這わせ、巻き付かせたのだ。
「クソった……ぐああぁっ」
突然喉の奥から叫び声をあげた男の足や腕が、細く赤い槍のようなものに刺し貫かれている。
それはキール様の足元に垂れた血から伸びていた。
「リア、凄いじゃないか」
「キール様こそ。天啓を持っていたのですね?」
「ああ、私は強いといっただろう? さて、お前には色々と聞くことがあるな」
キール様はそういうと、縄で拘束され、串刺しになっている男に近づいた。
「はぁ……ここまでか」
男はそういうと、自嘲気味に笑った。
と思ったら次の瞬間には、そこに男の姿はなく——。
「む……?」
「キール様、上ですっ!」
ピーターの叫び声につられて上を見上げると、全身を血だらけにした男が武器屋の屋根の上に転がっていた。
急いで魔力の階段を象ろうとすると、男の姿はまたもかき消える。
「今度は……あっちですっ!」
さらに遠くの建物の屋根の上をピーターが指差した。
「まるで瞬間移動みたいですね」
「ああ。追ってもいいが……」
キール様はそういって、私を引き寄せるときつく抱きしめてきた。
「リアが無事だった。今はこの結果だけで十分だ。怪我はないか?」
「はい、大丈夫ですよ。だからキール様……泣かないで」
「泣いている? 私が……?」
キール様は驚いた顔をして、頬を伝う涙を拭った。