アーベルの儀式が始まり、光を纏う水晶玉に見惚れる参加者たち。光が消えていくと共に、周囲の者たちはコトハに注目する。彼女はゆっくりと目を開いた後、形の良い唇を開いた。そして彼女の一挙一動を手に汗握りながら見守っていた周囲は、息を呑んで次の言葉を待つ。
「アーベル殿下の番は、モイラ・ドネリー様です」
静寂な広間にコトハの言葉が響き渡る。そして参加者の大多数が口をぽかんと開けていた。
アーベルは現在21歳。歳の近い者の中には、侯爵令嬢が多い。だからこそ、誰もが名前を知っているような令嬢たちから選ばれるのでは、と思っていたのだ。
だが、実際呼ばれたのはモイラと呼ばれる女性。全員が誰の事だか気づいていないのである。
――勿論、壁の花となっているモイラ張本人ですら。
次第に我に返った者たちがボソボソと話し始めた。
「モイラ嬢と言えば、ドネリー伯爵家の長女だったか」
「ああ、確か病弱な方だと……」
「ベッドから立ち上がる事もできないと伯爵は言っておりましたな。今日も来られていないのでは?」
「そんな方に殿下のお相手が務まるのかしら……?」
「いやいや、番はお相手が務まるか、務まらないかなど関係ない。むしろ私としては、なぜ彼女が選ばれたのかは気になるな」
周囲は半信半疑ではあるが、信じざるを得ない。先程の国王の紹介によれば、コトハは大陸一の神子と呼ばれていたレノよりも神子の力を持っていると言われている。帝国が偽証する事などないはずなので、それが事実なのだろう。
先刻の静寂はどこへやら。参加者は口々に囁き合い、ドネリー伯爵一家の近くにいる者は、彼らをチラリと一罰する者もいた。
「ドネリー伯爵家の方々は……あら、令嬢が一人しかおりませんわね」
「あのご令嬢は義妹のドナータ嬢よね? モイラ嬢は来ていないのかしら?」
「夫から聞きましたが、本日は足の悪い高齢の方以外は出席になっているらしいですわ。モイラ嬢も来ていらっしゃると思いますけれど……」
「なら、何故ドネリー家には令嬢が一人なのかしら?」
最初はモイラの話をしていた貴族たちだったが、次第にドネリー家の話に移っていく。何故一家の元に彼女がいないのか、ドネリー家に不信感が広がっていく。そんな貴族たちに声をかけたのが国王陛下であった。
「いやはや、コトハ様の儀式により我らが愛する王女とカルサダニア王国のアーベル殿下の番が見つかった。この事を祝して、舞踏会に入ろうではないか! コトハ様、本日はわざわざ我が娘のためにありがとう」
「喜んでいただけたのでしたら、光栄です」
「では、折角の機会だ。まずは番が見つかったダーリヤ、アーベル殿下に踊ってもらおうではないか! アーベル殿下もよろしいか?」
「光栄な事です」
そうアーベルは国王陛下へとにこやかに話す。番を誘うのに許可を得た彼は、ある方向へ向かって歩いていく。
彼の道を妨げる事がないように、と通り道に立っているであろう貴族たちは、さささと後ろに下がり道を開けた。その行動にアーベルは手を上げて礼を示した後、歩き始めた。彼らはアーベルの視線の先にいる令嬢に気が付く。
驚いて目を見開く者、何が起こるか期待する者多種多様だ。一番楽しそうなのはダーリヤで、壇上の特等席で彼女の番のそばでニヤニヤと見ている。
驚いた者が多い理由は、アーベルではなくモイラに対してだ。彼女のドレスは一昔前に流行った物。今の令嬢が着るようなドレスではない。しかもあまりサイズが合っていないのか、ところどころドレスにゆとりがあるように見える。
ドネリー家のはずなのに、何故家族の元にいないのか。それだけで周囲の者たちは彼女の家での待遇を見抜いた。
アーベルは壁にくっついているモイラのところまで歩いていく。そして彼女の前に着くと手を差し出した。
「私の番であるモイラ嬢、よろしければお手を取っていただけないだろうか」
そんな二人の姿は、まるで御伽噺の一幕のよう。全員がモイラの返事を見守っている。モイラは驚きのあまり、呆然とアーベルの差し出す手を見つめていた。幾許かすると意識を取り戻したらしい彼女が、少しずつ顔を上げてアーベルの顔を見つめれば二人の視線が交わる。そして最後にはモイラは彼の手を恐る恐る取った。
その瞬間、拍手が壇上から湧き上がる。満面の笑みで盛大な拍手をしているのは、ダーリヤ。そして控えめながらも微笑んで手を叩いている王族たち。その様子を見た周囲の貴族たちもつられて二人に拍手を送る。拍手は段々と音が大きくなり、いつの間にか広間に響き渡るほど盛大なものになっていく。アーベルは拍手のお礼に左手を挙げ、満面の笑みを見せた。
一方で番のモイラは恥ずかしいのか、照れているのか分からないが下を向いている。
周囲の者の誰かが、「アーベル殿下、ダーリヤ殿下万歳!」と声を上げると、その言葉が伝播したように伝わっていき、最終的には合唱になっていく。温かい空気が周囲に広がり、全員がダーリヤ、アーベルを讃える中、それは起こった。
「殿下! それは何かの間違いではありませんか!?」
貴族たちが作り出した温かな雰囲気を邪魔するかのように甲高い、悲鳴のような男性の叫び声が広間に響き渡った。