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第42話 伯爵家

 参加した貴族全員がその声の発生源へと振り返る。そこには顔を真っ赤にした伯爵代理――ルッジエが肩で息をしていた。その後ろには後妻であるブリージダと娘のドナータ。

 彼女たちはモイラが注目された事に怒りを覚えたのか、眉間に皺が寄っている。その様子を周囲の貴族たちは把握しており、「なんと浅ましい……」と呟くものさえいた。

 図太い性格だからか、怒りで我を忘れているからかは分からないが、彼らは周囲の冷たい視線に気づかない。伯爵代理が王族たちの作り上げたこの空気を壊すとは、なんて恥知らずなのだろうとドネリー家以外の者たちは思っている。

 ルッジエの行動を表情に出す事であからさまに非難する者すら現れるが、彼は気づかない。むしろ自分の行動が正しいと言わんばかりに話し始めた。


「アーベル殿下。モイラは病弱なのです。本日は王命ですからなんとか参加させましたが、踊るだけの力はございません! もしよろしければ、代わりに妹のドナータと踊っていただければ」


 周囲はヒュッと息を呑んだ。やんわりと言葉を選んではいるが……要約すると他国の王族に「番と踊るな」と言っているのだ。こんな恥知らずが貴族である事、しかもオウマ王国の特産品であるインクを生産する土地を治めている事に貴族たちは戦慄する。

 確かに他の令嬢と比べてモイラは細い。だが、踊れないほどの病気を患っているわけではない事くらい分かるのだ。

 何人かの者たちは、恐る恐る壇上にいる王族たちへと視線を送った。彼らの作り上げた会場の雰囲気を台無しにされただけでなく、他国の王族への不敬……常に微笑んでいる王族たちが真顔でルッジエを見ており、彼らが憤怒している事に気づく。


 しかも更に恐ろしいのは、ルッジエに紹介された妹であるドナータがいそいそと頬を染めて歩いてきているのだ。型落ちのドレスをあてがわれている姉と、綺麗に着飾った妹。そして図々しい父と母。

 一同はアーベルがどのように対処するのだろうか、とチラチラ彼を窺う者も出てくる。アーベルはニコリと笑うこともせず、真顔でルッジエを見つめていた。


「ドナータであれば、モイラのようにお手を煩わせる事などないと思います。モイラは病弱で――」

「黙れ」


 ルッジエは、投げかけられた言葉に反論しようと思わず彼の顔を見るが、それを見た瞬間ルッジエは二の句が告げなくなる。アーベルの殺気にあてられたのだ。


「何故私が番でない者と踊らなければならない」

「ですからモイラは病弱で――」

「もう一度聞く。何故番でない者と私が踊らなければならないのだ? 私は虎の獣人の血を引いている事を知っての言葉か?」


 そうアーベルより告げられて、ルッジエは口をつぐむ。獣人は何よりも番を大切にする、それはオウマ王国でも教えられている事だ。

 彼に絶対零度の視線を向けたアーベルは、モイラの腰を手で支えながら広間の中央へ歩こうとしていく。目まぐるしい展開に夢見心地になっているモイラは、アーベルにされるがまま。多分彼女はこれが夢だとでも思っているのかもしれない。


 二人の足音だけが響く中、またその静寂を破る者が現れた。そう、モイラの妹である。


「殿下!何故姉が番なのですか!」


 ルッジエが慌てて彼女の言葉を止めようとするも、燃料を投下されたドナータは止まる事を知らない。彼女は「何故だと?」と冷たく言い放ったアーベルに怯む事なく言い返す。


「だって、お父様もお母様も言っていたもの! モイラは出来損ないの娘だと! それにモイラの母は、私の父と母を引き裂いた大罪人だとも言っていたじゃない! そんな罪人女の娘なんか、出来損ないに決まってるわ!」


 周囲は思う。

 彼女の父であり、現伯爵代理であるルッジエと、モイラの母であるザイラは政略結婚。しかも政略ではあるが、別にルッジエでなくても問題はなかったと、二人と同年代の者たちは把握していた。恋人がいるなら、ルッジエは断る事もできたはずだ。

 それをしなかったのは、伯爵家に入る事ができる、というルッジエの欲に過ぎない。そもそも入婿で愛人がいるなど、貴族内ではあまり褒められた行動ではないのは暗黙の了解だ。元々低かった彼の株が、さらに落ちた瞬間である。


 コトハはその様子をイーサンと共に壇上の前から見守っていたが、ふと気づけばドナータの後ろにいたルッジエは取り押さえられている。ドナータの母であるブリージダは、ドナータを応援しているからか、彼女の横に並び立つ。そのため、後ろで押さえつけられている夫に気づかない。


「貧相で、私のように可愛くもなく、口数だって少なくて……お父様から指示された仕事すら、時間がかかり過ぎて迷惑をかける……そんな女が殿下の番だとは間違っていますわ!」

「ええ。ドナータの言う通りですわ。殿下、ダンスも踊れない娘よりも、私の娘の方が貴方様を楽しませる事ができると思いますよ」

「ドネリー家だって、あんな出来損ないのお姉様ではなく、私が継ぐのが良いってお父様とお母様も言ってくださったもの! あんな平民になるお姉様よりも、次期伯爵の私と婚約した方がいいと思いません?」


 貴族たちは二人の言い分に引いている。それもそうだ。そもそも楽しい、楽しくない……爵位がある、なしの次元ではない。それを理解できていないお花畑の二人が恐ろしい者に見えてきたからだ。

 壇上にいる王族たちの視線も厳しくなる中、アーベルの横にいるモイラの顔が青白み、小刻みに震えている事に気がついた。姉や母に対する恐怖が植え付けられているのだろう、とコトハは思う。


 アーベルも壇上の王族たちも口を開かないからか、ドナータたちはまるで楽しんでいるかのように、モイラの悪口を話している。その様子を後ろで見ていたルッジエは、既に諦めているのか床に膝をついて首を垂れていた。彼女たちから自分の娘への仕打ちを暴露され、弁解はできないと判断したようだ。

 暫くして大多数の貴族たちが、彼女たちの醜悪な姿から目を逸らし始めた頃、アーベルがドナータに向かって声をかけたのだ。


「そこの女、ドナータと言ったか?」

「……はい!」


 今まで全く声をかける事なく、モイラをエスコートしていたアーベルが自分の名前を呼んだ! その喜びから、満面の笑みでアーベルへと顔を向けるドナータ。彼女の頭には、番である姉を捨てて自分の元へ来るアーベルの姿が思い浮かんでいる。

 だから、目の前のアーベルがどんな表情をして自分を見ているかなんて、残念な事にドナータは分からない。そこで気づけば酌量の余地もあったかもしれないのに。


「そもそも、もし私が人間と獣人のハーフでなかったとしても、お前のような性悪は好きになるはずがないだろう? 鏡を見てみろ。その醜い表情、誰が人を貶めるお前を好きになると思う? 勿論、それに同調しているお前の家族も好きになれんな。むしろ好きになる者などいるか? なあ」


 そう告げて周囲を見回すアーベルに釣られて、ドナータもきょろきょろと貴族たちの顔色を窺う。そこで気づくのだ。彼らの視線が冷たいものに。

 周囲の絶対零度の視線にやっとの事で気づいたのはドナータだけではなく、母のブリージダも同じである。


「それに今のお前の言葉は、権力奪取を目論んでいた証拠になる。証人はここにいる全ての貴族だ。俺は番だけ愛でたい。もうこの者たちの顔を見たくもない」

「衛兵、拘束せよ」


 国王陛下の言葉でこれが茶番であった事に貴族たちは気がつき始める。

 最初は国の恥を他国の者に晒すのは如何なものか、と思っていた者たちもいるようだが、ダーリヤが満足している様子を見て、仕掛け人の一人が彼女である事、参加している貴賓が最低限である事から仕組まれた事だと把握したようだ。


 思い描いていた反応とは異なる展開に、ドナータとブリージダは狼狽える。そしてルッジエに助けを求めるために後ろを振り向くも、彼は意気消沈したまま……二人を見る事もない。

 誰も助けてくれない事に気づいたドナータは、床に座り込む。それを見た国王陛下が「宰相」と声をかけた。宰相は意図を理解し、「この三名を連れて行け」と告げて衛兵に目配せをする。


 それを見届けるとアーベルはモイラと共に国王陛下の前へと躍り出る。そして礼を執った。


「カルサダニア王国アーベル殿下よ。協力感謝する」

「いえ、こちらこそ。我が愛しい番を見つけられたのは、国王陛下のご協力あっての事ですから」

「その者を頼む」

「勿論、幸せにいたします」


 その言葉に周囲から歓声が沸く。モイラは一躍、時の人である。虐げられた令嬢が王子様に救い出された、そんな御伽話のような話。周囲の歓喜の声は留まる事を知らず、広間内に響き渡り続けたのだった。



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