いつまでも続くと思われた歓声だったが、国王陛下の一声で舞踏会が始まる事となった。
アーベルは今だに震えているモイラの事を思い、国王陛下へ休憩させてもらえるよう進言する。モイラの顔を見た彼も、「それが良いだろう」と許可を出し、アーベルとモイラは貴族たちに見守られながらも退場した。
イーサンとコトハは二人の背を見送ると、一旦休憩を取るためにテラスへと向かう。後ろではもう一人の主役であるダーリヤと番が踊っており、皆が楽しそうにその様子を見ていた。
テラスに出ると、配膳係の者がトレーにふたつグラスを乗せて現れた。イーサンはそれを受け取ると、ひとつをコトハへと渡した。
「喉が渇いただろう? 飲むといい」
「ありがとうございます」
入場から飲食する時間がなかった事もあり、彼女の喉はカラカラだった。渡されたグラスをありがたく受け取り、喉を潤す。中に入っているのは紫色の飲み物。味は以前どこかで口にした事があるような気がして思い出す。
「これ、もしかしてレザン、ですか?」
「よく分かったな。レザンの果実を利用したジュースだ。酒もあるのだが、疲れている時に身体に入れてしまうと酔いが回りやすいから、今回はジュースにした」
疲れた身体に染み渡る甘さ。緊張と疲れがこの甘さで少し軽減したように思える。「ありがとうございます」とお礼を告げれば、イーサンは微笑んだ。その破壊力の高い笑みに見惚れたコトハは、話を変えようと、思っていた事を口に出す。
「そういえば、拘束された方達はどうなるのでしょうか」
「そうだな、母娘は王族と次期当主に対する不敬罪、父親は職務怠慢、監禁、後は権力奪取の罪だろうか……全員が平民落ちなのは間違いないが、その上でどう判断されるのかは分からないな。そういえばコトハ嬢の故郷では、爵位や役職、というものはあった――いや、失言だった。すまない」
故郷の事を思い出させるのは、コトハの負担になると思ったのだろう。彼は言葉を濁した後、謝罪する。その言葉でコトハは故郷の事を思い出していた。
「いえ、大丈夫です。私の村は長老を筆頭に年寄衆と呼ばれる者たちがおりました。イメージとしては、長老が帝国で言う皇帝陛下、年寄衆が室長でしょうか? 帝国とは国の規模が違いますので、年寄衆と呼ばれる方たちも両手で足りるほどですが……」
「なるほど。コトハ嬢の故郷は村だったのか」
「ええ。華族と呼ばれておりました――」
思ったよりスラスラと出てくる言葉にコトハは驚きを隠せない。
思わずイーサンの顔を見つめるコトハ。そんな彼女にイーサンは優しく微笑んだ。その笑顔を見て思う。きっと胸の痛みが軽くなったのはイーサン……だけでなく、レノやマリ、帝国の人たちのお陰なのだろう。だから思わず口をついて出る。
「イーサン様、ありがとうございます。いつも気にかけてくれて」
そう微笑めば、彼は「良かった」と照れくさそうに笑った。
穏やかな音楽が広間から聞こえる。何を言うでもなく二人は視線を合わせ、ダンスへと向かおうとバルコニーを出る。すると、広間へと姿を現した二人の元に訪れたのはラウレンツであった。彼は二人に近づくと、小声で話し始める。
「お寛ぎのところ、大変申し訳ございませんが、番の事で少々ご協力いただきたい事がございまして……」
周囲を気にしてか、そこで口を噤んだラウレンツ。何か問題が起きたに違いない。イーサンは周囲に聞こえる程度の声で話し始めた。
「ありがたい。私たちは一旦疲れたので休憩室へと向かっても良いだろうか?」
「ええ、問題ございません」
「ではお言葉に甘えて、休憩させてもらおう。コトハ様もそれで良いだろうか?」
「はい。お気遣いありがとうございます」
そう告げた後、二人は連れ添って休憩室へと歩いていく。その姿に見惚れた周囲が目を輝かせて二人の背を見ていたのだが、その視線に気づく事はなかった。
休憩室に向かう途中、二人の元に現れたのはラウレンツから指示を受けた使者である。彼は深刻な表情で「実は……」と話し始めた。
「アーベル殿下の番であるモイラ様が、何かに怯えているようなのですが、理由が分からず困り果てておりまして……コトハ様のお力を借りられないかとお願いに参りました」
「……私がお力になれるのかは分かりませんが」
コトハに神子の力はあっても、相手の想いまで見抜く事はできないが……手を差し伸べる事で彼女を助ける事ができるのなら、助けたい。そんな思いで言葉を振り絞る。
「よろしくお願いします。モイラ様はこちらにいらっしゃいますので」
使者の男性は扉を開き、二人を招き入れる。部屋へと入った二人が見たのは、布団に包まって怯えているモイラの姿と、近づけずに困っているアーベルたちの姿であった。