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第64話 女神アステリア

 その後ファーディナント皇帝から、「準備には隣の応接室を使用すれば良い」と告げられたコトハは、彼の言葉に甘えて神上げの準備をすることとなった。コトハの手元に届けられたものは大体顔の大きさと同じくらいの白木の棒と、白紙だ。そこから紙を切ったり折ったりして、儀式に必要な祓串はらえぐしと呼ばれる神具を作成した。アカネも紙垂しでと呼ばれるものを作成した。


 そしてコトハが準備をお願いしたものも順々に集まっていく。全てが集まったところで、パウル宰相が目を閉じるように告げた。全員が下を向き目を閉じていると、前方からカチッと何かがはまったような音が聞こえ、扉の開く音がする。

 目を開けて良いと許可が出て前を向けば、本棚があったであろう場所に空間が現れていた。隠し部屋らしい。

 驚いて呆然としているコトハに、パウルは告げる。


「儀式はこの中で行いましょう。儀式が終わるまでこの応接室には私と陛下がおります。何人たりとも入れない事を約束しましょう」

「お願いいたします」


 頭を下げた後、コトハは奥の部屋へと入っていく。後から荷物を持ったアカネとレノ、ザシャ大司教とイーサンも入室し、儀式の準備を始めた。


 アカネはレノと協力し、紙垂を括り付けた縄を四方の壁へ貼り付けていく。ザシャとイーサンはコトハの指示で事前に置いてあるテーブルや用意したお盆などを乗せ、お盆の上には捧げ物として用意した様々な食材を置いていった。

 その間にコトハは追放された時に着ていた巫女服に着替えてから、お供物の奥に自分の使用している宝玉を置く。用意した物を全て配置した事を確認したコトハは、アカネ以外に入口側の壁へと下がるように告げた。


「流れとしてはまずこの場を清めるために、祓詞はらえことばと呼ばれるものを読み上げます。その後、この祓串を利用して方陣を描いた後に、神上げのための舞を踊ります」

「コトハ様、方陣とはなんでしょうか?」

「遺跡の転移陣のようなものです。少々図柄は変わりますが、星彩神様に降りていただくためのものです」

「コトハ、儀式中に俺が手伝える事はあるだろうか?」

「壁に貼り付けている紙垂や飾られている捧げ物などが落ちてしまわないように、見ていて欲しいの。もし落ちそうだったら、直して欲しいわ」


 いくつかの質問が飛び交い、全員が儀式の内容にある程度納得したところで、コトハは「儀式を始めます」と宣言した。



 儀式が始まると普段のほんわかとした姿は鳴りを顰め、別人ではないかと思うほど凛とした姿を見せる。現在は捧げ物が置かれている祭壇の前で祓詞を読んでいるコトハ。言葉が進むにつれて温かかった部屋に涼しさを感じるのは気のせいだろうか。

 イーサンは淀みなく祓詞を口にしているコトハに尊敬の念を感じた。祓詞は一言二言で終わるような物ではない。先程からもう五分以上は経っているだろうか。この文章を覚えるには並大抵の努力ではない。

 やはり彼女は素晴らしい……と一人感動している中、祓詞を読み終えたらしいコトハは祓串と呼ばれていた棒を持った。そして何度か左右に振った後、頭を下げてから部屋の中心へと立った。


 コトハは中心で頭を再度下げた後、祓串を上に掲げる。するとその先が光出したではないか。

 彼女は光っている先端を床よりも少し上辺りに向けてから、何かを描くように動かし始める。それが最初に話していた方陣だと気づいたのは、半分程彼女が紋様を描いてからだった。

 光で描かれた部分は光の線が残ったままになっている。それらが淡くほんのりと光っていて美しい。イーサン以外の者たちもそんな方陣に見惚れていた。


 そして彼女が淀みなく、方陣を書き終える。手に持っていた祓串を祭壇に置いた後、方陣の中心で両膝を付いて祈祷した。すると、彼女の足首あたりで光っていた方陣がだんだんと浮かび上がる。方陣がコトハの頭上まで辿り着くと、その方陣は一斉に光の粒となって消えていった。


「綺麗……」


 誰が呟いたのか分からないが、全員がその言葉と同じ気持ちだった。コトハ以外の傍観者たちは消えていった方陣を見つめていたが、コトハはその中で一人立ち上がり、祓串を両手の上へと置いてから祭壇の左側に待機していたアカネに視線を送る。

 アカネは頷くと、太鼓をひとつ叩いた。


 コトハは太鼓の音を聞いて両手の上に置いていた祓串を左手に持ち、右手の甲は天井へと向ける。そして祓串を数回振った後、それに合わせてアカネの太鼓がリズムを刻む。彼女が踊るたびに周囲の空気が浄化されていくような、美しい舞だった。

 初めはゆっくりとした太鼓のリズムに合わせて、ゆったりと踊っていたコトハ。やがて右回り左回りと交互に回りながら舞い始めると、段々と太鼓の音が速くなっていく。それに合わせて彼女の踊りも速くなっていくが、その中でも優雅に舞う彼女にイーサンは釘付けだった。


 そしてどれくらいの時間が経ったのだろうか。この時間が延々と続くような錯覚にイーサンが陥った頃、太鼓のリズムが緩やかになり始める。そして最初の速度まで戻るとコトハは膝立ちの状態で祓串を掲げた。


 その瞬間。彼女から光が漏れ、室内の空気が一変する。この空気の変化に一瞬、イーサンは戸惑うが……。


「成程……これが浄化の光かね……」

「美しい……美しい……こんな場面に立ち会えるなんて……!」


 レノとザシャの呟きで、コトハが室内の空気を浄化したのだと気づく。改めて彼女の方へ目を向ければ、奥にあるコトハが使用している宝玉が光り始めていた。光は徐々に強くなっていき室内を眩しく照らしたため、全員が眩しさから目を閉じたのだった。



 コトハが目を開けると、宝玉の光は既に消えていた。だが、光る前にはいなかった誰かが、祭壇の前に佇んでいる。コトハは彼女を認識すると、膝立ちのまま頭を下げた。


「星彩神様、そして女神アステリア様。呼びかけに応じていただき、ありがとうございます」

「……!」


 彼女の声に全員が息を呑む。二柱の神の名を告げたコトハだが、目の前には一人だけ。その意味を理解したのはザシャだった。


「……もしかしてコトハ様の故郷を守護する星彩神様と、女神アステリア様が同一なのでしょうか……」


 彼の言葉に部屋の空気がザワザワと動いたような気がする。と言っても、それが不快に感じる事は無く、空を覆っていた雲が一瞬で晴れたかのような心地よさを感じていた。これは肯定の意を示しているのだろう。



 コトハは星彩神と女神アステリアの二人の名前を呼んだ後。


 女神アステリアが現在この部屋に降臨しているという。イーサンの目からは何も見る事はできなかったが、確かに祭壇の前に強大な何かがいるような気配は感じていた。

 横に立っている二人を一瞥すると、ザシャは両手を組んで頭を下げている。そしてレノは呆然と祭壇の前を見つめていた。その瞳には涙が溜まっているのが見える。ザシャは分からないが、レノにはきっと女神アステリアが見えているのかもしれない。

 すぐに視線をコトハへと戻すと同時に声が聞こえた。だが、普段のように声が耳から入ってくる訳ではなく、頭の中に直接響くような……イーサンにとっても不思議な感覚だった。


『コトハ、よく頑張りましたね』

「ありがとうざいます。ですが……五ッ村の件は大変申し訳なく――」

『自分を卑下する事はありません。貴女は自分の力を出し惜しみする事なく努力したのですから……決めたのですね?』

「はい」


 頷くコトハの声には、固い意志が宿っていた。アステリアもそんな彼女の決意を知っていたのか、ニコッと微笑む。


『貴女の決意、しかと受け取りました。私からも最大限の協力を。そして……』


 アステリアの言葉が止まった時、イーサンはふと女神に顔を向けられているような気がした。姿が見えないので、分からないが。

 視線を感じたイーサンが頭を下げると、隣にいたザシャとレノ、そして奥にいたアカネも同じ事をしていた。


『ここにいる者たちは私から祝福を。私の愛し子であるレノとコトハをよろしくお願いするわ』


 そう告げたアステリアが微笑む。その微笑みが新たな光を生み出し、眩しさから全員が目を閉じた。


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