翌日、あらかた準備が整ったとの事で、移転組は再度集まった。五ッ村には長老お抱えの諜報員がいる事や、簡単な村の地理など基本的な情報も共有する。その間ズオウは何度か暴れる事もあったらしいが、コトハが「明日出発します」と伝えに来たところで大人しくなったらしい。
そしてズオウが王宮へと現れて三日目。
五ッ村の事を考えて判断したファーディナントが竜化するよう指示したため、早朝王城の広場には何体もの竜がいた。
最初は竜の存在に驚いていたズオウだったが、移動が早いからと言われ納得したらしい。ズオウの目の前で竜化させなかったのは、竜化が竜人の切り札でもあるからだ。
ズオウには籠が用意された。ちなみにそれを持つのは、竜人の近衛兵だ。最初は籠に一人で入る事を渋り、「コトハと一緒に」と喚いていたズオウだったが、無理矢理籠へと入れられる。
ズオウを乗せた竜が飛び立ち、見えなくなった頃。他の者たちも竜化を行った後飛べない者はその背に乗り、王城を飛び立った。
今回向かったのは、一番近いパーン遺跡。そう、コトハたちが使用した転移陣である。
全員で遺跡の中に入ると、そこには先に着いていたズオウと近衛兵が佇んでいた。ズオウはコトハを見て無事に来た事を確認したのか少し頬が緩んでいたが、その隣にイーサンが居るのを見て、眉間に皺を作った。
「おい、お前。何故その男のそばにいる――」
「お前の隣にコトハを行かせるわけないだろう」
声を荒げた瞬間、ファーディナントの殺気がズオウを襲う。イーサンはズオウの言葉を理解しているのか、彼の言葉に反論した。その事にコトハは驚く。
「イーサン、次期長老様の言葉が理解できるの?」
「ああ、言われてみれば……理解できている」
「あたしも分かるさね。きっとアステリア様のご加護をいただいたからじゃないかねぇ」
きっと神上げの時に二人は加護……いわゆる迷い人に与えられる……女神の祝福を得たのだろう。イーサンの言葉がズオウにも理解できているらしく、彼は狼狽えている。
一旦ここでは落ち着くべきだと思ったのだろう、ズオウは口を紡ぐ。きっと内心では「転移するのはコトハとアカネだけであり、転移してしまえば何とでもなる」と思っているようで、下品な笑みを湛えていた。
そのような空気の中で、ファーディナントは声を上げる。
「巫女姫としての仕事が何事もなく終わる事を、我は帝国から祈っていよう」
「ありがとうございます、皇帝陛下」
うむ、とコトハへ頷く彼を見て、ズオウはニヤニヤとした笑いでコトハに声をかける。
「ふん、皇帝から直々に激励の言葉をくれるなんてな。良い思い出になったじゃないか。おい、二人とも行くぞ」
別れの言葉であろうと判断し、鼻で笑う姿を見せたズオウ。周囲の者たちは刃先を彼に向けようとしたが、それをファーディナントが止める。
もう既に転移した後の事を考えているであろうズオウは、二人に先を急がせようとした。その時にズオウはコトハの腕を掴もうと手を伸ばすが、彼女の前に立っているイーサンによってそれは防がれる。
ズオウは苛立ちからイーサンを睨みつけるが、イーサンはどこ吹く風だ。逆にズオウへと強い眼差しを向ける。上から見下ろされたズオウは、その迫力に少し怯んだが、すぐに立ち直ったのか鋭い視線を送った。
「さっきからなんなんだ! この女は俺の婚約者になるんだ! こいつは婚約者として俺の言うことさえ聞いていれば良いんだ!」
ズオウはコトハに手を伸ばすが、彼女はその場から動こうとしない。そんな姿に苛立ちが募る。一歩踏み出そうとしたところで、伸ばしていた手を掴まれた。
「先程から聞いていれば……彼女は物ではない」
「は? 何を……」
当人はコトハを物扱いしている事に気づいていないようだ。その扱いが普通だからだろう。周囲の者たちもズオウの表情と行動を見て、故郷でのコトハの扱いがなんとなく理解できたのか……眉間に皺を寄せている者が多い。
周囲の様子を見て、コトハは胸が温かくなる。それと同時に、自分の戻る場所は五ッ村ではなく帝国だと胸に刻む。掴まれた手をさするズオウとイーサンが睨み合う中、その空気を壊したのはファーディナントであった。
「総員、倣え!」
その言葉に転移組以外の全員が敬礼する。イーサンとコトハの右側にはマリとヘイデリク、左側にはアカネとジェフがおり、彼らも目の前の者たちと同様に敬礼していた。ファーディナントはひとつ頷き、勢いよく右手を伸ばした後に告げる。
「お前たち、無事に仕事を終えよ」
「「はっ、行って参ります」」
コトハとアカネ以外の転移組は、ファーディナントの言葉を聞いてから胸に右手を当てた。最初はイーサンが「行って参ります」と告げた事に首を傾げていたズオウだが、一呼吸置いてから意味を理解したのだろう。
「転移するのは二人だけだろう?! 他の者はいらん! 転移したらこの宝玉の力が貯まるまで、戻ってこれないのは知ってるのか?!」
彼は真っ赤になって怒鳴り声を上げたのだが……。
「勿論、知っている」
そうイーサンに真顔で言われて怯む。だが、なんとか自分の思う通りに進めたいと気を持ち直したズオウは唾を飛ばしながら叫ぶ。
「誰の了承を得てるんだ!」
「皇帝陛下だが?」
イーサンの言葉にズオウはまた一瞬たじろぐ。
「だが! 俺は許可を出していな――」
「何故、許可がいる? 神子であるコトハの護衛依頼を皇帝陛下より承ったから同行するだけだ」
そう告げたファーディナントに睨まれ、また逃げ腰になるズオウ。その苛立ちを発散するかのようにコトハへと向き直った。
「お前もなんか言え! 同行を拒否しろ!」
怒りのままに叫び散らすズオウをコトハは感情の篭っていない目で見つめる。彼はこんなに周囲へと当たり散らす人だっただろうか……という疑問を持ちながら。
言葉を発しない彼女に苛立ちが最高潮となったズオウは、コトハへと近づき手を高く振り上げた。そのまま力任せに振り下ろそうとして――イーサンに手を掴まれる。彼はズオウへの怒りを抑えながら、底冷えのする声で告げた。
「また以前と同じようにされたいか? 学習能力のないやつだな。そもそもお前の言う通り、俺らが転移陣に乗ったところでお前とコトハとアカネ嬢の三人しか転移しない可能性だってあるだろう。全員が転移できるとは限らない。試すくらい問題ないだろう?」
「……」
ズオウはその言葉で幾分か冷静になった。そして彼の目端で何かがキラリと光った。先程までファーディナントの後ろに控えていた近衛兵たちが、今やズオウの周りにおり、全員が刃先を彼に向けているのだ。
逆上するのは得策でない、と判断したズオウは数歩後ろに下がる。すると彼に向かっていた刃先は下ろされた。
それにズオウがイーサンの言葉に希望を見出したのもある。まあ、何かしら転移できる方法があるから同行していると普通は考えそうなものなのだが……頭に血が昇っているズオウは、自分の都合の良い方に取ったらしい。
「ふん。向こうへ転移できるか分からぬくせに、無謀な事を考えるのだな。良いだろう。試してみるが良い」
そう言って背を向けるズオウ。そして彼は赤い宝玉を取り出す。以前見た時よりも、赤色が薄くなっている気がした。転移陣へと向かうコトハ。その隣には緊張しているアカネが。二人とともにイーサンとジェフが、その後からマリとヘイデリクが後を追う。
ヘイデリクが転移陣に足をかけたところで、ズオウが陣を起動したのか光り出す。視界が光で覆われる中、コトハの視線の先にはレノがいた。レノは声には出さず、口を開閉させた。
『コトハ、待ってるさね』
そう読み取ったコトハは、ひとつ頷く。その瞬間レノと視線が合い、微笑まれたような気がした。だがそれを確かめる前に、視界は光に包まれる。眩しさから思わずその場にいる全員が目を瞑った。
そして再度目を開けた頃には、転移陣に立っている者は誰もいない。
「行ったねぇ」
「ああ、そうだな」
「……さて、あたしらは戻るさね」
「ああ。彼らを信じよう」
全員が転移陣で旅立った者たちの無事を女神アステリアに祈った後、遺跡を後にする。レノは洞窟から出る際に、ポツリと呟いた。
「待ってるさね。無事に帰っておいで」
そう転移陣に向かって呟いた後、彼女は背を向けて遺跡から出て行ったのだった。