その声に全員が後ろを振り返る。するとそこには満面の笑みでコトハを見ているズオウと、その横でニコニコと白い髭を触りながら彼女を見つめる初老の男性がいた。
「長老様……」
ポツンと呟いたのはアカネだった。その言葉で目の前にいる白髭の男性が、ズオウの父でありこの五ッ村の長である事を知る。イーサンはコトハを自身の後ろに少しだけ隠した。彼が過去に行ったコトハに対する態度を警戒しているためだ。
「ふむ、ズオウに言われてここまで来ましたが、泉を浄化していただけたのですね。巫女姫様、ありがとうございます」
そう告げて彼は頭を下げた。コトハはそんな彼の姿に目を見張る。
彼女だけではない。近くから唾を呑む音が聞こえたのだ。イーサンが音の方へと振り返ると、案内役のウメが驚愕の表情を浮かべている。長老がコトハに対して
長老はそんな彼らには目もくれず、微笑みながらコトハだけに視線を送っていた。その態度が彼女からしたら不気味で仕方がない。
「さて、ウメ。巫女姫様を屋敷へ案内しなさい。いつものように三の間で待っていてもらいましょう。改めてご挨拶を差し上げますので」
言いたい事を言い終わったからだろうか、長老は背を向けた後、後ろで両手を組み階段を降りようとする。だが、その前にコトハが長老の背に向けて声をかけた。
「ありがとうございます。ですが、ウメさんも仕事がおありでしょう? 私はこの後、もう少しこの泉に祈りを捧げようと思っておりますので……ウメさんをお待たせするわけにはいきませんわ。この場には私だけでなくアカネもおりますから、屋敷までの案内は不要です。終わり次第全員で三の間へ向かいますね」
イーサンの隣に立ち、にっこりと長老の背に笑いかけるコトハ。長老はそんな言葉を放ったコトハをチラリと一瞥し、無言のまま一歩階段を降りた。その時の視線は鋭く、先程コトハを讃えた時の表情とは全く違う。
だが、それも一瞬のこと。すぐに表情は微笑みに変わり、柔らかな声で返事をした。
「そうですか。確かに巫女姫様でしたら、問題ないでしょう。では屋敷でお待ちしておりますので、お早めにお越し下さい。ウメ、帰りますよ」
「は、はいっ……」
名を呼ばれたウメは、上擦った声で返事をすると長老の後ろをついて行く。
二人が階段を降りたところで、彼女は先刻祈った場所へと再度向かいまた祈りを捧げた。浄化の力が行き渡っているのか水面がキラキラと輝いている。立ち上がったコトハは告げた。
「泉の水に浄化の力を込めておけば、他の集落の泉の穢れも少しは浄化されるでしょう」
「そうか、ここは村で賄っている水の源泉だと言っていたな」
「はい。この水だけでは完全な浄化ができませんので、各集落にも私が足を伸ばす必要がありますが……少しは改善されるはずです」
光り輝く泉を見つめるコトハ。そんな彼女の隣に来たのはマリだった。マリは扇を開き口元に当てて話す。
「先程の方が長老様? 腹に一物抱えてそうな方ね。それに私たちを完全無視、とはね……良い性格してるじゃない」
「僕も思いました。あの方、コトハ様だけしか見ていませんでしたね。後、あの方の身体付きを見ると、何かしらの体術を体得している可能性がありますよ。お気をつけて」
マリは以前コトハから巫女姫だった不遇時代について話を聞いている。だからかもしれないが、その環境を許していた長老に良い印象がない。しかも先程の会話で更に評価が下がったようだ。
ジェフも口元に手を当てながら「うん、うん」とマリに同意する。身体付きを見ているのは、軍部に所属する彼だからこその着眼点であろう。女性であるマリは口元を扇で隠し、男性は手で隠す。五ッ村に来てから全員が行っている事だ。
帝国でアカネから「黒装束の者たち」の話を聞いており、「陛下付きの影」と似ていることから、この村には暗部がいるであろうと判断していた。正直今も見張られている可能性が高い。そのため読唇術を使わせないようにするための策でもあった。
「体術か。心してかからなくてはならないな」
「まぁ、一番は何事もない事だろうが……」
「ヘイデリク、それで済むと思うか?」
「あの様子だと無理だろうな」
ヘイデリクはふう、とため息をつく。
「ところで、あの祠はもしかして星彩神様を祀るためのものかしら?」
「ええ、そうです。伝承では星彩神様はこちらに降り立った、と言われているので」
「そうなのね。だから祠かぁ……」
感慨深そうにマリが泉の中心を見る。話を聞くと、マリの住んでいた
「どちらかと言えば、私には五ッ村の雰囲気の方が身近だわ。よく新年に神社へとお参りに行っていたし」
「そうだったのか」
「ええ……あ、そうだ。この後屋敷に向かうのでしょう? 屋敷は靴を脱ぐのよね?」
マリは後ろにいたアカネへと声をかける。顔色を見ると、先程よりも大分血の気が戻っている。
「はい。玄関に靴を脱ぐ場所もありますので、そちらはあたしがご案内します」
彼女はやはり緊張しているのか、表情が硬い。
「アカネ、大丈夫?」
血の気が戻ったとは言え、顔色の良くないアカネに気遣わしげな声をかける。
「大丈夫です。あ、あたしは自分から行くと決めたので……コトハ様のお力になれるよう頑張ります!」
「私はアカネがいてくれるだけで、充分勇気を貰っているわ。あまり無理はしないでね」
「ありがとうございます」
「さて、そろそろ向かうとするか?」
イーサンが全員に視線を送る。皆が思い思いに頷くと、彼も同様に首を縦に振った。アカネの先導で階段を降りて行く。階段を降りながらコトハは穢れの残滓を浄化していく。そんな彼女をイーサンが落ちないように気にかけ、皆でゆっくりと歩いて行った。
来た道を戻り、神社へと辿り着いた一向。そこでコトハは一旦立ち止まる。
「星彩神様へのご挨拶と大社自体の浄化を行いたいのですが、寄っても良いですか?」
その言葉に全員が同意する。コトハは微笑むと石で作られた門の前で一礼した後、門を潜り抜けた。そして右側に設置されていた
「私の国では、この門を鳥居と言ったのだけれど、ここではなんと言うの?」
「あ、村では神門と呼んでいます。ここは、
アカネの説明を耳にしながら、コトハは奥へ奥へと歩いて行く。普段巫女姫として舞踊を行う舞殿を横切り、辿り着いたのは拝殿と呼ばれる場所だ。目の前には木でできた腰まである箱がある。コトハは説明をアカネに任せ、先に祈りを捧げる事にする。
「こちらは参拝する場所です。参拝者は賽銭箱の前に立ち会釈をした後、この中へと硬貨を入れます。そして二度お辞儀をした後、二度手を叩きます。そして最後にまた一度礼をしてから御前を退きます」
「二拝二拍手一拝ね」
「マリ様、ご存知なのですか?」
アカネは不思議そうに首を傾げる。
「ええ。私の国の神社でも行っていたわ」
その言葉の後、全員の視線がコトハに向かう。彼らの視線を感じながら、彼女は二拝二拍手の後祈りを捧げ、浄化の力を行使した。すると、拝殿の周りにうっすらと漂っていた穢れが浄化の光とぶつかり消えていく。誰かが「綺麗」と呟く頃には穢れもすっかり消え、コトハは一礼をした。
その後に続いてアカネも星彩神へ挨拶をしようと賽銭箱の前に立つ。すると礼をする前に「あ」と声が上がった。
「アカネ、どうしたの?」
「コトハ様、あそこに
アカネが指差した方向を見ると賽銭箱の奥の縁に茶色い石竜子が一匹おり、こちらを向いていた。「石竜子様? ……あ、もしかしてトカゲの事かしら?」とまりが呟く。
コトハが視線を向けると、石竜子と視線が合ったような感覚を覚える。その後、石竜子は背中を見せてから境内を歩いて行く。その姿が見えなくなるまで、コトハはじっと彼女を見つめていた。