イーサンの言葉にセイキは少し考え込んだ後、「ああ、それはですね……」と話し始めた。
「我々はみくまりの泉の水を戴いているからでしょう。五ッ村の成り立ちは星彩神様が降り立った事から始まっており、長老と年寄衆になった者たちは、みくまりの泉と妙音大社を守護するのが第一の業務なのです。そのため、常日頃星彩神様の力を少しでも感じられるように、と我々は泉の水を飲んでいるのです」
「泉の水は浄化作用がありますから、穢れが身体へ入っても水の力で浄化されたのかもしれません」
セイキはコトハの言葉に「そうでしょう」と頷いた。
「現状の話の続きに戻りますが、壱、弐の集落の次に病人が多いのは
「あれ、三と五の集落はどうなんですか?」
ジェフが首を傾げて尋ねる。
「
聞き慣れない名前にイーサンが尋ねる。
「その、泉湖川と小泉川とは?」
「双方ともみくまりの泉から流れている川なのですが、川幅が広く水の流れが多い方を泉湖川、泉湖川の半分ほどの川幅の川を小泉川と呼んでいます」
「では、まずは参と伍以外の村を浄化した方が良いという事ですね?」
「ええ。明日は若様と私が同行いたしますので……コトハ様、よろしくお願いいたします」
浄化の道筋は立った。最後にセイキからの依頼で屋敷の奥にある池を浄化してその日の仕事は終えたのだった。
屋敷で一泊した翌朝。
コトハはみくまりの泉を浄化する。集落へ浄化に向かう際はいつもこの泉を浄化してから向かうのが習慣だった。そのため、後ろで見守っているイーサンに護衛をお願いして二人で浄化に来たのである。流石に一人で向かう事はしない。
昨日も浄化しているからだろう……穢れが多少あるくらいで、水面が朝日を浴びて輝いている。
浄化を終えた彼女は、祈りを捧げた。
「無事に浄化を終える事ができますように……」
ここは好きだ。この泉を見ていると、心が洗われる。巫女姫として頑張ろう、という気持ちが湧いてくるのだ。
両親が亡くなった時も……ズオウから邪険にされ始めた時も……そして噂が広まった時も。この泉の前で祈れば心穏やかであった。祈りを終えて泉を眺めていると、後ろで彼女の様子を見ていたイーサンが、コトハの肩に手を乗せた。
「コトハ、大丈夫か?」
「イーサン、ええ、大丈夫よ」
「それは良かった。しかし、驚いたな。ここは転移陣の洞窟のように……空気が澄んでいる気がする」
「星彩神様が降臨された場所だからかもしれないわ。みくまりの泉は聖泉とも呼ばれているから」
この泉が全ての水の源流になっている事は間違いない。星彩神様は別名水の神と呼ばれ、水を司る神とされている。多少穢れを浄化する力があるのは、降臨された場所だからだろう。
「またここに来られなくなるのは残念ね……」
「ここは思い出の場所なのか?」
「思い出というよりは……屋敷にいた時は、日の出と共にここに来て泉の浄化をしていたの。今みたいに水面がキラキラしていて、何度見ても飽きない光景だったわ」
「これを毎日か。心が洗われるな」
「そうなの」
二人で水上を見つめていると、彼女の左側にいたイーサンがコトハの後ろへと移動した。そしてあとほんの少しでコトハの背中や頭とイーサンの身体が触れ合うところまで近づいてくる。
「コトハ」
そう呟いたイーサンの声で肩が少しだけ跳ねる。
思った以上に近くから聞こえる低音の、艶やかな声。そして時々触れるイーサンの身体。こんなに近くで話された事など一度もないコトハは胸をドギマギさせていた。
「済まない。私たち以外に誰かいる気配がするからな」
その言葉で正気に戻るコトハは、持ってきていた扇子を開き口元へと当てた。
「これが長老直属の暗部、というやつらか」
イーサンは口元を手で隠しながら喋る。あまりやりすぎても怪しまれるので、聞かれても良い部分は手を離して話すのも忘れない。
「イーサンは気配が分かるの? 私は分からないわ……」
「ああ。竜人は気配察知に長けていてな……ここまで気配を消せるようになるのは相当の努力が必要だろう。賞賛に値する。コトハやアカネ嬢が察知できなくても仕方がないな」
彼が言うには、左右一人ずつ……丁度イーサンの背中あたりに一人、コトハの背中あたりに一人、なのだとか。
「今日から一日かけて
「ええ。そこは発症者が多い集落らしいから、心してかからないと……」
昨日のセイキの話によれば、三日間に分けて浄化をする予定なのだそう。今日は
コトハの話によれば一番大きい集落は
そして
最終日は
そこまで確認すると、イーサンは祠の方を見て話す。
「長老はコトハがこの村に戻ってきた事を当然と捉えていたようだな」
ズオウの満足げな表情もさることながら、長老の時折見せる笑みがイーサンの心の中に引っかかっていた。まあ、コトハの真面目な性格を知っているのならそこまでは分かる。
「だが……あちらはコトハが帝国へと戻るかもしれない事を一切考慮していないようだな。コトハはここに留まる、それが当たり前のような顔だ」
あれは、そうなると信じてやまない、自信のある者が行う笑みだ。
「そうね」
彼女は一度追放された巫女姫だ。そして追放を選んだのは村人たち。今後もこの村には巫女姫がいなくても暮らしていけるようになってほしい、と思っている。そのためにコトハは女神アステリアとも話したのだから。
「あの男は何か隠しているのではないか?」
「ええ。多分巫女姫にしか伝わらない情報があるように、長老にしか伝わらない情報があるのかもしれないわ。でも、どんな情報かは分からないわね……」
「もしかして、コトハを留まらせる方法があるのでは?」
その可能性はあると思ったコトハは頷く。
「あのオウリ、という者もそうだが、彼らは入村を未来永劫禁止する追放刑と言われていたな。しかもそれは子孫まで永代だと……それができると自信満々そうなあの男には、何かしら奥の手があると考えた方が良さそうだ」
「ええ。あの方は色々と隠しているわ……正直私は帝国へ帰れるか不安なの。協力してくれる? イーサン」
「ああ、勿論」
真っ直ぐに彼女を見つめるイーサンの瞳。信頼できる瞳。帝国に来るまで、こんな視線を受けた事がなかった。今思えば……村人は感謝を述べてはくれるが、心からのものではなく表面上のお礼だったのかもしれない。アカネ以外は穢れが見えないから、仕方ないのだろう。側から見れば、何も変わっていないのだから。
転移する事なく、この村にずっと暮らしていたのならそれでも喜んだかもしれない。けれどももう……コトハは心から感謝を告げられた自分の感情を知ってしまった。
薄情かと思われるかもしれないけれど……コトハはもうすでに帝国が自分の故郷だと思っているのだ。