時は遡り、コトハたちと面会後。白書院と呼ばれる屋敷の奥にある一の間で、ズオウと彼の父であり長老であるシヨウが顔を合わせていた。シヨウとズオウは机を挟んで背もたれのある椅子に腰掛けていた。
「して、ズオウ。
シヨウの表情には先程見せていた人の良さそうな表情はなく、息子であるズオウを睨みつけている。
「事実です、父上。あちらでは神子と呼ばれているそうですが……」
「が、どうした?」
「転移した先では言葉を理解する事ができず……その神子という役職がどのようなものなのかを理解する事はできませんでした」
そう告げると、シヨウの眉間の皺が更に深くなる。
「ふん、お前も役に立たないものだな」
「ぐっ……申し訳ございません」
「それにしても、神子、とは……また畏れ多い名ではないか。アレには勿体無い」
シヨウは鼻先でふんと笑い、コトハの事を思い出す。転移する前であれば、今回のように反抗する事などなかったはずだ。コトハを出しゃばらず、控えめで肯定する性格へと矯正したのはシヨウだったのだから。
巫女姫は前代巫女姫が亡くなった後、一番に生まれた女の子が次期巫女姫になると言い伝えられている。そのため、今代巫女姫であるコトハが前代巫女姫がどのような扱いをされていたかなど分からないのだ。前代巫女姫は今のコトハのように雁字搦めに育てられてはおらず、もっと伸び伸びと育てられていた事を知るのは、長老である自分と年寄衆数人くらいだ。
元々巫女姫は七歳で親元を離れ、この屋敷の離れで生活する。そのためどう育てられていたかなど、屋敷の者……しかも限られた者たちしか知らない。だから、シヨウが長老の権威を高めるために、コトハを躾けていたとしても村人からは「それが正しい」とみなされるのだ。
一度コトハの両親が、引退している使用人から「前代巫女姫様はご両親と面会していたと聞いた」と主張してきた時は眉間に皺が寄りそうになったが、残念ながら彼らは死んだ。死人に口出しは出来まい。
巫女姫の仕事は多岐に渡る。浄化も勿論だが勉学も多く、村で行われる祭事やら覚えなければならない祓詞、踊りやら、楽器など……それを完璧に仕上げる必要があると思わせた。
シヨウの時……前代巫女姫の時には「失敗もまだ醍醐味」という風潮があったにもかかわらず、「失敗は許されない」とコトハへと言い続けてきたのだ。
シヨウは当時七歳だったコトハに、一日の予定表を渡して、その通りに動くように伝えた。それらを習得するため、いくら時間があっても足りないとコトハに思わせたのだ。
シヨウ自身は穢れなどない、迷信だと思っていた。そのため、飾りの称号を持つコトハを養ってやっているという感覚だ。ズオウとの婚約も、自分の長老の力を更に押し上げる駒としてしか考えていなかった。
だから出しゃばってくる女など必要がなかったのだ。
無駄口を叩けば、シヨウと年寄衆の何人かで何時間も問い詰め……コトハが自分の思う通りの言動をするよう仕向けたのである。巫女姫という権力を掌握したシヨウはこの村の権力者として現在まで君臨していた。
「アレには巫女姫という称号も勿体無いものよ。我々を引き立てる
シヨウはそう告げたあと、
シヨウはこの盃のように美しい世界を作りたいのだ。勿論、自分を頂点とした世界を。天岩戸国の王より賜ったこの切子には、この五ッ村を模した山と泉が掘り込まれている。
彼は切子をうっとり見入っている。その姿をズオウはじっと見つめていた。
あの切子をシヨウが天岩戸国の王より賜ったのは、ズオウが九歳の頃の話だ。
次代の巫女姫であるコトハが七歳となり、巫女姫を継いだという報告のため、シヨウ含めた何人かが天岩戸国へと使者として訪れた事があると言っていた。その時に祝いとしてもらってきた物らしい。
天岩戸国は技術力に優れ、村にはない美しい工芸品が作られる大きな国だ。ズオウも実は一度シヨウに連れて行ってもらった事があるのだが、村など比べ物にならないほど本当に大きい国だった。そんな国から「新たな巫女姫の誕生に祝福をしたい」と告げられたシヨウたち。村へ来てもらうという案も出たようだが、最終的には彼らが直接足を運んだという。
満足げに切子を見ているシヨウを見て、ズオウはふとコトハが屋敷に来る前の父を思い出す。
当時は常に笑顔で、ひとつできる事が増えると「すごいじゃないか!」と言って大喜びをしてくれた父の姿が目の前に浮かび上がる。あの時は今のようにズオウに冷たい視線を送る事もなかったし、コトハに関しても「二人が大切に育ててきた娘さんだ。大切に育てなければ」と微笑みながら自分に話していたような気がした。
ズオウはその事に「あれ?」と思う。何故今頃昔の事を思い出したのだろうか、と。今まで思い出す事すらなかったのに。そう不思議に思っていたズオウの耳に、シヨウの言葉が届く。ズオウは今まで考えていた事を一旦放棄し、彼の言葉に集中した。
「アレだけが戻ってくれば、取り込む事など楽だっただろうに……」
そう悔しそうに告げるシヨウに、ズオウは頭を下げる。
「申し訳ございません」
「まあ、まさか転移先の者までもがこちらに来られるとは……儂も思わなんだ。そこは仕方がない」
「ありがとうございます」
切子の美しさで機嫌が良くなったのだろうか、先程とは打って変わってズオウへと優しく接するシヨウ。
「転移先の者が居たとしても、お前との婚約を拒否したとしても……アレがこの村の巫女姫としてこの村へと留まり……浄化後も我々の玩具となる事に変わりはない」
シヨウはそう言い切ってから、切子の中身を全て飲み干した。カツン、と小気味良い音を鳴らしながら切子を机に置き、彼は天井を見上げた。
「アレの要請には、誰が向かった?」
「セイキ殿が向かいました」
「ああ、あの最近入った下っ端か」
返答したのは長老直属の暗部と呼ばれる者の一人だろう。彼らの顔を知る者は長老のみであり、次期長老であるズオウですらその顔を見た事はない。セイキという名前を聞いて、ズオウは思わずシヨウへと声をかけていた。
「よろしいのですか? あの者で」
セイキという男は村を永久追放したオウリの代わりに入ってきた者だ。他の年寄衆と比べて他の者が五十代以上なのに対して、彼は三十代と若い。普段からニコニコと笑いながら汗を拭いているため、どこか頼りない印象だ。
「ああ。あの者が適任だな。セイキがアレの心を開いてくれるだろうよ」
シヨウの言葉は絶対だ。きっと父には父なりの策があるのだろうとズオウは判断した。
「そうだ、ひとつお前にも言っておく」
そう言えば、自分の名前すら呼んでくれなくなったな、とズオウは思う。今まではそれが当たり前だったにもかかわらず、何故か胸中は落ち着かない。だが、それを見せる事なく、ズオウは両手を膝の上に置き、頭を下げる。
これに続く言葉は長老の立場から発せられる命令なのだ。次期長老ではあるが、ズオウはまだ役職のない村人と同じ立場だ。長老の命令は絶対である。
「決行についてはまた連絡する。それまではアレらと共に集落を巡回しろ。手配は全て儂がしておく」
「承知いたしました」
「話はこれで終わりだ。休むが良い」
ああ、幼い頃は「話はおしまい。様子はどうだ?」と膝の上に乗って楽しく話していた事もあったのに。親子としての会話もとうの昔になくなり、今では必要な時しか呼ばれない。
「何をしている。戻れ」
ズオウは考え事をしていたからか、頭を下げた後佇んでいたらしい。シヨウは面倒くさそうに手で追い出す仕草をする。その時、シヨウの胸にある首飾りの宝石がキラリと光った。
再度ズオウは頭を下げて、すぐに一の間を出る。
いつから父とは必要最低限の会話しか交わさなくなっただろう。そうだ、母が亡くなった後からだとズオウは思い出す。母が今の自分を見たら、どう思うか……そう考えズオウは空を見上げる。けれどもそこに映るのは、朧げな母の笑顔だけ。
いない人の事を考えても仕方がない。そう判断したズオウ。
首を振って過去に縋るような思考を追い出し、ズオウはコトハを村に留めておく事だけを考え始めた。